六月に入り、梅雨の時期が来た。
我が校は毎年七夕に文化祭がある。高校の名前に星がついてるから彦星伝説にあやかってとかなんとか、まことしやかに言われている。
1年に1回しか恋人同士が会えないなんて、俺はなんて残酷なんだろうと思うけれど、フツーの高校生はロマンチックだと感じるらしい。
入学して今までになく女子から話しかけられるようになって耳にしたのは、文化祭に告白すれば77㌫の確率で両想いになる!という噂。
いや。
それ絶対噂じゃん。
日付と同じ数字、使いたいだけじゃん。
俺が白い目で女子に言い返してもクラスの女子たちは聞いちゃいなかった。
女子のキラキラな前向きさ。スゴいと思う。
「三木は女子と喋ってるとき埋もれてんな」
「埋もれてるって何?」
1年2組の教室で、1限の現国が終わった時に村地が喋りかけてきた。
名前の順で席が前後ということで話すようになった俺たちは、部活動も趣味も全く違うのに何故か気が合った。
村地はバドミントン部で体育会系だから敏捷なのかと思いきや、俺以上におっとりした動きをする男なのだった。
「なんか女子の輪の中にいても違和感ないっつうか」
「俺。この3ヶ月で小学生から中学生までの9年間で女子と喋ったトータル以上の量の会話してるわ」
「な?すごいよ。そんなに自然に喋れるの」
「いや。俺は何もしてないんだけど」
「三木ってこうふんわりしてるし、それがいいのかな」
「ふんわり?」
「ほら。髪も柔らかい色だろ?自然な茶色って言うの?目も大きくて男装の麗人みたいだし」
「は?なにそれ。褒めてんの?」
俺が珍しく眉間に皺を寄せて村地の机に肘を乗せ、ぐいっと顔を近付けると村地は大真面目に頷いた。
「うん。俺も眼鏡やめたらふんわりするかな?」
黒縁眼鏡を右手で上げ下げしながら村地が真剣な顔で尋ねてきたので、俺は笑ってしまった。
「村地はふんわりしたいの?」
「まぁ。女子とも喋れるようになりたいよ俺」
「バドミントン部に女子たくさんいるよね?」
「なんかテンポが速すぎるんだ。動きも語りも」
「バド部だからそりゃあ機敏だろ!」
俺は少し呆れながらも村地の困ったような表情が可笑しくてまた笑ってしまう。
「シャトル当たって先週眼鏡のレンズが取れたんだよなぁ。床にしゃがんでレンズ探してるとき女子に笑われて傷ついたよ。やっぱりコンタクトにするかなぁ」
村地がしょんぼりしたような声を出したので、数少ない貴重な友だちを俺は頭を撫ぜて慰める。
「ふんわり作戦いっしょに考えるよ」
「よろしく…。三木ありがとう」
そう言ってから村地は俺の耳元に口を寄せた。俺は耳元で囁かれるのがすごく苦手で身を硬くしたけれど、村地はそんな俺の焦りには気付かなかったみたいだ。
「文化祭に告白したいコがいるんだ」
「えっ!」
俺は村地を驚いて見返した。
女子だけじゃないんだ。文化祭マジックに心湧き立たせているの。
村地の瞳がキラキラしてる、と俺は思った。
放課後、焙煎部の部室に向かいながら俺は思索にふける。
リュックが肩からずり落ちたのを持ち上げながら、俺は右手で自分の耳を触った。
村地から内緒話をされた時。
仲の良い男の耳元での囁きが痛みに感じてひさしぶりに辛いと思いつつ気が付いたのは、先月の部室での出来事だ。
西島先輩から耳元でふいに囁かれたのに。
俺。
あの時どうして不快に思わなかったんだろう?
―おまえが魚なら俺が喰ってやるよ
先月言われた言葉が西島先輩の吐息と共に耳元で再現された俺は、何故か胸に衝撃を感じた。
これは一体何なんだろう。
なんか呼吸がしづらい。苦しいような、体が痺れるような。児童精神科医の田中先生に『聴覚のトラブルは君の場合は思春期になるにつれてマシになると思うよ』と言われたけど。確かに頭痛は年々楽になってきてるけど。
どうして頭じゃなくて胸が痛いんだろ。
田中先生にひさしぶりに相談したほうがいいかな。
文化祭の準備。
焙煎部がいちばん忙しくなるから、体調を整えておかなくちゃいけない。
俺、この夏は頭痛が出なかったらいいのに。
部室に着くと俺は祈るような気持ちでそっと扉を開けた。
「三木がさっき飲んでた珈琲。豆が何か当ててやるよ」
俺がコーヒーミルを片付けるために部室奥の棚の前にいた時、西島先輩が静かに近付いてきた。
「香りだけで当てられますか?」
今日の西島先輩の目はいつも以上に野性味溢れているなと、俺が思いながら返事した途端。
「少しだけ」
「え?」
西島先輩の顔が俺に近付いてきて俺の唇近くで止まる。
な、何!?
何が少しだけ?
キスされるかと思った…。
思いもよらない西島先輩の仕草に、俺は高鳴った心臓の音を聞かれまいとして無意識に自分の胸を右手で押さえた。
顔の造作、クオリティ高…。
「グアテマラの豆使った?」
俺から10㌢の距離で西島先輩が問うてくる。
「…当たり」
そんなに顔寄せてこられたら!
俺バグりそう。
「当たった」
呟くように言って西島先輩は俺からそっと顔を離した。大きく笑って満足したように頷き、「文化祭のカフェメニュー。部長と相談するぞ〜」と背中を向けて去っていく。
「…」
西島先輩の背中に俺を驚かせた文句のひとつでもぶつけようと思ったけど、何も出てこない。
俺は開きかけた唇から言葉が出てこないのが不思議に悔しくて。
「調子狂うじゃん…」
西島先輩が去って一人きりになった棚の陰で、俺は独り言を呟いてみた。
● ● ● ● ●
クラスでも七月七日の文化祭について学活で話し合っている六月三日。
一ヶ月で集中してクラス一丸となって準備する。
六月六日に各学年それぞれのクラスが演し物や模擬店を最終決定する。
他クラスと重ならないないようにバランスを考えてプログラムを練るため、希望通りに実施できるかはクラス代表のプレゼン能力やくじ運次第だ。
「三木くんだったら珈琲にスイーツ、何を合わせる?」
「え?俺?」
クラスの学活で黒板の前に立つクラス代表の女子から、俺は急に話を振られた。
1年2組。
パワーバランス的に女子の勢いが強い我がクラスではスイーツの店を希望することが即決され、女子会の賑やかさたるかかくやと思わせるかしましさでさまざまな意見が飛び交っている。
俺は蜂の羽音のような振動を鼓膜に感じる教室で何度か耳元に手を当てそうになりながら、黒板に列挙されるスイーツの名前を目で追うことしかできていなかった。
女子のスイーツに込めるエネルギーが、ヤバい。
「そう。三木くん焙煎部でしょう」
「そうだけど。どうして俺?」
「今回焙煎委員と図書委員がコラボしてスターブックスプロジェクトを文化祭の目玉に打ち出したでしょ。珈琲好きの客が増えるよ」
「だろうね」
「珈琲好きの三木くんは何が好み?」
「俺の好みは参考にならないと思う」
白いチョークで書かれた候補に挙げられた焼菓子を見て、俺は正直に答えた。
パンケーキ。
ガレット。
チョコチャンクスコーン。
サブレ。
チーズケーキ。
ブルーベリー&バナナマフィン。
どれも嫌いじゃない。甘いものは好きなほう。
だけど。
「カカオ豆の濃度が高いチョコが好き」
俺がそう言うと右隣のサッカー部の男子が反応した。
「あ。ビターなやつ?いいよな」
俺は彼を見て頷く。エクアドル産のカカオ豆について熱く語りたくなったけど、マニアック過ぎるので今は言葉を飲み込んで代表委員の女子に顔を向けた。
「あと誰からも同意は得られないけど小豆系」
「小豆?和菓子ってこと?」
「豆が好きなんだ。和菓子に限らず」
「例えば?」
「月餅がいちばん好きかな。どっしりとしてたくさんの木の実が入ってるやつ。珈琲と楽しむのが至福」
俺が素直に答えると左前の女子が振り返った。
「わぁ。そんな楽しみ方があったの?」
「うん。さらに御座候って名前の回転焼」
「回転焼?」
クラスがざわつく。
俺変人認定されないかな。
まぁいいや。
「餡がぎっしりで最高。赤と白があって俺は小豆の赤ばかりなんだけど手亡豆の白あんも捨てがたい。フルーツがインヒューズされた珈琲の時は白かな」
俺が淡々と語ると皆がざわめいた。
「回転焼とかたい焼きとか小豆系いいかもね!」
「三木が言うんだから意外とイケるんじゃね?」
「中に入れるものいろいろ考えるの楽しそう!」
「小豆とかクリームとかベーコンチーズとかさ」
「どっちがいいかな。たい焼きの方が映える?」
俺の言葉でクラスが盛り上がっているのがなんだか不思議だった。いつから俺はこんなにも大人数に馴染めるようになったんだろう。
クラスの出し物はお洒落路線から急にシフトチェンジしてスイーツカフェから甘味処になりそうだけど、和と洋のコラボも新しくていいと思う。
ほんと。一人だけで今まで楽しんでたけど、小豆って珈琲にすごく合う。
この話、西島先輩にしたら笑うだろうか。
西島先輩は甘いもの、好きなんだろうか。
部室では何か食べてたっけ。
西島先輩のことはまだ知らないことが多い。好みのスイーツとか好きな授業とか何処に住んでいるかとか。
彼女がいるのかとか。
恋愛についての話も今まで西島先輩から何も聞いたことがない。あの顔でフリーって、世間が許さないんじゃない?…だけど誰かと交際しているような感じでもないよね。プライベートのことは極力隠すタイプなんだろうか。
あれ。
俺なんで西島先輩の恋愛事情について考えてんの。
大好きな小豆のことを考えてたのに。
前日に顔を寄せてきた西島先輩の顔が、雨上がりの陽射しのように眩しく俺の脳裏に浮かんだ。
俺は無意識に目を細める。
―グアテマラの豆使った?
西島先輩の低い声。
あの時の俺は豊かでシャープすぎない柑橘の香りをまとっていたと思う。
香水で言うとトップノートの香り。
あの時俺がチャレンジした深煎り珈琲は、ヘーゼルナッツやカラメルを思わせる甘みだった。
香りと共に、俺が味わった甘みも想像したのだろうか。
賑やかな1年2組で、俺だけが魂を焙煎部の部室に飛ばしていた。
たぶん、誰もそのことには気付いてはいなかった。



