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 翌日、八月一日。電車に一時間半ほど揺られ、茨城県某市にある実家に帰ってきた。東京ほどではないが、それなりに都会で生活するには事欠かないこの街を、俺は気に入っていた。
 だがそれにしても、暑い。東京に比べて背の高い建物がないせいか、真夏の陽光を遮るものがなく、照り返しによって顔の皮膚が灼けただれそうだ。

「ただいまー」

 住宅街に佇む戸建ての実家の玄関扉を開けると、専業主婦の母親がひょっこり顔を覗かせる。俺の姿を見て目を丸くした。

「ええっ、あんた、急に帰ってこないでよ」

「いや、連絡入れたんだけど」

「え? あ……本当だ、ごめん」

 片手で「ごめん」のポーズをとる母親はお茶目な女の子という感じだ。母は昔からそうだ。いわゆる「オカン」というよりも、どこかふわふわとしていて抜けているところがある。そんな母は、実は俺の本当の母親ではない。幼い頃に両親が離婚し、小学校高学年の頃に父親が再婚した。以来、今の母親を本当の母親だと思っているし、昔感じていた、他人をいきなり「母」として接することへの違和感も今ではもうどこかへいってしまった。

「で、急にどうしたん? 帰ってくるなんて珍しいわね」

「今日から夏休みだし、珍しくないって。それに……」

 俺は、昨日からずっと頭の中でぐるぐると駆け巡っている「日葵が失踪した」という事実を母親に話そうかと迷う。日葵とは幼稚園の頃から一緒で、再婚した母親も、もちろん日葵のことはよく知っている。だから、知らせておいたほうがいいだろう。

「日葵がいなくなったって、葉月から連絡がきたんだ」

 あえて「失踪」というワードは使わなかった。その二文字が毒々しく恐ろしいものに思えて、口にすると本当に日葵が帰ってこないような気がしたから。

「はあ? 日葵ちゃんが?」

 母は、俺の言葉を冗談と受け取ったのか、うまくのみ込めていない様子だ。そりゃそうか。俺だってまだ心のどこかで、葉月が嘘をついている可能性を考えているんだから。

「俺も事情はよく分からない。明日、みんなで集まることになってるんだ」

「みんなって涼くんたちと? みんな帰ってきてんの」

「たぶん。葉月から連絡が来たのは昨日だから、今日慌てて帰ってきてると思う」

 葉月は昨日、「みんなにも連絡をする」と言っていた。だから、涼たちも伝わっていると思うし、みんなも今日帰ってきているだろう。

「そうなのね。とりあえず無事だといいわね……。葉月ちゃんも心配ね」

 母は心配そうに眉根を寄せた。そんな母の顔に、頭の中で実の母親の顔が重なる。本当の母親は表情が乏しく、こんなふうに誰かのことを——特に、俺のことを心配してくれることはなかった。
 つい実母のことを思い出してしまい、首を横に振る。いかんいかん、今はそれどころじゃない。
 母は依然として「大変ね」と湿り気のある声でつぶやく。母にとって、小さい頃から知っている日葵は自分の娘みたいなもんだろう。それに、日葵と葉月は高校二年生の頃に両親を事故で亡くしている。以来、二人の叔父が親権者となったが、高校三年生で二人が成人すると親権はなくなった。そもそも叔父が親権者になった時も高校二年生でほとんど大人だったので、一緒には暮らしていない。高校を卒業するまで、日葵と葉月は二人で生活していたはずだ。

 葉月は県内の大学へ進学し、日葵が東京の大学に進学したことで、大学生になってから二人は別々で暮らしていたと思うのだが……。日葵がいなくなったというのは、葉月が日葵の東京の下宿先に行って判明したのだろうか。分からない。とにかくまずは葉月に話を聞かなければ。

 仲良しだった地元のメンバー五人——いや、日葵がいないから四人と葉月で集まるのは明日だ。高校まで同じだった山辺璃子とは会うのは四ヶ月ぶり。それ以外のメンバーとは、最後に会ったのはいつだろうか。高校生になっても、涼とはちょくちょく会う仲だったけれど、大学受験の勉強でほとんど会わなくなった。みくりも、高校では派手な女子グループに所属していたようで、若干近寄りがたい存在になっている。そんなイメージだ。

 とはいえ、また集まれば昔のようにバカをやってはしゃげる自信はあった。
 それなのに日葵がいなくなるなんて……。
 考えすぎるのは良くない。とにかく考えるのは明日だ。今日はひとまず身体を休めて、明日に備えよう。
 その日は久しぶりの母の料理を堪能しつつ、夜遅くに帰ってきた父親に大学生活の様子を伝えてから、眠りについた。