「……違うニャ」
 無我夢中で雑誌をまとめていた私は、背後よりする声にハッと戻ってくる。
「えっ? 何がー?」
 猫に対してそんな重いことを考えていたと悟られたくない私は、羽毛布団のような軽いノリでそう返す。

「ニャ!」
 ピクンとなった体をこっちに向けてきた猫は、目を大きく開き、尻尾までもがアンテナを張るようにピクピクと動く。

「隠さないとニャ!」
「ええっ? 何をー?」
「何でもニャ! あっちニャ!」
 手をクイクイと動かす仕草は、あっちに行けと言ってるようで、身を低くする姿から威嚇されているのだとハッキリ分かる。

「えー。もぉー、分かったよぉ〜」
 プイッと興味ないフリをして背向けて一瞬の隙をつき、ガパッと猫が咥えた物を取り上げる。

「だめニャ! 捨てるニャ!」
 猫ジャンプを華麗に避けた私は、猫をシッシッと手で払い、物の確認作業に入る。

 おあいにく様、猫の悪巧みなんか通用しないもんねぇーだ。
「……ん?」
 猫が咥えていたのは、手の平半分ぐらいの画用紙みたいなしっかりとした紙。その手触りはツルツルで、蛍光灯に照らされ見えたのは、「初デート」という文字と、三年前の日付だった。

 え? ……これ、私の字じゃないよね?
 心臓がドクンドクンと鳴り響く中、震える手でそっと表向けると、それは一枚の写真だった。
 一台の大型バイクに、男性と女性が共に跨っている。男性が前で、女性が後ろで。女性は男性の背中に両手を回し、その姿はまるでバイク雑誌の一ページみたいだった。

「これって……」
 喉の奥が詰まって声が出なくて、血液循環を感じ取った足先までにピリッとした鈍痛が走って、瞬きを忘れた目は乾いて視界が歪んできて。
 ただ呆然と立ち尽くす私から写真を咥えて奪い取った猫は、ゴミ袋にポイっと放り込んだ。

 ……違う、か。確かに違うね。彼の後ろに写っているのは、───私じゃない。

「今日はこれぐらいで良いよね? ありがとう」
「ニャ、……ニャア」
 猫はいつも気ままで、いつの間にか部屋から居なくなる。窓を自分でコイコイと開け、パタンと閉めて行ってくれるから気付いた時に鍵をかければ済むしね。

 だから今日も好きなタイミングで帰ってもらおう。
 私といえばもう体が重くって、立ってることすらダルくって、布団の中にスルスルと入っていき猫のように丸くなった。

「また、やってしまったニャ……」
 震えて泣きそうな声に余計に目頭が熱くなった私は、力強く目を閉じて、唇をキュッと噛む。

 すると脳裏に浮かぶのは、笑って写っている二人の写真。
 いつもクールだった彼の、見たことのないデレデレとした顔。
 後ろに乗る女性はヘルメットを被っていても、その透き通った肌と整った目鼻立ちに、やっぱり綺麗な人なんだと一目で感じ取れる。
 スタイルが露わになりそうなウェアを、美しいシルエットになるように着こなしていて。薄化粧な顔からは、私にはない活発そうな表情が溢れていて。

 あれ、チェキで撮った写真だよね? 原画もないし、だからこそ雑誌に挟んで、大切にしていたんだ。
 日付は三年前、つまりそれって……。

 えっ、何? 何なの、これ?
 何一つ、勝てないじゃん。
 今の状態を、惨めと呼ばずに何と呼ぶの?
 誰か、ピッタリな言葉があるなら教えてよ……。

 はぁぁぁと重く苦しい溜息を吐いても、布団の中は一向に温まらなくて、手も足も悴むように冷たくて。このまま体も心も冷えて、凍りついて、パリンッと割れてしまえばいいのに。
 そしたらもう、傷つかなくて良いんだよね?
 もう、一人の夜に怯えなくて良いんだよね?

 もうやだ。寒い、寒いよ……。

 目元を両手の平で抑え、声にならない息を吐くと、布団の中でモゾモゾと動く黒い影。
「……猫?」
 咄嗟に出た声は裏返っていて、息を呑んだ私は、悟られないようにと鼻を啜る。

「アンタ……、公園に帰らなくて良いの?」
「寒いニャ」
 モソモソと動き、私の顔横にポジショニングした猫は、目を閉じてムニャムニャとし、スゥーと寝息を立てる。
 その横に居た私はそっとベッドから抜け出し、静かに灯りを消す。
 もう寝ちゃおう。まだ夕方だけど、どうでも良いし。
 ベッドに戻ると、先程と違って布団の中は温かく、ふわふわとして、モフモフな猫までいる。
 ふぅっと小さな溜息と共に布団に包まり、目を閉じる。
 猫の前で大きく息を吸うと、無臭のはずなのにどこか柔らかな優しい匂いがしたような気がして。心の傷からダラダラと流れていた血が、少しゆっくりになったような気がした。

 目を閉じると、先程まで瞼に焼きついていたあの残影はなく、目の前に居てくれる猫の顔ばかりが浮かんでくる。
 このまま眠れたら。
 深く重かった息遣いはどんどん落ち着き、胸に刺さっているトゲの痛みも感じなくなり、グラグラと揺れる頭は一際の安らぎを得たようで、意識はどんどんと落ちていく。

「……心配だニャ、一人に出来ないニャ」
「えっ?」
 目をパチっと開け猫の方を見ると、変わらずにムニャアと寝息を立てていて、話しかけてきたようにも、寝言のようにも聞こえない。
 だけど、聞こえたよね? 小さくて、子どものように可愛い声で、猫と同じ口調の声が。

 何? どうなってるの?
 ……この子は、一体?