桜が蕾を付けて、春風に揺れる頃。
 冷めかけのコーヒーを口に運び、俯いてはホロっと涙を流し、猫のことを思っている。

 ああ、どうしてこうなるの? そんなの不条理過ぎるじゃない。猫が可哀想だよ。猫、猫、猫。

「ねーこぉー!」
「うるさいニャ!」
 コイコイと慣れた手付きで窓を開け、「ただいま」ではなく「うるさい」から始まる会話。
「足ニャ!」
「はいはい」
 濡れタオルで肉球をキュキュと拭き、「ニャ」と言って部屋に入ってくるのも変わらない。
 別に良いのにーって言ってるんだけど、だから部屋が汚くなるんだーってクロはプンプンとする。
 全く、猫のクセに几帳面なんだよなコイツは。

「何、泣いてるニャ?」
「この小説、すっごく良い話なの! 猫がねぇ……!」
「やっすい涙だニャ〜」
 口元に手を抑え、ニャニャと笑う。

「うるさーい! 血も涙もない猫めぇ!」
「血は流れてるし、涙は反射で出るニャ」
 首を横に振り、やれやれと言いたげなニヤけ顔。

「そうゆう意味じゃないわー! つーか、こんな寒いのに、よく散歩行くねぇ!」
「真奈美は、ずっと部屋に居るニャ」
「家に居るのが贅沢なの〜」

 それを聞いた猫は耳をピクッとさせ、私のお腹に目がけてダイブしてきて、ぼよーんぼよーんとトランポリンみたいに跳ね始める。
「そんなんだから、ムニムニするニャ」
「じゃかましいわー!」
 必殺、ムニュンムニュン攻撃を繰り出すと、また猫はバタバタとし出して「許してニャー!」と悶える。

 ま、こんな感じで、互いに自由で、ゆるい共同生活を送っている。だけどクロは必ず夜には戻って来て、同じ布団で眠る。
 なーんか隣に居ないと互いに落ち着かなくなって、いつの間にかそうなってたなー。

「さてと、小説読んだから、次は映画見よーと」
 いつか見よう、いつか読もう。そう思っていたものを一つずつ楽しむ。
 彼が居なくなって抜け殻になってしまった私は、とにかく無気力で何かをしようと思えなかった。
 人生の九割が彼になっていて、一割が仕事。趣味なんて言葉、すっかり忘れていたよ。
 だけど今は───。

「ニャアニャアー!」
 テレビに映し出されている猫の奮闘に、目の前の猫はボロボロと涙を流し、モフモフな手でコイコイと拭っている。

「やっすい涙だな〜」
「うるさいニャ、これは涙なしはムリなんニャ、真奈美は血も涙もないニャ!」
「あるわ! 大体これ、さっき私が読んでた小説の映画版だってーの!」
「ニャア!」
 口をあんぐりさせたクロは、この内容を読んであれだけしか泣かない私の涙は薄いとか、訳わからないことを言ってきた。
「何よ、涙が薄いってー!」
「血もサラサラニャー!」
「サラサラならいーじゃない!」

 世界一生産性のないケンカを繰り広げた私たちは、こたつに入って脱力してしまった。

「……ねぇ」
「何だニャ?」
「お互い体力ないし、ケンカはもっと穏やかにしない?」
「さ、賛成ニャ……」
 言葉を交わした私たちは、同時に俯き机に顔をうずめる。

「ねぇ、クロ」
「何だニャ?」
「今度、アンタの散歩コース連れて行ってくれない?」
 頬杖をつき、少し視線を逸らす。

 だってさ、私、アンタのことが知りたいんだもん。
 どんな景色を見て、どんな音を聞いて、何を思っているのか。
 だから外に出てみようと思うんだよね。クロと一緒ならね。

 逸らしていた目を黒いモフモフの方に戻すと、その目は見開きカタカタと震えていた。
「大変だニャ。異常事態発生だニャ。地震、雷、火事、真奈美だニャ」
「どうゆう意味ぃ?」
「アンタが散歩なんかするわけないニャ! 天変地異発生ニャ! 地球が破滅するニャアアアアアア!」
「はぁぁぁ? ……必殺、ムニャンムニャン攻撃!」
「フシャアアアア! 同じ手には乗らないニャー!」

 こうして始まる、新たな攻防戦。
 果たして、理想のモフモフ生活が訪れる日がくるのだろうか?