崎山さんと別れて、下宿先へと戻ったのは深夜一時だ。
バイトに行く前に比べると、久しぶりにひとの心を取り戻したような気分で、気持ちが前のめりに進もうとしていた。
机の上に無造作に置いてあった日葵の日記を、もう一度めくってみる。
実は先日読んだとき、七月の日記を読んだあと、茫然自失状態だったので最後のほうはさっと目を通しただけだった。ほとんど頭に入ってこなくて、きちんと読めた記憶がなかったのだ。
七月のあの日記以降、しばらくありきたりな内容が続いていたのだが、三月の日記に突入したところで手が止まる。
高校を卒業する間近の三月五日に、その文章は現れた。
『二〇二五年三月五日水曜日。今日、葉月の小説を見てしまった。葉月が時々小説を書いていたことは知っていたけど、今までは読んだことはなくて。どんな物語を書くのか、気になってはいた。でも、葉月は普段から、私が踏み込んだ話をすると嫌がって、あんまり話してくれなくなる。だからきっと、小説のことも聞いたところで教えてくれないだろうなって思った。そんな葉月が綴っていた小説のタイトルと内容がすごく衝撃的で、今でも震えが止まらない。どうしよう。ねえ、私はどうしたらいい? 陽太くんに話してみようかな……。陽太くんなら私に答えをくれるかな。他に頼れる人がいないんだ。みんな……私のこと、心の中では鬱陶しいと思っていたみたい。でもそれも私が悪いってことは知ってる。だって本当の私は……』
文章はそこで途切れていた。
「本当の私は」の後に、彼女が何を書こうとしていたのか。
分からない。分からないんだ、今でも。
だけど、日記を読んで日葵が葉月の小説を覗き見てしまったという事実を知って衝撃を覚えた。
「葉月の小説って確か……」
葉月の部屋で見たノートに綴られた内容を思い出す。
タイトルは、『私が姉を殺すまで』。
あれって、妹の葉月が、姉の日葵を……?
いやいや、ありえない。フィクションだ。でも、このタイトルを目にしたときの日葵の気持ちを思うと、居ても立ってもいられなくなった。たとえ創作だと分かっていても、妹が自分に牙を剥く姿を想像してしまうだろう。
ドク、ドクッ、ドクン、と激しく脈が乱れ始める。
震える手でさらにページをめくった。
三月の日記の最後に、見逃せない一文があった。
『二〇二五年三月三十日土曜日。今日で日記は終わりにしようと思う。そもそも日記を書き始めたのは、日記の中でなら本当の自分をさらけだせるんじゃないかって思ったから。でも書いてみて分かった。日記に本音をぶちまけたところで、何も変わらない。私はこれからも友達とのことで悩むだろうし、問題が解決するわけじゃないって。少しだけ心が軽くなったのは本当だけど。私がみんなからいろいろ思われてきた原因がなくなればいいと思ったんだけど……そんなことなかったね。日記を書いて変われるぐらいなら、今頃こんなに惨めな気持ちになってないって。
昼間、葉月に無理なお願いをしてしまった。すごくびっくりしていたけど、それが私の本音。受け入れてくれるかな。葉月にはたくさん迷惑をかけて、これからまた迷惑かけるのは忍びないけれど。でも、ちょっとなら許してくれるよね。
最後に……いま、みんなに抱いてる気持ちを書き残しておく。
みんなのことは、ずっと好き。
バカだと思われるかもしれないけど、好きなんだ。
みくりの姉御肌な性格に惚れてた。
璃子の優しさに救われてた。
涼くんの明るいところが気持ちを和ませてくれた。
陽太くんは……陽太くんにはいろいろと思うところもあるけれど。
それでも私にとっては陽太くんが太陽だった。』
「陽太くんが太陽だった」
日葵の日記の最後の一文を口ずさむ。
どうして俺のことをこんなふうに書いてくれたんだろう。
俺は……俺にとっては日葵が太陽みたいな存在だった。でも、この日記を読んで、俺は彼女について、燦々と降り注ぐ太陽や、太陽に
向かって伸びやかに咲くひまわり以外の彼女の姿を思い浮かべた。
「ひまは、ひまわりなんかじゃなかったんだ」
世界がぐるりと反転するような事実に気がついて、全身の血が激しく暴れ出す。
俺は今まで、日葵のことを完全に見誤っていた。俺だけじゃない。涼も、みくりも、璃子も、そしてたぶん……葉月も。
みんなみんな、本当の日葵のことは見えていなかった。
みんなで日葵のことを「明るくて優しくて天真爛漫なひまわりみたいな笑顔をふりまく子」だと言い、自分たちの理想を彼女に押し付けた。
その結果、みんなからの毒を一心に浴びた彼女は——押し潰された。
「それが事実だ……」
日葵が自ら姿を消した理由。
ずっと分からなかったけれど、少しずつ輪郭が出来上がっていく。
タイムカプセルに入っていたあの手紙もきっと——。
そこまで考えたとき、俺は再び自宅を飛び出していた。
バイトに行く前に比べると、久しぶりにひとの心を取り戻したような気分で、気持ちが前のめりに進もうとしていた。
机の上に無造作に置いてあった日葵の日記を、もう一度めくってみる。
実は先日読んだとき、七月の日記を読んだあと、茫然自失状態だったので最後のほうはさっと目を通しただけだった。ほとんど頭に入ってこなくて、きちんと読めた記憶がなかったのだ。
七月のあの日記以降、しばらくありきたりな内容が続いていたのだが、三月の日記に突入したところで手が止まる。
高校を卒業する間近の三月五日に、その文章は現れた。
『二〇二五年三月五日水曜日。今日、葉月の小説を見てしまった。葉月が時々小説を書いていたことは知っていたけど、今までは読んだことはなくて。どんな物語を書くのか、気になってはいた。でも、葉月は普段から、私が踏み込んだ話をすると嫌がって、あんまり話してくれなくなる。だからきっと、小説のことも聞いたところで教えてくれないだろうなって思った。そんな葉月が綴っていた小説のタイトルと内容がすごく衝撃的で、今でも震えが止まらない。どうしよう。ねえ、私はどうしたらいい? 陽太くんに話してみようかな……。陽太くんなら私に答えをくれるかな。他に頼れる人がいないんだ。みんな……私のこと、心の中では鬱陶しいと思っていたみたい。でもそれも私が悪いってことは知ってる。だって本当の私は……』
文章はそこで途切れていた。
「本当の私は」の後に、彼女が何を書こうとしていたのか。
分からない。分からないんだ、今でも。
だけど、日記を読んで日葵が葉月の小説を覗き見てしまったという事実を知って衝撃を覚えた。
「葉月の小説って確か……」
葉月の部屋で見たノートに綴られた内容を思い出す。
タイトルは、『私が姉を殺すまで』。
あれって、妹の葉月が、姉の日葵を……?
いやいや、ありえない。フィクションだ。でも、このタイトルを目にしたときの日葵の気持ちを思うと、居ても立ってもいられなくなった。たとえ創作だと分かっていても、妹が自分に牙を剥く姿を想像してしまうだろう。
ドク、ドクッ、ドクン、と激しく脈が乱れ始める。
震える手でさらにページをめくった。
三月の日記の最後に、見逃せない一文があった。
『二〇二五年三月三十日土曜日。今日で日記は終わりにしようと思う。そもそも日記を書き始めたのは、日記の中でなら本当の自分をさらけだせるんじゃないかって思ったから。でも書いてみて分かった。日記に本音をぶちまけたところで、何も変わらない。私はこれからも友達とのことで悩むだろうし、問題が解決するわけじゃないって。少しだけ心が軽くなったのは本当だけど。私がみんなからいろいろ思われてきた原因がなくなればいいと思ったんだけど……そんなことなかったね。日記を書いて変われるぐらいなら、今頃こんなに惨めな気持ちになってないって。
昼間、葉月に無理なお願いをしてしまった。すごくびっくりしていたけど、それが私の本音。受け入れてくれるかな。葉月にはたくさん迷惑をかけて、これからまた迷惑かけるのは忍びないけれど。でも、ちょっとなら許してくれるよね。
最後に……いま、みんなに抱いてる気持ちを書き残しておく。
みんなのことは、ずっと好き。
バカだと思われるかもしれないけど、好きなんだ。
みくりの姉御肌な性格に惚れてた。
璃子の優しさに救われてた。
涼くんの明るいところが気持ちを和ませてくれた。
陽太くんは……陽太くんにはいろいろと思うところもあるけれど。
それでも私にとっては陽太くんが太陽だった。』
「陽太くんが太陽だった」
日葵の日記の最後の一文を口ずさむ。
どうして俺のことをこんなふうに書いてくれたんだろう。
俺は……俺にとっては日葵が太陽みたいな存在だった。でも、この日記を読んで、俺は彼女について、燦々と降り注ぐ太陽や、太陽に
向かって伸びやかに咲くひまわり以外の彼女の姿を思い浮かべた。
「ひまは、ひまわりなんかじゃなかったんだ」
世界がぐるりと反転するような事実に気がついて、全身の血が激しく暴れ出す。
俺は今まで、日葵のことを完全に見誤っていた。俺だけじゃない。涼も、みくりも、璃子も、そしてたぶん……葉月も。
みんなみんな、本当の日葵のことは見えていなかった。
みんなで日葵のことを「明るくて優しくて天真爛漫なひまわりみたいな笑顔をふりまく子」だと言い、自分たちの理想を彼女に押し付けた。
その結果、みんなからの毒を一心に浴びた彼女は——押し潰された。
「それが事実だ……」
日葵が自ら姿を消した理由。
ずっと分からなかったけれど、少しずつ輪郭が出来上がっていく。
タイムカプセルに入っていたあの手紙もきっと——。
そこまで考えたとき、俺は再び自宅を飛び出していた。



