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夜想協奏曲
〈この調べと ともに〉
アントニオ・ヴィヴァルディ
ヴァイオリン協奏曲集『和声と創意の試み』作品8「四季」より『秋』第二楽章
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書き始めはどうしようか。
いや、書き始めの問題じゃない。
原稿を満たす中身が希薄なのだ。
高校三年までのわずかな体験では、
時間の積み重ねが足りなさすぎる。
空間のマッピングエリアが少なさすぎる。
頭の中に棲む妄想が、餌に飢えている。
餓死寸前のところまできている。
かすかに聞こえる、虫の音。
窓を五センチだけ開ける。
虫の声は少し拡大したが、去年よりも、一昨年よりも小さくなっているような気がする。
そういえば、窓を開けて寝られる季節になった。
机に向かうことを諦め、フトンに潜り込む。
虫の音色とともに、かすかな冷気と、淡い月光と、ほんのり湿った香りが部屋に入り込む。
それを通奏低音として。
両親との思いでと諍い。友人との会話と喧嘩。
通学路の暑さ寒さ。学校の暗い教室とグラウンドの砂埃。
その情景と、嬉しさ、悔しさ、悲しさ、憤りが折り重なり、
模倣、反復されていく。
いつのまにか、そこに死のモチーフが加わる。
身近にあった死、あるいはニュースを通じて知った死。それがいつなになるのかわからない、私の死。
私よりもずっと早くに消えてしまった命。
小学校入学、中学、高校、大学、就職、結婚、子育て、
そして晩年を経験するはずだったかも知れない命。
そこに救いはないのか?
馬鹿げた仮説を想い浮かべる。
『一生の感覚』の長さって、人間だれでも同じなんじゃないかって。
生まれた時に、ガラス瓶のような『人生の容れ物』が手渡される。
名づけて、一生瓶。
大きさはみんな同じ。
小さい時に亡くなった人も、百歳を超えて亡くなった人も、同じ大きさ。
そこに入る思いでの量は、人生の時間と空間の旅の量に比例する。
でも、いっぱい詰め込むと、一つひとつの思いでは、小さくなるしかない。
同じ大きさの一生瓶の中に、
小さい時に亡くなった子の思いでのツブツブは、大きく鮮明。
百歳で亡くなった老人の思いでのツブツブは、微細でぎっしり。
どっちも同じ大きさの人生。大切な思いで。
空気、光、匂い。
記憶、感情。
そして死。
私のフトンの上でそれらは折り重なり、絡み合い、音を奏でる。
秋の夜長に、自動演奏。
その調べは、どこに向かって流れていくのだろうか?
鉛筆でなくて、スマホでなくて、
ただ、自分の頭の中に思い描いた、ささやかな物語。
それは、ヴィヴァルディの『秋』第二楽章を少し真似ていた。



