「……ったく、カツカレー三回分じゃ足りねえからな。特盛り、トッピング全乗せだぞ」
佐々木はそう吐き捨てて、いつものように自分のスマホをいじり始めた。
そのぶっきらぼうな背中が、俺にはどんな励ましの言葉よりも温かく感じられた。
講義中、俺の心はふわふわと宙に浮いているようだった。
隣に座る湊は、いつものように淡々とノートを取っている。
だが、その筆致はどこか迷いがなく、鋭い。
佐々木に知られたことで、あいつの中の「防衛本能」が、一種の「決意」に変わったのかもしれない。
ふと視線を感じて横を向くと、湊がペンを止めて俺を見ていた。
「……悠真。顔、緩んでるぞ」
「えっ、嘘、マジで?」
慌てて口元を押さえる俺に、湊は周囲から見えない位置で、俺の手の甲を自分の万年筆の尻で軽くつついた。
「安心したか」
「……うん。もっと最悪なこと、想像してたから」
「……俺もだ。お前が佐々木を選ぶなら、俺はあいつをこの大学から抹消しなければならないところだった」
「不穏なこと言うのやめろって!」
小声で突っ込むと、湊は満足げに視線を黒板に戻した。
この男の愛は、相変わらず冗談に聞こえない重さを含んでいる。
だが、その重さが今は心地よかった。
昼休み。
約束通り、俺たちは学食で佐々木を「もてなす」ことになった。
特盛りカツカレーを前に、佐々木はガツガツとスプーンを動かしている。
「で……お前ら、卒業したらどうすんだよ」
唐突な問いに、俺は水を飲む手を止めた。
「どうするって……普通に就職して……」
「そうじゃねえよ。ルームシェア、続けるのかって聞いてんだ」
佐々木はカレーを飲み込み、真剣な目で湊を見た。
「一ノ瀬、お前、大手からの内定固まってるだろ。わざわざ悠真と狭いアパートに住み続ける必要なんてねえはずだ。……でも、お前のことだから、もう次の『檻』を用意してるんだろ?」
「檻とは人聞きが悪いな。……新しいマンションの候補なら、すでにいくつかピックアップしてある」
湊は当然のように、スマホの画面を佐々木に向けた。
そこには、今住んでいる部屋よりもずっと広く、セキュリティの厳重そうな物件が並んでいた。
「……えっ、湊、いつの間に……」
「お前が就職先を決める前に、通勤しやすい場所を絞っておいた。……次は、仕切りのカーテンなんて付けられない間取りにするつもりだ」
湊の言葉に、俺は顔が火照るのを感じた。
カーテンのない生活。
それは、二十四時間、あいつの視線から逃げられないことを意味している。
「ヒュー、ご馳走様。カレーより胸焼けするわ」
佐々木は呆れたように笑い、トレイを持って立ち上がった。
「まぁ、いいんじゃねえの。……お前らがそうやって『バカ』やってるうちは、俺も独身で遊んでやるよ。……あ、でもな、悠真」
佐々木は去り際、俺の耳元で小さく囁いた。
「一ノ瀬の愛は、たまに底が見えねえ時がある。……もし、本当に苦しくなったら、いつでも俺を呼べよ。……逃げ道くらいは作ってやるからさ」
それは、親友としての最後のアドバイスだったのかもしれない。
俺は佐々木の背中を見送りながら、隣で俺の袖をギュッと掴んでいる湊の手を、そっと握り返した。
その日の夜。
帰宅した俺たちは、どちらからともなくリビングのソファに倒れ込んだ。
湊が俺の肩に顔を埋め、深く、深く息を吸い込む。
「……悠真、佐々木に何を言われた」
「え……別に、何でもないよ。カツカレーが美味かったってさ」
「嘘をつくな。……あいつ、お前に何か、余計なことを言っただろう」
湊の腕が、俺の腰を締め上げる。
嫉妬。
独占。
佐々木が味方になってくれた後も、湊の中の「渇き」は少しも癒えていないようだった。
「……大丈夫だよ。俺は、どこにも行かない。……湊が用意する、次の『檻』にも、喜んで入ってやるよ」
俺が自虐的に笑いながら湊の髪を撫でると、湊は顔を上げ、俺の唇に噛み付くような激しいキスをした。
「……あぁ。絶対に、逃がさない。……お前が俺の名前を、寝言じゃなくて、……魂で呼ぶようになるまで、俺はお前を愛し続ける」
窓の外では、夜の街が静かに息づいている。
俺たちのルームシェアという名の「共依存」は、社会という荒波に揉まれながらも、より純粋で、より狂気的な形へと進化しようとしていた。
明日、また大学へ行けば「普通の友達」を演じる時間が待っている。
けれど、この部屋の扉を閉めた瞬間、俺たちは世界でたった二人だけの、名前のない関係に戻るのだ。
「……湊、大好きだよ」
「……知っている。……だが、もっと言え。何度でも、俺を肯定しろ」
夜はまだ始まったばかりだった。
俺たちの、終わりのない、秘密の時間が。
佐々木はそう吐き捨てて、いつものように自分のスマホをいじり始めた。
そのぶっきらぼうな背中が、俺にはどんな励ましの言葉よりも温かく感じられた。
講義中、俺の心はふわふわと宙に浮いているようだった。
隣に座る湊は、いつものように淡々とノートを取っている。
だが、その筆致はどこか迷いがなく、鋭い。
佐々木に知られたことで、あいつの中の「防衛本能」が、一種の「決意」に変わったのかもしれない。
ふと視線を感じて横を向くと、湊がペンを止めて俺を見ていた。
「……悠真。顔、緩んでるぞ」
「えっ、嘘、マジで?」
慌てて口元を押さえる俺に、湊は周囲から見えない位置で、俺の手の甲を自分の万年筆の尻で軽くつついた。
「安心したか」
「……うん。もっと最悪なこと、想像してたから」
「……俺もだ。お前が佐々木を選ぶなら、俺はあいつをこの大学から抹消しなければならないところだった」
「不穏なこと言うのやめろって!」
小声で突っ込むと、湊は満足げに視線を黒板に戻した。
この男の愛は、相変わらず冗談に聞こえない重さを含んでいる。
だが、その重さが今は心地よかった。
昼休み。
約束通り、俺たちは学食で佐々木を「もてなす」ことになった。
特盛りカツカレーを前に、佐々木はガツガツとスプーンを動かしている。
「で……お前ら、卒業したらどうすんだよ」
唐突な問いに、俺は水を飲む手を止めた。
「どうするって……普通に就職して……」
「そうじゃねえよ。ルームシェア、続けるのかって聞いてんだ」
佐々木はカレーを飲み込み、真剣な目で湊を見た。
「一ノ瀬、お前、大手からの内定固まってるだろ。わざわざ悠真と狭いアパートに住み続ける必要なんてねえはずだ。……でも、お前のことだから、もう次の『檻』を用意してるんだろ?」
「檻とは人聞きが悪いな。……新しいマンションの候補なら、すでにいくつかピックアップしてある」
湊は当然のように、スマホの画面を佐々木に向けた。
そこには、今住んでいる部屋よりもずっと広く、セキュリティの厳重そうな物件が並んでいた。
「……えっ、湊、いつの間に……」
「お前が就職先を決める前に、通勤しやすい場所を絞っておいた。……次は、仕切りのカーテンなんて付けられない間取りにするつもりだ」
湊の言葉に、俺は顔が火照るのを感じた。
カーテンのない生活。
それは、二十四時間、あいつの視線から逃げられないことを意味している。
「ヒュー、ご馳走様。カレーより胸焼けするわ」
佐々木は呆れたように笑い、トレイを持って立ち上がった。
「まぁ、いいんじゃねえの。……お前らがそうやって『バカ』やってるうちは、俺も独身で遊んでやるよ。……あ、でもな、悠真」
佐々木は去り際、俺の耳元で小さく囁いた。
「一ノ瀬の愛は、たまに底が見えねえ時がある。……もし、本当に苦しくなったら、いつでも俺を呼べよ。……逃げ道くらいは作ってやるからさ」
それは、親友としての最後のアドバイスだったのかもしれない。
俺は佐々木の背中を見送りながら、隣で俺の袖をギュッと掴んでいる湊の手を、そっと握り返した。
その日の夜。
帰宅した俺たちは、どちらからともなくリビングのソファに倒れ込んだ。
湊が俺の肩に顔を埋め、深く、深く息を吸い込む。
「……悠真、佐々木に何を言われた」
「え……別に、何でもないよ。カツカレーが美味かったってさ」
「嘘をつくな。……あいつ、お前に何か、余計なことを言っただろう」
湊の腕が、俺の腰を締め上げる。
嫉妬。
独占。
佐々木が味方になってくれた後も、湊の中の「渇き」は少しも癒えていないようだった。
「……大丈夫だよ。俺は、どこにも行かない。……湊が用意する、次の『檻』にも、喜んで入ってやるよ」
俺が自虐的に笑いながら湊の髪を撫でると、湊は顔を上げ、俺の唇に噛み付くような激しいキスをした。
「……あぁ。絶対に、逃がさない。……お前が俺の名前を、寝言じゃなくて、……魂で呼ぶようになるまで、俺はお前を愛し続ける」
窓の外では、夜の街が静かに息づいている。
俺たちのルームシェアという名の「共依存」は、社会という荒波に揉まれながらも、より純粋で、より狂気的な形へと進化しようとしていた。
明日、また大学へ行けば「普通の友達」を演じる時間が待っている。
けれど、この部屋の扉を閉めた瞬間、俺たちは世界でたった二人だけの、名前のない関係に戻るのだ。
「……湊、大好きだよ」
「……知っている。……だが、もっと言え。何度でも、俺を肯定しろ」
夜はまだ始まったばかりだった。
俺たちの、終わりのない、秘密の時間が。


