無愛想なルームメイトは、夢の中で俺に溺れている

卒業式の喧騒が遠ざかり、夕闇が迫るがらんとした旧居。


二人の足音だけが、家具のなくなったフローリングに寂しく、けれど力強く響いていた。

「……本当に、何もなくなっちゃったな」

俺は窓際へ歩み寄り、サッシの溝に溜まったわずかな埃を見つめた。


ここで湊の寝言に驚き、仕切りカーテン越しにぎこちない会話を交わし、そして……あの夜、初めて互いの体温を分け合った。
すべての記憶が、この剥き出しの壁に染み付いているような気がした。

「悠真、そんな顔をするな。思い出は頭の中に持っていけばいい。……それとも、ここを離れるのが名残惜しいか?」

湊が背後から俺の肩に手を置き、その首筋に顔を埋めてきた。
新しいスーツの生地の匂いが、あいつの熱い吐息と混ざり合って鼻腔をくすぐる。

「名残惜しいよ。……だって、ここが俺たちの『始まり』の場所だったから。お前のあんなに必死な寝言を聞かなきゃ、俺、きっと一生お前の本当の気持ちに気づかなかった」

俺がそう言うと、湊は俺の身体をくるりと自分の方へ向かせた。

「……あれは、俺の人生最大の失態であり、最大の幸運だった」

湊の手が俺の頬を包み込み、親指が唇をそっとなぞる。

「あの頃の俺は、お前を失う夢ばかり見ていた。ルームシェアを提案した時も、本当はお前をこの部屋に閉じ込めて、外の世界から隠してしまいたかった。……お前が誰かと笑うたび、俺の心臓は嫉妬で焼け焦げていたんだ。……醜いだろ?」

あいつの言葉は、まるで告解のようだった。
俺は湊の胸に手を当て、力強く打ち鳴らされている心音を確かめた。

「醜くないよ。……そんなに、必死に俺を求めてくれてたんだろ? だったら、俺がその全部を受け止めてやる。……これから先の人生、全部使ってさ」

俺の言葉に応えるように、湊が深く、縋るような口づけを落としてきた。


かつてのような強引な独占欲だけではない。
そこには、共に生きていくという静かな、けれど揺るぎない覚悟が宿っていた。


新しいマンションへの移動。


湊が用意したその部屋は、高層階の窓から街の灯りを見下ろす、見事な眺望を誇っていた。


最新の設備、広々としたリビング、そして……一つしかない、大きなベッド。

「……湊、これ。わざとだろ?」

寝室を覗き込んだ俺が苦笑いすると、湊はキッチンでシャンパンの栓を抜きながら、不敵に口角を上げた。

「あぁ。もうカーテンで仕切る必要もないし、ベッドを二つ並べる手間も省ける。……これからは、寝言も、寝息も、すべて至近距離で聞き合えばいい」

俺はソファに腰を下ろし、湊が淹れてくれたグラスを受け取った。


窓の外には、四年前には想像もしていなかった、眩いばかりの夜景が広がっている。

「……なぁ、湊。社会人になったら、もっと大変なこともあるよな。佐々木みたいに気づいてくれる奴ばかりじゃないだろうし、隠さなきゃいけないことも増えるかもしれない」

俺が不安を口にすると、湊はグラスを置き、俺の隣に深く腰掛けて、俺の手をしっかりと握った。

「隠せばいい。世界を騙し続けてもいい。……だが、このドアを閉めた後だけは、お前は自由だ。俺の愛を全身で受けて、俺を愛し返す。……それだけで、俺たちは無敵になれる」

あいつの瞳には、一切の迷いがなかった。


寝言で俺の名前を呼んでいた、あの孤独な秀才はもういない。


ここには、俺という唯一無二の伴侶を得て、本当の意味で完成した一人の男がいた。

「……分かった。じゃあ、俺も決めた。……湊が俺を離さないって言うなら、俺も一生、お前の横から動かない。……どんなに重くても、逃げたりしないからさ」

俺が微笑むと、湊は感極まったように俺を抱き寄せた。


首筋に顔を埋められ、あいつが短く「……あぁ」と吐息をもらす。

その夜、新しいシーツの香りに包まれながら、俺たちはこれからの夢を語り合った。


仕事のこと、次の休みのこと、いつか二人で海外へ行くこと。


語り尽くせないほどの未来が、この部屋の暗闇の中に輝いている。


明け方。


うとうとと眠りに落ちる寸前、隣から微かな、けれど確かな声が聞こえた。

「……ゆうま、……愛してる……」

それは、もう悲鳴のような叫びではなかった。


安らぎに満ちた、甘い、甘い誓いの言葉。


俺は隣で眠る「永遠の同居人」の腕をぎゅっと掴み、自分も心地よい眠りの中へと沈んでいった。


カーテンのいらない、新しい朝が、すぐそこまで来ていた。