額にペタッと当たるのは、ヒヤッとするぐらいの濡れタオル。
 初めは身をすくませてしまうけど、密着する額の熱を取るようにどんどんと馴染んでいく。
 ちょっとぬるいなと思う頃にタオルは取られ、バシャバシャと遠くより音がしたかと思えば、またピタッと額に当たる心地よさ。

 呼吸が少し楽になり、目に力を入れられるぐらいの余裕が出てきて、そっと目を開ける。
 ぼやけた視界の先には、黒くて、モフモフで、柔らかそうな肉球が見え、こちらを見つめる黒猫がいた。

「……猫」
 ダルい手をムリに動かし伸ばそうとしたけど、キュッとそれを止める。
 私に、そんな資格ないよね……。
 
「ごめんニャ……。風邪を引かせるつもりなんて、なかったニャ」
 私の熱い顔に、モフモフな顔をスリスリとさせてきた猫は、「熱いニャ」と呟く。
「私の方こそ、ごめん……」
 枯れた声でボソッと呟くと、ポロっと涙まで溢れてきた。
 猫、ごめんね。無神経でごめん。その心の傷に気づかなくてごめん。
 だけどそれを言えば、猫にとって一番触れられたくない傷に触れてしまう。

 ……だから私は、一番触れられたくない自分の傷について話し始めた。
 ガラガラの声だけど、今しか。風邪を引いて気持ちが、いっぱいいっぱいになっている今じゃないと話せないから。


「私さ、子どもの頃から人付き合いとか苦手なんだよね」
 猫の顔を見て話すのが恥ずかしい私は、視線を少しずらして話を続ける。

「誰かとお酒を飲むより、一人でゆっくりコーヒーとか飲みながら、ドラマを見たり、静かに読書するのが好きなの。だから交友関係とか少なくて、彼氏がいたことなんてなかった」
 ……友達も、あまり居なかった。

「だからさ、……五年前? 二十四の時に、数少ない友達に趣味仲間でバーベキューするから来ないかと誘われ、思い切って参加したの。でもさ、バイクなんて乗ったこともないし、完全な場違い状態で、来なきゃ良かったってモヤモヤしてた時に、彼に声かけられたんだよね。話が面白くて、盛り上げ上手で、頼れる同好会のリーダー。本当に優しくて、仲間想いな人で。良いなと思って、初めて彼と付き合ったの」
 あまり外に出たことなかった私を、彼は色々な場所に連れて行ってくれた。
 大型のゲームセンター、バイクレースが見れるサーキット、テントを張った宿泊キャンプ。
 全てが初めてで、新鮮で、楽しくて。……でも。

「彼がアウトドア派なのは分かってたし。彼女としてメンバーに入ろうと頑張ったりとかしたんだけどね。まあ、なんて言うか、あのノリにはどうにも付いていけなくてね。バイク乗せてもらったこともあったけど、もう怖くて。ムリー! って騒いじゃったし。みんな、シラーとした顔しちゃって。色々と疲れて、どんどん誘いに乗らなくなったんだよね」
 あの時、頑張っていたら、彼は今も横に居てくれたのかな?

「付き合って二年ぐらいかな……。日曜日の夜にはレジャーやツーリング後に彼が家に寄ってくれて、ご飯とか作って待ってたんだけど、だんだんと来なくなってね。連絡も減って、既読スルーも続いて、完全に切れちゃったんだよね」
 まあ、いわゆる自然消滅というやつだ。
 だけどね、二股されていたことは知らなかったな。

「何が、悪かったのかな? ……いや、分かってるよ。どう考えても、私は彼に釣り合ってなかった」
 ずっと心の奥で分かっていたけど、認めたくなかったこと。
 付き合って一年。バイク同好会に彼女が途中入会してから、彼は明らかに変わっていった。
 ノリに合わない私より、彼女と話している時の方が明らかに楽しそうにしていた。
 付き合っている相手である私に彼女の話をしてきて、気になるの? と思わず聞いてしまったら、明らかにブスッとして怒って帰ってしまった。

 それからは、私は彼女のことを一切聞かないようにした。彼も彼女のこと一言も言わなくて、だけどいつもスマホを触ってソワソワしてて、私の話なんか全然聞いてくれなくて。
 だからバイク同好会に行くのを辞めたの。
 彼が彼女を見て、少年のように笑うのが嫌で。それを見て茶化す、仲間の容認する姿を見たくなくて。彼女が彼をキラキラとした目で見つめる姿が、あまりにも輝いていて。
 ああ、この二人は両思いなんだなって、認めたくなくて。

 彼と連絡取れなくなったのは、彼の心変わりだって本当は分かってた。別れたかったから、自然消滅を狙ったんだって。
 でも、二股はしていないと信じていた。……そんな最低な人だったと、知りたくなかった。