カーテンの隙間より覗く、柔らかな日差し。昨日の雨が嘘のように晴れ渡る、冬の淡い空。
 そんなお日様に照らされた黒色の毛は艶やかに光り、瞼がピクッと動いたかと思えば閉じていた目をそっと開く。
 ボーとした細い目がかわいいらしく、伸びをした拍子に尻尾がふにゃっと揺れる。
 そうかと思えば突然、目をパチリと開けムクリと起き上がる。黒目が大きくなり、キョロキョロとし始めた。
 体を屈め、尻尾を尖らせ、一歩、また一歩とドア方向に向かっていく。

「ねぇ、どこに行くの〜?」
 あまりの可愛さに思わず声をかけると、猫の体はビクンと跳ね、こちらに体を向け「ミャオー」と唸ってくる。

 あ、そっか。ちゃーんとケジメつけないとね!
 そう思った私はピシッと正座をし、猫の目線で話しかけた。

「あのね、猫ちゃん。もう大丈夫だよ! 私が飼い主になります!」
 坂田真奈美、二十七歳、一大決心! 私、猫を飼います!

 このオンボロアパートの唯一の利点は、ペットOKだったこと。
 そんな特典いらないよ〜と思っていたけど、まさか役に立つ日がくるなんて!
 勿論、責任が伴うことは充分に分かってるよ。でもね、やっぱり放っておけないの!

『ニャア!』
『ねこぉー!』
 と映画みたいに抱きしめ合うのを妄想していたけど、現実はより体を低くした猫は、尻尾を振ってくるだけだった。

「……ま、まあ、尻尾振ってるなら喜んでくれてるのかなぁ?」
 その問いかけにピクッとなった猫は、やたら「ニャアニャア!」と話してくるけど、あいにく猫語は分かんないんだ私は。

 必死に話をしていた猫は「ニャア」と溜息を吐いたかと思えば、プイッとドアに向かってトテトテと歩き出す。

「ええー! ちょっと、話聞いてたぁー? 一緒に暮らそうよ! モフモフしようよ!」
 猫の隙間をついて先回りし、玄関前にドンと立ち尽す。
 こうなったら、実力行使だ!

 そんな私を見上げた猫の目は、どんどんと開いていく。ムクっと動いた尻尾もどんどんと膨らんでいき、毛がピシッと逆立つ。そして、体がプルプルと震えると震えたかと思えば。
「ガラクタいっぱいニャ! 埃もいっぱいニャ! アタイ、黒の体好きニャ! 白猫になりたくないニャアアアアアー!」
 目をくわっと見開いたかと思えば、ニャアニャアニャアと吠える猫。

 普通だったら「猫が喋ったぁ〜!」と叫ぶんだろうけど、私は目をパチクリさせ「は? えっ?」と声が漏れ、何かのドッキリ番組かとカメラを探してしまう。間違いなく企画をボツにしてしまうターゲットとなるだろう。

「ニャ? ニャアー! アニャアニャ」
 猫は首を横にフリフリとし、このフカフカな体も毛並みもモフモフと揺れる。
 これが作り物になんて見えないし、スピーカー? みたいな物も見つからない。

「まあ、そうだよね。ドッキリなんてあるわけなしい、大体さぁ、猫が喋るなんて物語の中だけだし〜」
 手をコイコイと振り、ケラケラと笑ってみせる。

「……ふぅ。簡単な性格で良かったニャ。毛糸のように丸め込めたニャ」
 小さな手を、まるで毛糸で遊ぶ仕草のようにコネコネとし出す猫。
 目を細めてニャアニャアと笑う声が、どうにもこの声とシンクロしているように見えた。

「誰が毛糸だって?」
「ニャ? ニャアアアー!」
 私のドスの効いた声に体をピックーンと震わせたかと思えば、「ダダ漏れだニャー!」、「必殺技だニャ!」とワニャワニャと独り言を漏らす。
 何言ってんの? と眉を吊り上げながら見つめたら、「ニャアーン」と子猫のように甘い声を出しながら仰向けになり、お腹を見せてきた。

「えっ、うそ! 可愛いー!」
 顔に肉球を押し当てコイコイとする仕草はあまりにも無邪気で、猫が喋るかなんて、どーでも良くなる。
 きゅううううん〜と射抜かれた胸を抑えてクラクラしていると、「このニンゲン、チョロいニャー!」と目を細めて、舌をペロッと出している猫がいた。

「……やっぱ、喋ってんじゃーん!」
 猫の脇下を掴んで抱き上げると、「ニャ?」と手に顔を置きポーズを決めるけど、もう騙されないんだからね!

 互いに見つめ合いしばらく沈黙が続いたかと思えば、「……やって、しまったニャ。反省会ニャ……」と声がして、スルスルと私の手から抜けていきカーペットの下にシュタッと降り立つ。

「ニンゲン、このことはニャン密にニャ」
 キリッとした目でそう言うけど、何か変。
「ニャン密? 内密ってことぉ?」
「そ、そうとも言うニャ!」
「そうとしか言わないし」
「ウニャアー!」
 前足をシュッシュとさせたかと思えば、プイッとそっぽ向きテケテケと歩き出す。

「え、ちょっと、待ってよぉ!」
 玄関に向かうその背中に、手を伸ばして声をかける。

「ねえ。もし……、もし私が部屋を片付けたら、……一緒に暮らしてくれたりとかする?」
 ピタリと足を止めた猫は、目を見開き口を広げてこっちを見つめてくる。耳がペタンと倒れたかと思えば、尻尾の先がフニャと落ちてくる。

「……暮らす、無理ニャ。あそこ、居るニャ」
 かろうじて聞き取れた、小さくて、拙い声。

「えっ? あの公園のこと?」
「ウニャア」
 コクリと頷くように、首を前に傾けてくる。

「えっ、なんでぇ? あそこ、なんかあったっけ?」
 猫のように膝と手の平を床に付けて、ヒョイヒョイと前に進む。猫の真ん前まで来て覗き込むように聞くと、猫は明らかにブスッとした表情を浮かべる。

「……あ、ごめん」
 気付けばそんな言葉が出ていて、心臓がドキンドキンと音を立てる。
 どこか空気が重くて、細めた目は遠くを見ていて、口元はキュッとなって。無神経な私は、触れてはいけない領域に入り込んでしまったようだ。

「まあ、散歩コースなら良いニャ」
 床にペタリと座り込んでしまった私の横を優雅に通り過ぎた猫は、窓からの日差しを浴びながらそう言ってきた。

「えっ? ……それって、遊びに来てくれるってこと?」
「散歩コースの一つニャ」
 こちらに一切顔を向けて来ない猫は、身を丸めたかと思えば自分の背中周りをペロペロとし出す。

「アタイ、デリケートだニャ。グチャグチャ、いやニャ。むずむずニャ」
 そう言う猫の視界は、窓の外より放たれる日差しではなく、それによって露見される部屋に舞う埃だった。
 まあ、つまり。散らかった部屋は毛に悪いと言いたいらしい。

「野良猫なのにぃ〜?」
「うるさいニャ、住処はぴかぴかニャ、ここと違うニャ、月とスッポンニャ!」
「はぁー! 猫のクセに生意気なんだけどぉ!」
 猫を捕まえようと手を伸ばして飛びつくも、シュッと避けられ、ドシンッと部屋に響く私が倒れる音。
 一階で良かった〜。
 そう思いながら顔を上げようとすると、畳んでいた洗濯物の山がバランスを崩して、顔にのしかかってくる。

 うわああああーん、せっかく畳んだのにぃー!
 適当に積み上げ、猫を探そうと周囲を見渡すと、視界に入ってくるのは物、物、物ー!

 うん。まあちょっと、散らかってるかな……?
 カーペットにうずめた鼻はなんかムズムズしてクシャミが止まらないし、さすがにヤバいかな?

 顔を上げれば猫もクシュンとしていて、「ニャニャ」と言いながら、手を仕切りに舐めている。

 ……居心地、悪いんだ。それじゃあ、この子も嫌がって当然だよね?
 カーペットをキュッと握ると、ブワッと舞う埃。ずっと敷きっぱなしだったから、こうなってしまった。

「……ああ、分かったよっ! 掃除して、片付けたら良いんでしょー! 綺麗にして、アンタが『離れたくないニャアー!』と言うような部屋にしてやるよぉー!」
 ガバッと立ち上がった私は、両手を腰にドンっと当て、声高々に宣言してみせる。

「え……、ホントかニャ?」
「女、坂本真奈美に二言はない!」
 ドドンッと効果音が鳴りそうな場面なのに、猫はシラッーとした表情を浮かべ、おまけに大きなあくびまで「クカァー」としている。

「フニャ〜。ムリと思うニャ」と言いつつ、私の足元まで来たかと思えば、モフモフな頭をスリスリと擦りつけてくる。
「猫?」
「仕方がないから、今日は我慢してやるニャ」
 私から離れて行った猫は、ストーブの前でコロンとボールのように転がり、また目を閉じてスヤスヤと眠り出す。

 よしっ! やってやろうじゃないの! 一人と一匹のモフモフ生活の為に部屋を片付けるからぁー!

「えいえい、おー!」
「うるさいニャ!」
 爪を立て、シャアー! とする猫に、「ごめんなさい」と謝る私。
 早速、主従関係ができてしまったようだ……。
 果たして、理想のモフモフ生活は実現できるのだろうか?