みんなでタチアオイの種を撒きに行こうと提案したのは俺だった。 
 日葵の病室を訪ねてから一週間が経った。今日は九月一日月曜日。高校生までだったら、二学期が始まったところだが、大学生の俺たちはあと丸一ヶ月間も休みが残っていた。昨日ちょうど、大学の友人である香山から、「いつ帰ってくる?」と連絡がきた。「分からな
い」と答えると、「サークルで舞台巡りの旅から帰ってきたから、ちょっと山登りに一緒に行きたくてさ」と理由を教えてくれた。香山は、大学でできた初めての友人だ。そんな彼とも、日葵たちのような友情を築けていけたらいいと思って、「また分かったら返事するわ」と送っておいた。
 涼、みくり、璃子、葉月と俺はタチアオイの丘を訪れた。高校二年生の頃、両親を亡くした直後の日葵を連れてきたことがある。あのときのことを思い出して、タチアオイの花をもう一度見たくなった。
 赤やピンク、白色のタチアオイが一面に広がる丘は、まだ暑い九月初旬だというのに、ひと足先に爽やかな秋風が吹いている。少なくとも俺にはそう感じられた。風でさわさわと揺れる花と茎。だけど、少しの風では絶対に倒れることはない。
 日葵と一緒にタチアオイを見たときもそうだったが、やっぱりこうして見ると、天に向かってぐんと伸びるタチアオイはとても凛々しくて美しい。日葵が綺麗だと言ってくれたあの日がとても懐かしく感じられた。

「なんでタチアオイの種なんだ?」

 涼が尋ねる。

「涼くん、知らないの? 日葵ちゃんってタチアオイが好きだったんだよ」

 そう答えたのは璃子だ。

「え、そうだったの!? 璃子はなんでそんなこと知ってんの?」

「小学生の頃に日葵ちゃんの誕生日に欲しいものを訊いたことがあるの。そのとき、『どんなものでもいいけど、タチアオイが好きだから、葵の花をモチーフにしたものがいいな』って教えてくれた。それで、あのキーホルダーをあげたの」

 璃子が言う「あのキーホルダー」とは、日葵がいつもスマホにつけていたタチアオイのキーホルダーのことだ。確か、小学生の頃はランドセルに付けていた気がする。璃子からもらったプレゼントを、あいつはずっと肌身離さず付けてたんだな。

「へえ、知らなかった。日葵ってどっちかって言うとひまわりみたいだったじゃん。だから、日葵に花をあげるならひまわりかなって思ってた」

 涼の言葉に、はたと歩みを止める。
 ひゅっと一陣の風が吹きつけて、タチアオイの群生がザーッと風に揺られた瞬間、俺の脳裏に、日葵とここに来たときの記憶が駆け抜けた。

——私ね、ひまわりじゃなくて、タチアオイのほうが好きなの。

——みんなに、『日葵ちゃんはひまわりみたい』って言われてきたけど、でも、私はひまわりなんかじゃない。ひまわりみたいに明るくなれないから。まっすぐに凛として、しっかりと自分を持っていたかった。だからタチアオイに憧れていたの。

 日葵のそのセリフを決して忘れていたわけじゃない。ただ、あのとき、日葵に恋をして彼女を守りたいと思うあまり、日葵の言葉の一つ一つ以上に、日葵と二人きりで綺麗な景色を見ていることへの胸の高鳴りのほうが勝っていた。

「ああ、そうか……」

 あのとき、日葵の表情は笑っていなかった。
 どこか寂しそうで、憂いのあるまなざしを湛えていたじゃないか。
 あれは、日記同様、日葵のSOSだった……。
 彼女の両親が亡くなったとき、俺は日葵にひまわりの花束をあげた。そのとき彼女は、

——ありがとう! 私、ひまわりが大好きなのっ。大切にするね。

 そう言ったけれど……。
 本当はひまわりじゃなくて、タチアオイに憧れていたのだ。
 みんなの笑顔の種になれない。そんな自分を後ろめたく思っていたに違いない。それなのに、俺は日葵の本当の気持ちを知らずに、あのときすでに彼女を追い詰めていたんだ。
 気づかなかった過去の自分が恨めしい。もしあそこで本当の日葵に気づいていれば、もっと早く、日葵の心を救えていたかもしれない。葉月と揉めて事故を起こすこともなかったかもしれない——。

「どうしたの、陽太?」

 みくりが心配そうに俺の顔を覗き込む。
 じわりと両目の端に滲む涙がこぼれ落ちないように、手で瞼を擦った。

「まだ、間に合うよな」

 あのときは救えなかった。でも、俺たちにはまだ見ぬ明日がある。一週間前、日葵の指が動いてから、さらに何度か彼女が目を覚ましそうな反応を見せていると葉月が教えてくれた。