トップノートの香りと君と―焙煎部の恋―


 俺のサンタは乱暴すぎた。
 俺のサンタは小学生のクセして、俺の周囲にいる誰よりも大人だった。
 俺が好きな先輩が自分の兄だと、manakiはいつ気がついたんだろう。
 焙煎部の先輩って言葉で分かってしまうのは、当然か。
 そんな部活動、俺の高校にしか存在しないし。
 
 夏の夜に流れ星を見た後に呟いた泣き言や、秋の物悲しい季節にうっかり語ってしまった本音にmanakiははサンタになろうと決心したのだろうか。
 いじらしい。
 いじらしいけど強引で、乱暴。
 乱暴ゆえに、その結果。
 クリスマスイブに西島先輩の部屋に居る俺。
 カバンの中にはパジャマ替わりのグレイのスエットと洗面用具と珈琲豆。
 あとは焙煎部文庫から借りた、一冊の古い文庫だけ。
 俺の叔父が高校に残していった本。



      ●  ●  ●  ●  ●

   


「ステイケーションって何?」

 普段、LIMEのメッセージでのやりとりが中心のmanakiと一ヶ月ぶりに直接会った時。
 初めて聴いた言葉に俺は首を(かし)げたのだった。
 何で小学生の言った言葉を高校生の俺が理解できてないの…と一瞬恥ずかしくは思ったけれど、俺はmanakiの精神年齢の高さを認めているので素直に聴き返した。

「クリスマスイブにmanakiが泊まりにくんの?で、俺がmanakiンち行くの?」
「そう。ミキさん。特別で贅沢な一晩だよ。それを俺にちょうだい。ミキさんにもあげる」

 落ち着いた声で返事しながらmanakiが公園のベンチにランドセルを下ろした、その仕草が丁寧で、なんだか大人びているって思ったっけ。
 manakiは長くなった髪を後ろで束ねていた。華奢だと思っていたけど、たった一ヶ月でちょっぴり肩の辺りの骨格がしっかりしたように見えて。

「俺もmanakiと過ごしたい」
「それは無理」
「なんでだよ」
「俺は一晩姉のいる人生体験をして大人になり、ミキさんは兄のいる人生体験をして大人になる」
「大人って何だよ。なにが特別で贅沢なのかわかんないよ」
 あの日そう俺が駄々をこねるように言うと、manakiは俺の目を見たまま小さく笑ったんだった。
 
「でもmanakiが提案してくれたことに俺は乗っかることにしてる」
「うん。そうして。でももともとはミキさんが言い出したことだよ。姉ちゃん体験しない?って」
「あ。そうだった。忘れてた」
「やっぱりミキさん。可愛い」
「また!やめろって」
「やめない。俺はミキさんを好きだってだけで、ミキさんが好きな自分が好きだって思える」
「…ぉわぁ」
「ミキさんありがとう」

 俺は静かに笑ったmanakiを抱きしめそうになって、すんでのところで思いとどまった冬の始まり。

 抱きしめてしまわなかった自分が良かったのか、そうでないのか分からないまま、俺はクリスマスイブを迎えた。
           


 
 manakiに教えてもらった住所を頼りに向かった家に掛かっている表札が【西島】だったことで、俺は混乱した。

「もしや。まさか。でも。きっと。たぶん。おそらく」

 manakiをクリスマスイブに我が家に招待する流れになったことでmanakiを介して彼の母親とやりとりはしていた。
 でもその時に、最後まで苗字を聞けなかったのでうっかりしていた。
 何度か苗字を尋ねたのに、上手にスルーされていたのだった。
 苗字をあえて伝えないようにmanakiが母親に頼み込んでいたのだろうと、今になって分かる。
 まさかの、まさか。
 manakiのお母さんが玄関から招き入れてくれ、最初に案内された兄の部屋で西島先輩と遭遇することになろうとは。
 今日まで夢にも思わなかった。
 manaki母が「同じ高校なんでしょう。顔は知ってた?自己紹介しておいてね」と言って、リビングに去っていく。
 俺はようやく、言葉を出すことができた。
  

「西島先輩…何でここにいるの」
「それこっちの台詞な。ここ俺の家じゃん」
「manakiのお兄さん。先輩だったの」
「おまえだったのか。マナのLIME友」
「西島先輩。恋人と過ごしてるんだと思ってた」
「俺のこと想ってくれてた?」
「……」
「マナ。おまえのことよっぽど好きだったんだな。譲らないけどな。俺たちやっぱり好みが似るんだな」
「何言ってるの?好みって何。先輩好きな人いるでしょ」

 俺は西島先輩の部屋の前の廊下で立ち尽くして、中に入れないままでいた。
 いったんリビングに戻っていたmanaki母が戻ってきたので、俺は慌てて西島先輩をドン!と突き飛ばして部屋に押し込み(急に小っ恥ずかしい気分になったからだ)、再度お母さんに一日泊めてもらう御礼を伝えた。
 manaki母は、お父さんと二人で外デートするために出掛けていった。
 manakiが「たまには二人だけでデートしておいでよ」って言ってくれたんだってmanakiと同じ可愛い顔をしたお母さんが頬を上気させて説明してくれた時、俺はmanakiはいったい何人を幸せにしてるんだ?と俺の家で過ごしているだろう少年に心を飛ばした。
 manakiが全て段取りを組んでいたんだ。
 俺が先輩と二人きりで過ごせるように。
 一年間小学校に行かないで自宅で過ごしていたmanakiだったそうだから、manakiが前向きに「仲良くなった高校生と立場を交換して姉のいる家に泊まってみたい」と言えば親は喜んで送り出してくれたはずだし。
 兄弟仲はとても良さそうだったから、その両親である二人も夫婦仲がかなり良いんだろうし。

 なぁ。
 おまえも俺の姉ちゃんと、今、わくわく過ごしてくれてる?
 俺の姉ちゃん。
 クセになるよ。
 自慢じゃないけど、自慢だよ。


「そうだ先輩!manakiのことマナって呼んだねさっき」

 俺は飛ばしていた魂を咄嗟に戻した。
 俺が大切に思う2人が繋がっていたなんて。

「うん。真樹(まなき)。あいつおまえに本名教えてたんだな」
「ううん。ハンドルネームとしてだけ。でも本名だったんだ。どんな漢字?」

 西島先輩に尋ねながら、俺はそっと先輩の部屋に足を踏み入れる。
 クリスマスイブに先輩の部屋にいる俺。
 どんな魔法が使われたんだろう。
 片付けられない俺の部屋と違って、西島先輩の部屋はきちんと整頓されていた。

 すごいなぁ。
 整ってるのは外見だけじゃないんだ。
 いや、だけど。
 俺は西島先輩がイケメンだから、好きになったわけじゃないよな。
 まぁ。好みの顔面ってのは否めないけど。
 それだけじゃない。
 超絶イケメンだから逆に、外面で騙されるものかっていう抵抗感があったはずだ。
 それでもいつしか気持ちが持っていかれてしまった。
 換えの効かない相手だったからだ。
 俺のさっきの問いに、先輩がテーブルの上のノートにペンを走らせて漢字を書いてくれていた。
 “ 真樹 ”
 長い間、俺がmanakiと呼んでいた優しい言葉が、初めて漢字に変換されて。
 心の中に、すっとまっすぐ空に向かって枝を広げて大きく育つ、一本の樹が立ち上がる。
 緑の葉が優しく揺れている。
 雨のときは俺を濡らさないようにかばってくれて。
 太陽が照っているときは、温かい光を木漏れ日に変えて俺に届けてくれる。
 俺は、その木蔭でどれだけ癒されてきたんだろうな。
 真樹(manaki)だけじゃない。
 西島先輩も、春からそうしてくれていた。出逢った日からそうだった。
 俺が気付かなかっただけで。
 俺が普通の高校生みたいに冗談を言ったり先輩に甘えたりしているうちに、中学生の時は苦痛に感じていた学校での時間が楽しいものに変化していったんだ。
 先輩だって、俺を守ってくれる大きな樹だったんだ。
    
真樹(まなき)って名前。先輩と一字同じ」
「そう」
「なんかいろんな謎が解けた」
「謎?」
「誰も気付かない俺の聴覚トラブル。先輩だけ分かってくれてたし。真樹と俺かなり症状が似てるからなんだね」
 俺が呟くように言った後、西島先輩を見上げると珍しく真面目な顔をしてる先輩と目が合った。
 俺はそんな真剣な顔をしてる先輩に、弱い。
 ドキッとしてしまう。

「…西島先輩?」
「そう。マナと同じだなってすぐ分かった」
「そういうもの?」
「いや。最初から俺が三木に惹かれてたってことだろ。きっと」
「え?」
「気になって見てたから、すぐ気付いたんだと思う」
「俺、フツーに振舞えるようにがんばってたのに」
「隠そうとするのも辛いだろ。マナも人に知られたくないって言うんだ。頭痛ひどくても涼しい顔してさ」
 先輩がちょっと眉をひそめた。
 真樹のことを心に浮かべたことが、俺にはわかった。
 仲が良い兄弟。同じ漢字を一字持っている兄弟。
「真樹みたいだったし、弟みたいに気になったの?」
「だから。弟みたいだなんて思ってないって前にも言っただろ。綺麗なコだなって初日に惹かれた」
「…え。そんなことある?」
「そんなことある。おまえ、初日に黒板で引き起こされる音を予感して後ろの席に逃げてきただろ」
「…うん」
「怖がってるのに余裕ぶって。なんか健気なコだなぁって気になって仕方なかった」
「子ども扱いして!」
「子ども扱い…してるか」
 西島先輩がそう言いながら、突っ立ったままだった俺にビーズクッションに座るように促した。俺の腕をとって誘導すると、西島先輩は向かい合ってラグに腰をおろした。

「夕食は後でダイニングで一緒に食べよう。先に風呂にする?好きなように過ごして」

 小さな音で音楽が流れていることに、俺はようやく気付いた。
 西島先輩とクリスマスイブの夕食。
 特別で贅沢な一晩。
 しばらく、二人きり。
 あれ。
 クリスマスイブに二人きりってのは、恋人同士の特権なんじゃなかったっけ。

「西島先輩。彼女ほっておいていいの」
「だから。俺に恋人はいないよ」
「え。付き合ってるでしょ。図書委員の大島先輩と」
「もう付き合ってないよ。5カ月の交際は今までで一番長かったけど」
「…知らなかった。俺。一人で煩悶してた」
「俺のことを恋しがって?」
「はい。そのとおりです」
「でた!ほんと素直だなぁ」

 西島先輩はそう言って大きく笑った。
 俺が持参した珈琲豆を先輩が手早くフィルターに入れ、部屋の隅に置いてあったポットからお湯を出して二人分の珈琲をカップに注ぎ淹れる。
 先輩の部屋で、先輩と二人きりで。
 俺の大好きな珈琲を飲むことができるなんて。
 夢みたいだ。
 豊かでふくよかな香りが部屋に漂った。

「西島先輩。俺は先輩のことがすごく好きみたい」
「みたいってなんだよ」
「気付くのに時間がかかったんです。でも俺。西島先輩のことを想って日々心を燃やしてる」
「どうした三木。酒でも飲んできた?」
「飲んでない。やっと伝えられて俺は嬉しい」
「やっと?俺にその気持ちを伝えようとしてくれてたのか?」
「うん。文化祭の日に」
「文化祭の日?どうして言ってくれなかったんだ」

 先輩が目を見開いたので、俺の方こそ驚いた。
 文化祭の日に西島先輩は大島先輩との交際を始めたんだ。
 先輩が大島先輩への恋心に気付いた日じゃなかったんだろうか。
 俺は西島先輩が淹れてくれた珈琲を、一口だけ飲んだ。
 どれだけ心が揺さぶられていても、この珈琲は美味しい、と思えた。

「俺はおまえが泣いてる顔を見て、大島への返事を秒で撤回しようかと内心思ってた」
「…え?」
「俺が大島と付き合ってみようかと思ったのは、三木への気持ちを確認するためだったんだ」
「え。うそ。ほんとに?」
「俺には同性愛を貫ける自信があるかどうか見極める時間が必要だった」

 西島先輩は真面目な顔で俺を見て、右手を伸ばして俺の左頬に触れた。

「三木は春いちばんにクラスメイトの男から告白されてただろ。俺。実は衝撃だったよ。同性同士で恋心を伝え合うってすごいなって」
 頬に触れてくれている先輩の手に、俺は左手をそっと重ねた。
 俺の手は熱くなっていたけれど、西島先輩の手はひんやりと冷たくて。

「衝撃受けてることを感じさせない先輩がすごい。…って、待って。俺が男に告白されて動揺してるのに先輩はそれがどうしたみたいなことを言ってなかった?」
「言ってた。たぶんその時から俺は三木のことを狙ってたんだと思う」
「狙ってただんて。西島先輩、野獣みたい」
「野獣みたいな俺は嫌い?」
「まさか。すごく好きです」

 俺は自分の言葉に背中を押されるようにして、西島先輩に身を寄せた。
 俺が噛み付く前に。
 噛み付かれた。そんな感じで。
 俺が近付けた顔に西島先輩があの時みたいに顔を寄せて。
 触れるか触れないか、ぎりぎりのところで互いに止まって、それからそっと優しく唇が触れたとき。

 俺はからだじゅうがしびれてしまって。
 しばらく俺自身の身体が使い物にならないんじゃないかと思ってしまったくらいだった。
 そんな充たされた時間を振り切るようにして、俺は小さな声で囁くように言った。
 俺を味わいつくしてほしい、という気持ちを前面に押し出して。
 
「先輩。この豆が何か、香りだけで分かる?」
「さっき淹れた珈琲豆の種類を当てろって?」
「うん」
「たぶん分かる。でも正確に言いたいからさ」
「正確じゃなくてもいいから教えてください」
「やだ。時間が足りないから。ゆっくりと考えさせて」
 
 そう言った西島先輩が、俺に唇をそっと寄せてきた。
 俺は、その仕草を受け入れる。
 さっきとは比べ物にならないくらい、豊かな時間を使って。
 顔が離れた瞬間に、俺は目を開けて西島先輩を見た。
 野性味に溢れた先輩の瞳が、今まで以上に熱を持っていた。


「エチオピア、タンザニア、メキシコ、コロンビア。でも。いちばんコロンビア産の豆が多いかな」
「……あたり」

 俺は、俺の味わった珈琲をここまで細やかに感じている西島先輩のことを心から好きだと思った。
 西島先輩の部屋から、愛を叫びたいと思った。
 その狂おしいほどにアオハルっぽい俺の希求を、今頃俺の部屋で過ごしているだろうmanakiこと真樹に、伝えたいと思った。

 そんなふうに別の男に心を寄せていることに、西島先輩はすぐに気づいたんだろうか。

「もういっかい」
「もいっかい?」
「そう」

 先輩が俺のパーカーの胸元を掴んで、荒々しく引き寄せたことで俺は西島先輩と三度目に身を寄せる。
 もう。クリスマスディナーなんていらない。
 俺は、今まで16年間生きてきた人生の中で、いちばん満たされた気分に浸っていたと思う。
 真樹サンタのおかげで。