猫カフェ。
 それは、店内に複数の猫を放し飼いにし、猫と触れ合える場所。癒しを求め、モフモフ、ホワホワ出来るところ。
 俺は今まで、そう認識していた。
 とある猫カフェに出会うまでは――――。

◇◇◇◇

「猫カフェ? お前、そんなん行ってんの?」
「先輩も行ったら絶対ハマりますって」
「俺、今年で三十二なんだけど。こんなオッサンが行ったらドン引きされんだろ」
 と言う会話を後輩としたばかりなのだが、俺は今、郊外に位置するとある猫カフェの前にいる。
 その名も【キャッティ・キャッティ】。
 俺は猫が大好きだ。
 実家でもキャラメル色の毛をした可愛い猫を飼っている。
 何とも愛らしい目で見てくる彼らの肉球の癒やされること。
 しかし、しかしだ。猫カフェなんて女子が行くもの。男が……ましてや三十を越えた男が行くなんてみっともない。そう思って行けずにいた。
 けれど、後輩が行っているなら話は別だ。俺だって行って良いんじゃね? と思えた。勇気が出た。
 とはいえ、初めてなので人気(ひとけ)の少ないところを選んだ俺は、やはりチキンかもしれない。
 意を決して扉に手をかけた。
「いざ、参らん!」
 ――カラン♪
 鈴の音が店内に響き渡れば、何とも可愛らしい猫が……いない。一匹もいない。普通のカフェ。いや、一応、猫が遊ぶスペースはある。オモチャや、爪研ぎスペースも備わっている。それなに、肝心の猫が一匹もいない。
「いらっしゃーせー。何名様っすか」
「一人です。あの……」
「はい。何すか?」
「ここって、猫カフェ……ですよね」
「そうっす」
 まるで居酒屋の店員さんのような彼は、何馬鹿な質問をしているんだというような顔をしている。
 俺が変なのか?
 この店員ではなく、俺の認識が間違っていたのか?
 そこでハッと気がついた。
「もしかして、今みんなオヤツタイムでいないとか?」
「いや、客がいないだけっすね。今は、お客さんだけなので。貸し切りっすよ。良かったっすね」
 何が良いのか……猫のいないただのカフェの何が良いのか聞きたい。けれど、この店員と話していても拉致が開かない気がするのは俺だけか。
(仕方ない。コーヒーでも飲んで帰るか)
 前払いのようで、席に案内される前にレジカウンターに誘導された。
 そこに置かれたメニュー表に目を通す。
【一時間 千二百円】
【三時間パック 三千円】
【ワンデイ 一万五千円】
【ワンウィーク 五万円】
※遅れる場合は、必ず一本お電話下さい。
「えっと……これは、どう注文したら良いんですかね?」
 まるでカラオケ店にでも来たような気分だ。
 そして、金額設定が高い。時間も長い。意味が分からない。
 店員は、気だるそうに説明し始めた。
「一時間ごとに、千二百円かかるんすけど、もし三時間利用するなら三時間パックの方が六百円お得っす」
(うん、そんなのは見れば分かるよ)
「で、ワンデイは丸一日なんすけど……お客さん、家の窓の鍵開けてきました?」
「いや、開けてない」
「じゃ、これとワンウィークは今度にした方が良いっすね。最悪野宿になっちゃうんで」
「はぁ」
 そのまま店員は黙って俺を見た。
「え、以上? これで説明終わり?」
「はい」
 ツッコミどころ満載だが、もう何でも良い。疲れた。
「じゃ、一時間で」
「一時間で千二百円になりやす」
 言われるがまま千二百円を支払う。
「荷物は、そこのロッカー使って良いんで」
「荷物……」
 まるで美容院だ。
 鍵のかかるロッカーに荷物を入れ、しっかりと鍵を閉める。ゴムになった部分を腕につけようとすれば、店員が手を出してきた。
「鍵、預かるっす」
「はぁ」
 店員に鍵を預けると、次は猫の写真を複数枚出してきた。
「どれが良いっすか?」
「あー、なるほど」
 猫が店内に野放しになっているのを想像していたが、こうやって好みの猫を選んで、一対一で遊ぶのか。
 納得した俺は、真っ白い毛並みの仔猫を選んだ。
「じゃ、この子で」
「良いっすね! じゃ、そこ立ってて下さい」
 店員は、テレビのリモコンのようなものを俺に向けた。そして、ピッと押せば――――。
「……?」
 目線が突然下になった。それはもう、ものすごく下に。
「にゃーにゃー(何したんですか?)。にゃー!?(え!?)」
 声を出しているはずなのに、猫のような声しか出ない。
 まさかと思い、下を向く。
「にゃ!?」
 腕や体が真っ白の毛にまみれていた。
 手のひらを見てみると、俺が求めていた肉球がある。
 店員が俺を抱っこし、遊戯スペースへと移動させた。
「では、今から一時間、楽しんで下さいね。延長される場合は、ここにあるチャイム押してもらったら延長しますので」
 ふわふわのマットの上に置かれた俺は、窓ガラスに映る自身の姿を見て唖然と立ち尽くした。いや、四足歩行で座っているので座り尽くしたか……? 
 どうでも良いが、とにかく今の状況に歓喜が湧いた。
「にゃにゃ?(マジ?) にゃーにゃにゃにゃ(猫カフェって、猫になれんの)」
 後輩がハマる理由が分かった。
 これは、毎日でも通いたい。
 俺は、嬉しさのあまり真ん中にある木のオブジェにピョンピョンと飛び上がる。
 体の身軽さや、思いの外ある跳躍に驚きを隠せない。
「にゃー!(最高!)」
「はは、お客さん、はしゃぎすぎっすよ」
「にゃにゃにゃ(だってよ、こんなんはしゃがずにいられるかっての)」
 俺はそれから一時間存分に遊んだ。
 ボールに飛びついたり、モサモサがついたおもちゃを店員にフリフリしてもらったりして、歳を気にせず遊んだ。遊びたりずに三時間ほど延長した――――。

 四時間後、俺は満足げに財布からお金を取り出した。
「はぁ……今度はワンデイにしよっと」
「気に入ってもらえて良かったっす」
「こんなに楽しいのに、どうしてお客さん少ないんですか?」
「辺鄙な場所にあるからじゃないっすか? それに、この店に出会える人って少ないんすよ」
「それはどういう……?」
 もしや、心霊系のアレだったりしないよな。
 猫になれるのだって、よくよく考えたら普通におかしいし。
 背筋が凍る思いで店員の次の言葉を待った。
「この店に出会える人って、過去に猫神様のところで必死に猫になりたいってお願いした人だけみたいっす」
「へ、へぇ。確かに、猫になりたいとは願ったことあるけど、必死に……したかな」
「それはもう、必死にしないと来られないんで」
「そ、そうなんだ」
 心霊現象とはまた違った不可思議な現象なのは間違いないが、ここにいる=必死に猫になりたいと願ったと思われているのだ思うと、何だか恥ずかしくなってくる。
「じゃあ、店員さんも猫になりたいって思ったんですか?」
「ため口で良いっすよ。なんかむずがゆいんで」
「そう?」
「はい、むずがゆくって、ほら」
 店員がレジのカウンターから、突如姿を消した――――と思えば、カウンターの上で黒猫が後ろ足で耳の裏をポリポリと搔いていた。
「え、もしや……店員さん?」
「俺、元々猫なんで」
 自分もさっきまで猫になっていたので、驚きは少ない。
「へ、へぇ。てか、君は猫になっても喋れるんだ。俺、にゃーにゃー言ってたよね」
「まぁ、長いんで。お客さんもやろうと思えば出来るっすよ。声帯をこう」
「いや、良い。そこまで求めてないし」
「じゃ、またお待ちしてますんで、いつでも来てくださいねぇ」
 店員の黒猫に見送られ、俺はその場を後にした――――。

◇◇◇◇

 翌日の仕事終わり。
 ――カラン♪
「いらっしゃーせー。あ、お客さん。また来てくれたんすね!」
「明日休みだし、ワンデイで」
「良いっすね! 今日、金曜なんでワンデイにする人多いんすよ」
 お金を出しながら店内を見渡せば、昨日とは違い既に三匹の猫がいた。
 シャムネコにラグドール、ヒマラヤン。それぞれがのんびりとくつろいだりボールをころころして遊んでいた。
 にゃーにゃ―鳴き声はするが、店員のように人間の言葉で喋ってはいないので、俺の当初想像していた猫カフェの光景そのものだ。癒される。
「今日は何にします?」
 店員が写真を見せてきたので、迷いながら一枚選ぶ。
「じゃあ、この三毛猫で」
「了解っす」
 昨日と同じ要領で荷物をロッカーに入れて鍵を店員に渡し、うずうずしながら待機した。
「あ、そうだ。トイレ大丈夫っすか?」
「トイレ?」
「人間の時と猫の時って、感覚が違うみたいで上手くおしっこ出来なかったり、逆にお漏らししちゃう子がいるんすよ。今日、ワンデイなんで一応」
「へぇ、そこまで考えたことなかったな。一応行っとくわ」
「了解っす」

 ――そして数分後。
 仕切り直して、いざ三毛猫へ。
「みゃぁ、みゃ!?(あれ?) みゃみゃみゃ(声が違う)」
「そりゃ違うっすよ。それぞれ個性があるんで」
「みゃあ、みゃみゃみゃ(へー、そういうもんか)」
「じゃあ、皆さんのように少し遊んでから帰ります?」
「みゃあ(おう)」
 返事をすれば、店員が抱っこして遊戯スペースへと連れて行ってくれた。
「では、皆さん。昨日からの新入りさんなので、仲良くしてやって下さいっす」
「にゃぁ(任せて)」
「にゃにゃにゃ!(新入りなんて久しぶりだね!)」
「ニャウ~ン(遊ぼ~)」
 猫になったら、猫の言葉が分かるようだ。
「みゃあ(よろしく)」
 ひと鳴きすれば、三匹が集まってきた。
「にゃー(誰が一番先に上にのぼれるか勝負しようよ)」
「みゃあ(よし、昨日散々のぼったからな。負けねー)」
「にゃにゃ(僕だって)」
「ニャ、ニャウ~ン(じゃ、よーいどん)」
 俺含めて四匹の猫が一斉にジャンプした。それはもう、優劣のつけようがないほどに皆早かった。
 優劣をつけたところで、皆良い大人なので喧嘩になることもない。
 一匹ずつ下におり、今度は誰の肉球が一番ふにふにしているか勝負をすることに。
 これは意外にも言い合いになった。
 実際どれも気持ちが良いのだろうが、それぞれに良さがあって、お互いにふにふにし合った。
「みゃあ(はぁ……幸せ)」
 ごろんとしていたら、シャムネコがぴょこんと椅子の上に飛び乗った。
「にゃあ、にゃにゃ(よし、じゃあ私は帰ろっかな)」
「にゃー(僕も)」
「ニャウン(私も)」
「みゃあみゃあ(俺も帰るか)」
「皆さん、気を付けて帰って下さいっす」
 店員が扉をカラン♪と少し開ければ、皆慣れたようにスタスタと隙間から出て行った。俺も倣って出ようとしたが、店員に止められた。
「三毛猫さんは、俺と帰りましょ」
「みゃ?(え?)」
「夜道は危ないんで、初めての人は送ることにしてるんす」
「みゃあ(さんきゅー)」
 店員が店内を清掃する姿を眺めながら、俺はごろんとお腹を見せて寝転がる。
「三毛猫さんは、警戒心なさすぎっすね」
「みゃあみゃあ(だって、お前。絶対無害だろ)」
「はは、そう言ってもらえると嬉しいっす」
 それから三十分もすれば後片付けも終了し、店員が奥から上着を持ってきた。
 上着をしっかりと着込んだ店員は、入り口の扉を開ける。すると、ひゅっと冷たい空気が入ってきた。
「じゃあ、行きましょっか」
「みゃあみゃあ(出る時は人間の姿なんだな)」
「猫になったら、鍵かけられないんすよ」
「みゃあ(なるほど)」
「さ、行きましょ」
「みゃ!(おう)」
 
 扉から外に出れば、既に外は完全に日が落ちて真っ暗になっていた。
 季節は冬。上着がないと絶対に寒い季節だが、猫の体は意外に暖かい。
「たまに野良猫に絡まれる子がいるんすよ。だから、通っちゃダメな道教えとくっすから、覚えといて下さいね」
「みゃあ(オッケー。猫界、人間より怖そうだもんな)」
「そうなんすよ。気を付けないと最悪殺されちゃうっすよ」
「みゃぁ(そりゃ溜まったもんじゃねーな)」
 寒そうにする店員を見て、俺は店員の胸元目掛けてジャンプした。
 反射的に俺を抱っこする店員。
「どうしたんすか?」
「みゃぁ(いや、寒そうだなって。俺の毛、暖かいかなって)」
「さんきゅーっす」
 店員に、頭から背中にかけて撫でられた。
 思わずゴロゴロと喉が鳴る。
 モフモフする側も癒されるが、これはこれで癒される。
「三毛猫さんは、どこ住んでるんすか?」
「みゃあ(知らずに歩いてたのかよ)」
「知るわけないじゃないっすか。昨日が初めてのお客さんっすよ」
「みゃ(それもそっか)」
 俺は、丸めていた前足を出して行先を指し示す。
「みゃー(十日市の五丁目)」
「マジっすか! 俺もっす!」
 家が近いと人間……いや、猫はどうも嬉しくなる生き物であり、親近感が湧く。
「じゃあ、あれ知ってるっすか? 五丁目の番犬ゴンザレス、あれ本当はめっちゃ憶病なんすよ」
「みゃ!?(マジで!?) みゃー、みゃみゃみゃ(あいつ、いっつも俺に吠えてくるんだぜ。弱い犬ほどよく吠えるって本当なんだな)」
「じゃあじゃあ、四丁目の高級マンションにいるラグドールのみーちゃん」
「みゃ!?(あの、めっちゃ可愛い猫ちゃんだろ!?)」
「そう、そのみーちゃんに、実は俺……」
「みゃー!?(え!? 告白されたのか?)」
「へへへ、そうなんすよ」
 満更でもない顔をしながら、店員は人差し指で鼻の下をこする。
「みゃあみゃあ(あんなぼったくりカフェで働いてるくらいだもんな。金持ってそうに見えるよな)」
「ぼったくりカフェって、酷いっすよ。あれでも低価格っす。三毛猫さんは結婚してないんすか?」
「みゃー(いたら連日猫カフェなんて一人で行かねー)」
「確かにそうっすね」
「みゃみゃ(納得すんなよ)」
 意外に猫の恋愛話も盛り上がったりするもので、帰りはまったりのんびり帰路に着く。
 そして盛り上がり過ぎた結果――――。
「あ、危険な道、教えるの忘れてたっす」
「みゃ(そんなこともあるある)」
「じゃ、明日も一緒にカフェ行きましょ」
「みゃあ(そうだな。あ、俺ん家。このアパートの二階)」
「え」
 店員は俺とアパートを交互に見て驚いた顔をした。
 一応、首を傾げてみる。
「みゃ?」
「いや、俺ん家、そこの角部屋っす」
「みゃ(マジ? 隣かよ)」
 まるで少女漫画の主人公のようなこの展開。
 けれど、俺たちは猫な訳で。
 しかも、雄同士な訳でして。
「迎えに行くのが楽で良いっすね」
「みゃ(だな)」
「窓の鍵開けとくんで、何かあったら来て良いっすよ」
「みゃー(さんきゅー)」
 新たな友人が出来ました。

◇◇◇◇

 部屋に入り、ベッドでくつろいでいると、ふとスマホがないことに気が付いた。
(そっか、スマホ。ロッカーん中だ。暇だなぁ)
 猫というのは、こんなにも暇なのかと思い知る。
 テレビをつけてみたけれど、これといったものはなくすぐに消す。
 お腹が空いてきたので台所に行ってみる。
(カップ麺は……食べて良いのか?)
 一応今は猫なので、自粛しようとカップ麺は素通りした。
 そもそもお湯を沸かして注ぐなんて至難の業だ。
 しかし、猫を飼っているわけではないので、家に猫缶があるわけでもない。
 冷蔵庫に牛乳があった気がするが、牛乳パックから皿にうまく注ぐことは無理だし、冷蔵庫は開けたくても開けることができない。電子レンジも使えない気がする。
(もっと準備してから猫カフェ行けば良かった)
 後悔していると、尿意を催した。
(どこですりゃ良いんだ? トイレ……は、落ちそうで怖いしな。とりま風呂でしとくか)
 ジャンプで浴室の電気のスイッチを押し、灯りをつける。
 それから、浴室の扉をカリカリと爪で引っかけば、少しの隙間が開いたので、俺はそこから中に入る。
 けれども、先程店員が言っていたように、人間と猫では感覚が違うようで中々排尿できない。
(うう……もっと猫の姿に慣れてからワンデイにするべきだった)
 後悔しても、時すでに遅し。
 けれど、神は俺にチャンスをくれている。
 何故なら、店員が隣の部屋に住んでいるのだから。
 スタスタと歩き、再びベッドのある寝室へ。
 鍵の開いている窓をカリカリと爪で引っかけば、すんなりと少しの隙間ができた。
 そして、そこからスルリと抜ければ、隣の部屋に直行した。
 同様に店員の部屋の窓を爪でカリカリしていると、店員が気が付いたよう。声がした。
「三毛猫さんすか? どうかしたっすか?」
 窓が開けば、濡れた髪を拭きながら上下スウェット姿の店員が現れた。
「みゃ」
 俺の様子にすぐさま気が付いた様子の店員は、俺を抱っこしてリビングへと連れて行く。
 リビングに敷かれたおしっこシートの上に俺を座らせた。
 そして、背中の毛を撫でながら優しく声をかけてくれる。
「大丈夫っすよ。リラックス、リラックス」
 その優しい声掛けに、俺は一命を取り留めた――――。

 それから、俺は今日一夜だけ店員のお世話になることに決めた。
「みゃあ(師匠!)」
「何すか、それ」
「みゃあ(違うか。なら、これならどうだ)」
 こたつの中に入る店員の膝の上に乗って、喉をゴロゴロと鳴らしながら店員のお腹に顔をこすりつける。
 すると、どうでしょう。店員は俺の首の辺りを両手でわさわさと掻くように撫で始めた。気持ち良すぎて更に喉が鳴る。
「三毛猫さんは、甘えん坊なんすね」
「みゃあ(今日だけ、俺のお世話してくれ)」
 これだけ甘えれば大丈夫。
 実家の猫は自由奔放で気が向いた時にしか来ないが、いつも今みたいに甘えてくるから、可愛くてしょうがないのだ。
 けれど、相手も猫。人間のようには行かないようだ。
「えー、面倒臭いっすよ」
「みゃ」
 なんと! 
 さっきまで家まで送ってくれたり、下の世話までしてくれた人の良さそうな店員が、手のひらを返したように冷たくなった。これも猫の習性なのだろうか。
 そんなことを考えながらも店員から離れないでいると、肉球をふにふにされた。
「みゃ(やめろよ!)」
「肉球って、気持ちいいっすよね」
「みゃあ(全然気持ち良くない!)」
 俺は店員から離れ、シャッと威嚇するように毛を逆立てた。
「良かった。ちゃんと防御できたっすね」
「……?」
「いや、三毛猫さん。最初から警戒心抱かないから、大丈夫かなって。俺なら良いんすけど、悪い人間たくさんいるんすよ。誰にでも甘えちゃダメっすよ」
 ニコッと笑う店員は、おいでと腕を広げた。
 俺は逆立てた毛を元に戻し、店員の膝の上に再び乗った。
「みゃ(やっぱお前、良いやつだな)」
「良く言われるっす」
「みゃあ(腹減った)」
「はいはい。猫缶で良いっすか?」
「みゃ」
 返事をすると、店員はこたつの横にある棚から、腕だけ伸ばして猫缶を二つ取り出した。
「みゃあ(そんなところに隠してたのか)」
「隠してたんじゃなくて、置いてたんすよ。台所まで行くの面倒じゃないっすか」
「みゃあ(こたつから出たくないもんな。分かるわー)」
「じゃ、一緒にご飯にしましょ」
 缶のふたを二つ開けた店員は、ポンと黒猫の姿に変わった。
 俺も自動的に膝の上から絨毯の上に座ることに。
 店員が机の上に飛び乗って猫缶を食べ始める。
「食べないんすか?」
「みゃ(食べる)」
 俺も店員に倣って机の上に飛び乗り、猫缶をハムッと食べた。
「みゃー!(なんだ、このうまい食べ物は! 猫缶って、こんなにうまかったのか!?)」
「人間の姿で食べない方が良いっすよ。くそマズいっすから」
「みゃ(そうなのか。だから、わざわざ猫の姿に)」
「まぁ、猫缶の方が安上がりですし、料理作らなくて良いんすよ」
「みゃあ(なるほど)」
 そんな話をしていたら、あっという間に一缶平らげた。
 満足した俺は、絨毯の上でゴロンとお腹を出して横になる。
「だから、警戒心持ってくださいって言ってるじゃないっすか」
「みゃあ(お前といる時だけだって)」
「信頼してくれるのは嬉しいっすけどね。じゃ、歯磨きして寝ましょっか」
 店員は歯ブラシを取りに人間の姿になって取りに行く。
 歯ブラシを見て思い出した。
 実家にいる猫は、歯磨きが大の苦手だった。歯ブラシを見るだけで逃げてたっけ。
 俺は店員に顎を後ろからグッと捕まれ、歯を磨かれる。
「みゃみゃみゃ!」
「ちょっと、動かないでくださいよ。俺にお世話してほしいって言ってたじゃないっすか」
「みゃ(言ったけど、これは良い! 歯磨きはしなくて良い!)」
 暴れる俺の歯を無理やり磨く店員は容赦ない。
「ダメっすよ。ちゃんとしないと猫だって虫歯になるんすから」
「みゃー(良い! 虫歯になっても良いから、歯磨きしたくない!)」
「はい、終わりました」
 パッと店員の手が離れると、俺はまたもや店員に向かって毛を逆立てる。
「みゃみゃ(俺もやったんだから、お前もしろよ)」
「するっすよ」
 店員は普通に歯磨き粉のついた歯ブラシで歯をゴシゴシこすり始めた。
 それを俺はじっと眺める。
「みゃー(嫌じゃないのか?)」
「人間の時は大丈夫っす。猫になると嫌っすけど」
 なんだか、店員だけずるいと思ってしまうのは俺だけか。
「みゃあ(俺、次回からワンデイやめるわ)」
「三毛猫さんは、それが良いかもですね。警戒心なさ過ぎて、心配っすもん」
 店員がうがいをすませれば、俺は抱っこされて隣の寝室へ連れていかれた。
 俺は枕元で丸まり、その横で店員がゴロンと寝転がる。布団を肩までかけた店員は、俺の背中を撫でる。
「三毛猫さん、めちゃ暖かいっすね。俺、猫と寝るのは初めてなんですけど、これは良いかもっすね」
「みゃー(そうだろう、そうだろう。猫は暖かいんだぞ)」
 何はともあれ、猫になりたいとは思うが、一日中は勘弁してほしいと思った俺であった――――。

 それでも、猫カフェにハマってしまった俺は、翌日以降も毎日のように猫になりに通う。
 そんな非日常な日常が始まった。