無愛想なルームメイトは、夢の中で俺に溺れている

図書館の裏。
ひんやりとしたコンクリートの壁と、湊の分厚い胸板に挟まれて、俺の意識は朦朧としていた。


湊の体温が服越しに伝わってくる。
それは、冬の足音が聞こえ始めた外気とは対照的に、驚くほど熱かった。

「……湊、苦しい。誰か来るって……」

「誰も来ない。ここは、俺が高校の時から目を付けていた場所だ」

「目を付けてたって、何だよそれ……」

俺が呆れたように笑うと、湊は抱きしめる力を少しだけ緩め、俺の顔を覗き込んできた。
その瞳は、先ほどまでの刺すような鋭さが消え、ひどく熱っぽく、それでいて不安げに揺れている。

「……悠真、お前は本当に……俺でいいのか?」

「……は? 今さら何言ってんだよ。俺が『いい』って言わなきゃ、こんなところで抱き抱えられたりしてねーだろ」

俺が顔を真っ赤にしながら毒づくと、湊はふっと相好を崩した。
その笑顔に、俺の心臓は再び大きな音を立てる。

「……そうだな。お前はそういう奴だった。……一度懐に入れたら、絶対に追い出さない」

「追い出せるわけないだろ。……お前がいない生活なんて、もう考えられないんだから」

本音だった。
ルームシェアを始めてたった数日。
だけど、朝のコーヒーの匂いも、夜の仕切りカーテン越しの気配も、今の俺にとっては「生きていくためのルーティン」の一部になってしまっている。

湊は俺の頬を親指でそっとなぞると、そのまま耳たぶに触れた。

「……耳、真っ赤だぞ」

「うるさい、誰のせいだと思ってんだよ……っ」

午後の講義が終わり、俺たちは「カモフラージュ」のために、あえて少し時間をずらして帰宅することにした。
先に家に着いた俺は、なんだか落ち着かない気分でリビングの掃除を始めた。
コロコロをカーペットに転がしながら、頭の中は湊のことばかり。

(『昨日の続き』って……あいつ、本気だよな)

昨日の夜、押し倒された時の感触。
首筋に触れた湊の唇の熱さ。


そこから先、俺たちがどうなってしまうのか。
想像するだけで、持っていたコロコロを放り投げたくなるほど顔が熱い。

ガチャリ、と玄関の扉が開く。

「……ただいま」

「お、おかえり……っ、早かったな」

入ってきた湊は、ジャケットを脱ぎながら、俺の様子をじっと観察するように見ていた。

「……なんだ、その態度は。……そんなに俺に怯えてるのか?」

「怯えてねーよ! 掃除してただけだ!」

湊はくすりと笑い、キッチンへ向かって手を洗った。

「飯の前に、少し話がある。……座れ」

真面目なトーン。俺は正座するようにソファに座り直した。

湊は俺の向かい側に座ると、一枚のチラシをテーブルに置いた。

『秋の夜長に。ベイサイド・イルミネーション開催』

「……これ、来週末だ。……一緒に行かないか。……デート、として」

湊は、まるで重要な会議の提案でもするかのような硬い表情で言った。
だけど、その耳の端が少しだけ赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。

「デート……。……いいの? 湊、そういうの混んでるところ嫌いだろ」

「嫌いだ。……だが、お前と行くなら話は別だ。……それに、お前にちゃんとした『恋人』としての思い出を一つずつ作ってやりたいんだ」

湊の言葉の一つひとつが、俺の胸の奥底にある、自分でも気づかなかった寂しさを埋めていくようだった。
俺はずっと、湊にとっての「特別な存在」になりたいと思っていた。
だけど、それはあくまで親友としての話だと思っていた。


それが今、「恋人」として約束を交わしている。

「……行く。行きたい。……俺も、湊とどこか行きたいって思ってた」

「……そうか。決まりだ。……予約、取っておく」

湊は満足げに頷くと、立ち上がって俺の隣に座った。
不自然なほど密着した距離。
肩と肩が触れ合い、再びあの濃密な空気がリビングを満たす。

「……悠真」

「ん?」

「……さっきの話だが。……『続き』、嫌か?」

湊の声が、少しだけ低くなる。


彼は俺の手をとり、指の腹で俺の手の甲を優しく愛撫した。


その仕草だけで、身体中の力が抜けてしまいそうになる。

「……嫌じゃ、ないけど……。……でも、俺、よく分かんないし……」

「俺だって初めてだ。……お前と一緒に、一つずつ覚えていきたいんだ」

湊の顔が、ゆっくりと近づいてくる。


リビングの時計の針が刻む音が、やけに大きく聞こえた。


今夜は、カーテンで仕切られた寝室ではなく、このリビングの柔らかな明かりの下で。


俺は、湊の首にゆっくりと腕を回した。

「……湊……」

「……あぁ」

唇が重なる寸前、湊が掠れた声で囁いた。

「……大好きだ、悠真。……夢じゃなくて、今、ここにいるお前が」

その言葉が、俺の最後の一線を溶かした。


外では冷たい夜風が吹き抜けているけれど、この二LDKの部屋の中だけは、春のように熱く、甘い時間が流れようとしていた。