合宿から戻って数日が過ぎた。
首筋の痕もようやく薄くなり、俺の生活はようやく「平穏」を取り戻したかに見えた。
……しかし、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
きっかけは、あまりにも間抜けな凡ミスだった。
三限の講義。俺は課題のレポートを湊に渡そうとして、間違えて自分たちの「家」の合鍵が入ったキーホルダーを湊の机に置いてしまったのだ。
「あ、悪い、湊。これ……」
「……あぁ、預かっておく」
そのやり取りを、隣の席でぼんやりと眺めていた佐々木が、突然目を見開いた。
「……なぁ、悠真。お前らのそれ、お揃いのキーホルダーだよな?」
「えっ? あ、あぁ。ルームシェア始めた時に、どっちの鍵か分かるように色違いで買ったんだよ」
「…………そうか。……お前ら、ちょっと後でいいか」
佐々木のトーンは、いつものおちゃらけたものではなかった。
嫌な予感が、背筋を這い上がってくる。
講義の後、俺たちは大学の裏手にある寂れたベンチに呼び出された。
佐々木は俺たちの前に立つと、深く、深いため息をついた。
「……俺、ずっと『おかしい』と思ってたんだ。合宿の時だって、一ノ瀬のガードが尋常じゃなかったしな」
「……何が言いたいんだ、佐々木」
湊が、俺を庇うように一歩前へ出る。
「とぼけんなよ。お前ら、ただのルームメイトじゃねーだろ。……一ノ瀬が言ってた『世界で一番大切な奴』って、悠真のことなんだな?」
心臓がドクリと跳ねた。
俺は否定する言葉を探したが、佐々木の真っ直ぐな瞳を前にして、喉がくっついて動かなかった。
「……いつからだ? いつからそんな関係になったんだよ。……親友だと思ってたのは、俺だけだったのか?」
「違う、佐々木! それは……」
「……あぁ、その通りだ」
遮ったのは、湊だった。
彼は迷いのない声で、はっきりと告げた。
「俺は悠真を愛している。……昨日今日始まったことじゃない。ずっと前から、俺にはこいつしかいなかったんだ」
「湊……っ!」
「隠すつもりはなかったが、悠真が傷つくのを恐れて言えなかった。……佐々木、お前を騙す形になったのは謝る。だが、俺たちの関係を否定するつもりは微塵もない」
佐々木は拳を握りしめ、しばらく震えていた。
軽蔑される。
縁を切られる。
……そんな最悪の想像が頭をよぎり、俺はギュッと目を閉じた。
「…………バカ野郎」
低く、絞り出すような声。
顔を上げると、佐々木は泣きそうな、それでいて呆れたような顔で笑っていた。
「……なんで俺に相談しねーんだよ。……俺がそんなに、偏見の塊みたいに見えたか? 寂しいじゃねーか。……お前らが付き合ってることより、俺が信頼されてなかったことの方がよっぽどショックだわ」
「え……? 佐々木、お前……」
「応援……とはまだ照れくさくて言えねーけど。……でも、一ノ瀬。お前、悠真を泣かせたら、俺が全力で奪いに行くからな。覚えとけよ」
佐々木はそれだけ言うと、乱暴に自分の鼻をすすり、背中を向けて歩き出した。
「……ったく、お似合いすぎてムカつくんだよ、お前ら!」
静かになった中庭。
俺は力の抜けた身体をベンチに預け、天を仰いだ。
「……怖かった……」
「……すまない、悠真。俺がもっと慎重であれば……」
「……いや。……良かったよ。佐々木には、隠したくなかったから」
俺は湊の手を、今度は人目を気にせずに握りしめた。
一つの壁を乗り越えた。だけど、これはまだ始まりに過ぎない。
「……湊。俺、もっと強くなるよ。お前の『大切な人』として、胸を張って隣にいられるように」
「……あぁ。お前は、もう十分強い。……俺を、こんなにも狂わせているんだからな」
夕焼けに染まるキャンパス。
俺たちの関係は、もはや二人の部屋の中だけの秘密ではなくなった。
誰かに知られることの恐怖よりも、誰かに自分たちの絆を認められた喜びが、今は少しだけ勝っていた。
「……帰ろうか。俺たちの、家に」
「……あぁ。……帰ろう」
「友達」だった俺たちは、もうどこにもいない。
だけど、新しく生まれ変わった俺たちの物語は、この場所から、より鮮やかに色づいていく。
首筋の痕もようやく薄くなり、俺の生活はようやく「平穏」を取り戻したかに見えた。
……しかし、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
きっかけは、あまりにも間抜けな凡ミスだった。
三限の講義。俺は課題のレポートを湊に渡そうとして、間違えて自分たちの「家」の合鍵が入ったキーホルダーを湊の机に置いてしまったのだ。
「あ、悪い、湊。これ……」
「……あぁ、預かっておく」
そのやり取りを、隣の席でぼんやりと眺めていた佐々木が、突然目を見開いた。
「……なぁ、悠真。お前らのそれ、お揃いのキーホルダーだよな?」
「えっ? あ、あぁ。ルームシェア始めた時に、どっちの鍵か分かるように色違いで買ったんだよ」
「…………そうか。……お前ら、ちょっと後でいいか」
佐々木のトーンは、いつものおちゃらけたものではなかった。
嫌な予感が、背筋を這い上がってくる。
講義の後、俺たちは大学の裏手にある寂れたベンチに呼び出された。
佐々木は俺たちの前に立つと、深く、深いため息をついた。
「……俺、ずっと『おかしい』と思ってたんだ。合宿の時だって、一ノ瀬のガードが尋常じゃなかったしな」
「……何が言いたいんだ、佐々木」
湊が、俺を庇うように一歩前へ出る。
「とぼけんなよ。お前ら、ただのルームメイトじゃねーだろ。……一ノ瀬が言ってた『世界で一番大切な奴』って、悠真のことなんだな?」
心臓がドクリと跳ねた。
俺は否定する言葉を探したが、佐々木の真っ直ぐな瞳を前にして、喉がくっついて動かなかった。
「……いつからだ? いつからそんな関係になったんだよ。……親友だと思ってたのは、俺だけだったのか?」
「違う、佐々木! それは……」
「……あぁ、その通りだ」
遮ったのは、湊だった。
彼は迷いのない声で、はっきりと告げた。
「俺は悠真を愛している。……昨日今日始まったことじゃない。ずっと前から、俺にはこいつしかいなかったんだ」
「湊……っ!」
「隠すつもりはなかったが、悠真が傷つくのを恐れて言えなかった。……佐々木、お前を騙す形になったのは謝る。だが、俺たちの関係を否定するつもりは微塵もない」
佐々木は拳を握りしめ、しばらく震えていた。
軽蔑される。
縁を切られる。
……そんな最悪の想像が頭をよぎり、俺はギュッと目を閉じた。
「…………バカ野郎」
低く、絞り出すような声。
顔を上げると、佐々木は泣きそうな、それでいて呆れたような顔で笑っていた。
「……なんで俺に相談しねーんだよ。……俺がそんなに、偏見の塊みたいに見えたか? 寂しいじゃねーか。……お前らが付き合ってることより、俺が信頼されてなかったことの方がよっぽどショックだわ」
「え……? 佐々木、お前……」
「応援……とはまだ照れくさくて言えねーけど。……でも、一ノ瀬。お前、悠真を泣かせたら、俺が全力で奪いに行くからな。覚えとけよ」
佐々木はそれだけ言うと、乱暴に自分の鼻をすすり、背中を向けて歩き出した。
「……ったく、お似合いすぎてムカつくんだよ、お前ら!」
静かになった中庭。
俺は力の抜けた身体をベンチに預け、天を仰いだ。
「……怖かった……」
「……すまない、悠真。俺がもっと慎重であれば……」
「……いや。……良かったよ。佐々木には、隠したくなかったから」
俺は湊の手を、今度は人目を気にせずに握りしめた。
一つの壁を乗り越えた。だけど、これはまだ始まりに過ぎない。
「……湊。俺、もっと強くなるよ。お前の『大切な人』として、胸を張って隣にいられるように」
「……あぁ。お前は、もう十分強い。……俺を、こんなにも狂わせているんだからな」
夕焼けに染まるキャンパス。
俺たちの関係は、もはや二人の部屋の中だけの秘密ではなくなった。
誰かに知られることの恐怖よりも、誰かに自分たちの絆を認められた喜びが、今は少しだけ勝っていた。
「……帰ろうか。俺たちの、家に」
「……あぁ。……帰ろう」
「友達」だった俺たちは、もうどこにもいない。
だけど、新しく生まれ変わった俺たちの物語は、この場所から、より鮮やかに色づいていく。


