無愛想なルームメイトは、夢の中で俺に溺れている

週末。約束のデート当日。  


俺は鏡の前で、三十分近くも格闘していた。

「……これ、地味すぎないか? いや、気合入れすぎだと思われても恥ずかしいし……」

普段は適当に手に取ったパーカーを着るだけなのに、今日は違う。
相手はあの、何を着てもカタログのモデルみたいに見える湊だ。
少しでも隣を歩くのに見劣りしたくない、という見栄が、俺をこれほどまでに悩ませていた。

「悠真、準備はできたか? ……あぁ、その服、似合ってるぞ」

ひょいと寝室を覗き込んできた湊に、俺は肩を跳ねさせた。  


湊はネイビーのチェスターコートをさらりと羽織り、首元にはグレーのストール。


……くそ、やっぱり完封勝利のかっこよさだ。


「……お前、いつもよりさらに気合入ってないか?」

「当然だ。今日は俺たちの『初デート』なんだからな。……行こうか」

湊は当たり前のように俺の指に自分の指を絡めようとして、玄関の手前でハッとしたように手を止めた。

「……外に出たら、我慢するんだったな」

「……あぁ。バレたら、湊のファンクラブの人たちに刺される」

「……お前を守るためなら、俺は盾にでもなるが」

そんな物騒なことを真顔で言う湊に苦笑いしながら、俺たちは並んで家を出た。


ベイサイド・イルミネーション。  


そこは、どこを見渡してもカップル、カップル、カップルの山だった。  


海沿いの散歩道には数え切れないほどのLEDが煌めき、まるで夜空をそのまま地上に降ろしてきたような輝きを放っている。

「……すごいな。湊、これお前が選んだのか?」

「あぁ。……お前は、こういう綺麗なものが好きだろうと思ってな」

人混みの中、はぐれないようにと、湊が俺のコートの袖口をぎゅっと掴んできた。  


直接手を繋ぐわけにはいかないけれど、その「袖を引く」という控えめな仕草が、かえって俺の心臓を騒がせる。

「あ、見て! あそこのツリー、めちゃくちゃでかい!」

「あぁ、そうだな」

「湊、写真撮ろうぜ。ほら、スマホ貸せよ」

テンションの上がった俺が湊を振り返ると、あいつはツリーなんて見ていなかった。  


俺のことを、ひどく熱っぽい、それでいて優しい眼差しで見つめていた。

「……悠真。……お前が笑うと、イルミネーションなんてどうでもよくなる」

「っ、……お前、そういうこと外で言うなよ!」

俺は真っ赤になって顔を伏せた。  


こいつは付き合い始めてから、恥ずかしい台詞を吐くスピードが加速している。  


そのまま歩き続けていると、ふと後ろから「えっ、一ノ瀬くん!?」という黄色い声が聞こえた。


反射的に背筋が凍る。  


振り返ると、そこには大学の同じ講義を受けている女子学生たちが三人、目を丸くして立っていた。

「やっぱり! こんなところで何してるの? ……あ、瀬戸くんも一緒なんだ」

「……あぁ。偶然、会ったな」

湊の返事は、相変わらず冷淡で隙がない。

「もしかして、二人は遊びに来たの?」

「……勉強の息抜きだ」

無理があるだろ、その言い訳。
イルミネーション見ながら勉強の息抜きなんて、誰が信じるんだ。  


案の定、女子たちはニヤニヤしながら、凑の横にいる俺を品定めするように見た。

「そういえば一ノ瀬くん、『大切な人がいる』って言ってたよね。今日はその人とデートじゃないの?」

「……あぁ。……一緒にいる」

俺の心臓が、本日最大級の音を立てた。  


湊、お前、何を——。

「えっ! どこどこ!? 紹介してよ!」

「……今は、俺の隣にいる奴との時間を邪魔されたくないんだ。……行くぞ、悠真」

湊はそれだけ言うと、固まる彼女たちを残して、俺の腕を強引に引いて歩き出した。  

「お、おい湊! さっきの……!」

「……もういいだろ。……嘘は言ってない」

人気のない、海風が強く吹き抜ける桟橋の影。  


湊はそこでようやく足を止め、耐えきれないというように俺を背後から抱きしめた。  


冷たい潮風の中で、湊の体温だけが異様に熱く、俺の背中を焼く。

「……我慢できない。……外だとか、隠さなきゃいけないとか、そんなこと忘れて……お前を、俺のものだって証明したい」

「……湊……」

湊の顔が、俺の肩口に埋められる。

「お前が他の奴と話しているのも、誰かにジロジロ見られるのも……俺は、ずっと狂いそうになるんだ。……悠真、俺はお前が思っている以上に、余裕がないんだよ」

あいつの声は、震えていた。  


完璧だと思っていた一ノ瀬湊。
だけど、俺という存在ひとつで、こんなにも脆く、弱くなってしまう。  


俺は、背後に回された湊の腕に、自分の手を重ねた。

「……分かってる。……俺だって、さっきの子たちに話しかけられて、湊を取られちゃうんじゃないかって怖かったんだ」

「……悠真?」

「……だから。……早く、帰ろう。……二人の部屋に。……そこなら、誰の目も気にしなくていいだろ」

俺がそう囁くと、湊は目に見えて息を呑んだ。  


抱きしめる力が、さらに強くなる。

「……後悔しても、知らないぞ」

「……後悔なんて、もう何日も前に捨ててきたよ」

俺たちは、煌めく光の海を背にして、走り出した。  


色とりどりのイルミネーションよりも、ずっと熱く、激しく燃え上がる自分たちの熱を逃さないように。


新居に帰り着き、玄関の鍵を閉めた瞬間。  


暗闇の中で、俺たちはどちらからともなく求め合うように、唇を重ねた。


もう、カーテンなんていらない。  


この部屋のすべてが、俺たちの境界線なのだから。