『二〇二四年四月八日月曜日。今日は始業式だった。陽太くんと二人で登校して、新しいクラス分け一覧を見てびっくり。中学生ぶりに陽太くんと同じクラスになれた。一年間、また迷惑をかけるかもしれないけど……よろしくお願いします』
表紙を開いて目にしたのは、懐かしい日葵の字で綴られた日記だった。
日記は毎日ではなく、三日に一度ほどのペースで綴られている。食い入るようにして一ページ目を見つめていたところで、葉月が部屋に近づいてくる足音が聞こえた。
慌てて葉月の小説のノートを元の場所に戻す。が、日葵の日記のほうは自分の鞄にこっそり忍び込ませた。どうしても、最後まで日葵の日記を読みたいという衝動に駆られていた。
「お待たせ」
扉が開かれて、お盆を持った葉月が部屋に入ってくる。冷たい麦茶とお煎餅を持ってきてくれた。
「どうかした?」
挙動不審な様子の俺を訝しがって、彼女が訊いた。
「いや、なにも」
平常心で答えたはずなのに、声が上擦ってしまった。そんな俺を、葉月は見逃さない。
「もしかして何か見た……?」
勘が鋭い彼女が核心に触れるような質問をしてくる。俺は「ううん」と首を横に振る。今度は上手くかわすことができた——そう思ったのに、葉月はどこか懐疑的な様子で視線を泳がせた。
頼む……気づかないでくれ。
机の上の本立てに彼女の視線がいかないようにと心の中で祈る。彼女はぐるりと部屋を見回したものの、ノートが一冊なくなっていることに言及してくることはなかった。
心の中で、ふう、と息を吐く。もちろん彼女にばれないように。
「陽太くん、あのさ」
しばらく無言の時を過ごしたあと、葉月が静かに話を切り出す。静寂に包まれていた部屋の中に一気に緊張感が駆け抜けた。
「日葵はみんなに、自分を見つけてほしいと思ってるのかな……」
どこかすがるような口ぶりだった。双子の妹である自分にも、姉の気持ちが分からない。そんな苦悩を抱えている彼女の悲鳴が聞こえた気がした。
「見つけてほしいと思ってるか……」
葉月に聞かれたことを反芻する。
俺はずっと、日葵を見つけたいと思っていた。
でも葉月に言われたように、日葵が俺たちに見つけてほしいと思っているかどうかは、分からないのではないか。
もし日葵が本当に自ら姿を消してしまったのだとしたら、むしろ自分のことを見つけてほしくないと思っているのではないか。
葉月が聞きたいのはそういうことだろう。
「見つけてもらいたいと思っていると、俺は思う」
それでも、俺の願いはひまが自分たちのもとに戻ってくることだ。
だから日葵の気持ちが、自分たちの——俺の近くにあることを信じたかった。
「私は……日葵のことが好きだから……お姉ちゃんを、見つけたいと思ってみんなに連絡したの。でもずっと考えていくうちに、お姉ちゃんは、私たちに見つけてほしくないのかなって、思うようになって。だからさっき、もう日葵のことを詮索しないでほしいって言ったの。それがお姉ちゃんの願いなら、私はその願いを聞くべきだって……」
葉月の心のうちが、ぽろりぽろりと言葉の粒になってあふれ出してくる。
姉のことを慕う気持ちと、だからこそ姉の気持ちを尊重して何もしないでおくべきなのかと葛藤する気持ちがありありと伝わってくる。
「陽太くんはどう思う? お姉ちゃんはもう——私やみんなの知らない場所で生きたいと思ってるのかな?」
「ひまは……」
日葵の気持ちは、正直俺にとってもブラックボックスに近い。さっきまでの自分なら震えながらも、「俺たちのところに戻りたいと思っているに違いない」と答えていただろう。
だけど、葉月の話を聞くうちに、確かに本当に日葵が俺たちに居場所を突き止めてほしいと思っているのか、帰りたいと思っているのか、分からなくなった。
むしろ、自ら姿を消したというなら、誰にも見つけてほしくない——そう思う日葵の本音が聞こえたような気がして、愕然と項垂れる。
二の句が継げずにいる俺に向かって、葉月が言葉を続けた。
「もしも陽太くんがお姉ちゃんのことをそれでも探そうっていうなら、もう私は止めない。最初に日葵を探してって頼んだのは私だもんね。だけどね、陽太くんにはお姉ちゃんの本当の気持ちなんて、分からないと思う」
ぴしゃりと突き放すような口調だった。
穏やかな話口調で話す葉月が、こんなふうに静かに牙を剥くなんて、誰が予想できただろうか。
俺にはひまの本当の気持ちが、分からない——。
彼女が吐き捨てたその言葉が、呪詛のように脳裏にこびりつく。出されたお茶に口をつける気分にならなくて、震える足で立ち上がった。ポケットに入れたままの、壊れたキーホルダーと栞がちゃんとそこにあるのかを確認しながら。
「……ごめん、今日はもう帰るわ」
心の整理がつかなかった。葉月に、自分の考えの浅はかさを言い当てられているような気がして苦しい。冷房の効いている部屋にいるにも関わらず、熱さに頭がぐわんと揺れているような感覚がした。
「うん、こっちこそ、突然呼び出してごめんね。図書館で見たっていう栞は、日葵のもので間違いないよ。たぶんだけど、字の感じからして、最近つくった栞じゃないかな。なんで図書館の本に挟まってたのかは、分からないけれど……」
彼女なりのやさしさなのか、立ち上がった俺にそっと教えてくれた。俺は「ありがとう」と一応お礼を伝えて、葉月の家を後にする。身体にまとわりつく暑さにももうとっくに慣れた。
表紙を開いて目にしたのは、懐かしい日葵の字で綴られた日記だった。
日記は毎日ではなく、三日に一度ほどのペースで綴られている。食い入るようにして一ページ目を見つめていたところで、葉月が部屋に近づいてくる足音が聞こえた。
慌てて葉月の小説のノートを元の場所に戻す。が、日葵の日記のほうは自分の鞄にこっそり忍び込ませた。どうしても、最後まで日葵の日記を読みたいという衝動に駆られていた。
「お待たせ」
扉が開かれて、お盆を持った葉月が部屋に入ってくる。冷たい麦茶とお煎餅を持ってきてくれた。
「どうかした?」
挙動不審な様子の俺を訝しがって、彼女が訊いた。
「いや、なにも」
平常心で答えたはずなのに、声が上擦ってしまった。そんな俺を、葉月は見逃さない。
「もしかして何か見た……?」
勘が鋭い彼女が核心に触れるような質問をしてくる。俺は「ううん」と首を横に振る。今度は上手くかわすことができた——そう思ったのに、葉月はどこか懐疑的な様子で視線を泳がせた。
頼む……気づかないでくれ。
机の上の本立てに彼女の視線がいかないようにと心の中で祈る。彼女はぐるりと部屋を見回したものの、ノートが一冊なくなっていることに言及してくることはなかった。
心の中で、ふう、と息を吐く。もちろん彼女にばれないように。
「陽太くん、あのさ」
しばらく無言の時を過ごしたあと、葉月が静かに話を切り出す。静寂に包まれていた部屋の中に一気に緊張感が駆け抜けた。
「日葵はみんなに、自分を見つけてほしいと思ってるのかな……」
どこかすがるような口ぶりだった。双子の妹である自分にも、姉の気持ちが分からない。そんな苦悩を抱えている彼女の悲鳴が聞こえた気がした。
「見つけてほしいと思ってるか……」
葉月に聞かれたことを反芻する。
俺はずっと、日葵を見つけたいと思っていた。
でも葉月に言われたように、日葵が俺たちに見つけてほしいと思っているかどうかは、分からないのではないか。
もし日葵が本当に自ら姿を消してしまったのだとしたら、むしろ自分のことを見つけてほしくないと思っているのではないか。
葉月が聞きたいのはそういうことだろう。
「見つけてもらいたいと思っていると、俺は思う」
それでも、俺の願いはひまが自分たちのもとに戻ってくることだ。
だから日葵の気持ちが、自分たちの——俺の近くにあることを信じたかった。
「私は……日葵のことが好きだから……お姉ちゃんを、見つけたいと思ってみんなに連絡したの。でもずっと考えていくうちに、お姉ちゃんは、私たちに見つけてほしくないのかなって、思うようになって。だからさっき、もう日葵のことを詮索しないでほしいって言ったの。それがお姉ちゃんの願いなら、私はその願いを聞くべきだって……」
葉月の心のうちが、ぽろりぽろりと言葉の粒になってあふれ出してくる。
姉のことを慕う気持ちと、だからこそ姉の気持ちを尊重して何もしないでおくべきなのかと葛藤する気持ちがありありと伝わってくる。
「陽太くんはどう思う? お姉ちゃんはもう——私やみんなの知らない場所で生きたいと思ってるのかな?」
「ひまは……」
日葵の気持ちは、正直俺にとってもブラックボックスに近い。さっきまでの自分なら震えながらも、「俺たちのところに戻りたいと思っているに違いない」と答えていただろう。
だけど、葉月の話を聞くうちに、確かに本当に日葵が俺たちに居場所を突き止めてほしいと思っているのか、帰りたいと思っているのか、分からなくなった。
むしろ、自ら姿を消したというなら、誰にも見つけてほしくない——そう思う日葵の本音が聞こえたような気がして、愕然と項垂れる。
二の句が継げずにいる俺に向かって、葉月が言葉を続けた。
「もしも陽太くんがお姉ちゃんのことをそれでも探そうっていうなら、もう私は止めない。最初に日葵を探してって頼んだのは私だもんね。だけどね、陽太くんにはお姉ちゃんの本当の気持ちなんて、分からないと思う」
ぴしゃりと突き放すような口調だった。
穏やかな話口調で話す葉月が、こんなふうに静かに牙を剥くなんて、誰が予想できただろうか。
俺にはひまの本当の気持ちが、分からない——。
彼女が吐き捨てたその言葉が、呪詛のように脳裏にこびりつく。出されたお茶に口をつける気分にならなくて、震える足で立ち上がった。ポケットに入れたままの、壊れたキーホルダーと栞がちゃんとそこにあるのかを確認しながら。
「……ごめん、今日はもう帰るわ」
心の整理がつかなかった。葉月に、自分の考えの浅はかさを言い当てられているような気がして苦しい。冷房の効いている部屋にいるにも関わらず、熱さに頭がぐわんと揺れているような感覚がした。
「うん、こっちこそ、突然呼び出してごめんね。図書館で見たっていう栞は、日葵のもので間違いないよ。たぶんだけど、字の感じからして、最近つくった栞じゃないかな。なんで図書館の本に挟まってたのかは、分からないけれど……」
彼女なりのやさしさなのか、立ち上がった俺にそっと教えてくれた。俺は「ありがとう」と一応お礼を伝えて、葉月の家を後にする。身体にまとわりつく暑さにももうとっくに慣れた。



