「鮎川先生の話、聞いてたよね。日葵ちゃんは寂しそうな顔をしてることがあったって。日葵ちゃんは決してずっと明るい子だったわけじゃない。高校生のときだってきっと……。だって日葵ちゃんは、」

「違う! ひまは明るいやつだっ。どんなときでも俺に笑顔を向けてくれた。ひまは、ひまわりみたいに俺たちを明るく照らしてくれる。笑顔に変えてくれる。そんなやつだろ……?」

 駄々をこねる子どものように首を横に振って叫ぶ俺を見て、三人が生唾を飲み込んだのが分かった。

「……」

 誰も、何も言わない。次に俺が何か言葉を発するのを待っているかのように、その場で硬直していた。背中を伝う汗がどんどん増えていく。暑いはずなのに、身体が冷えていくようで気持ちが悪かった。
 俺だって本当は気づいている。だってさっき、図書館で日葵の栞を見つけたとき、自分でも思ったじゃないか。俺は、日葵について、何かを見落としていたんじゃないかって。見えないふりをしていたんじゃないかって。

「いい加減にしろよ」

 地の底を這うような暗い声が灼熱に溶けて、心臓を射抜かれたような心地がした。声を発したのは涼だった。嘘だろ。あの涼が? 普段、バカみたいな発言を繰り返してみんなを笑わせてくれる涼。そんな彼の口から紡がれた冷たい一言に、背筋が凍りついた。

「陽太、お前は日葵の何を見てきたんだ? お前がそんなふうに日葵のことを神聖視して、あいつのこと明るくて優しくていいやつだって盲信したせいで、日葵はみんなの前で笑うしかなくなったんじゃねえのか? 日葵にだって陰がある。だってそうだろ? そうじゃなきゃ、鮎川先生が言ったように、寂しそうな顔なんてしねーよ。日葵だって普通の人間なんだ。それなのに陽太、お前が日葵を追い詰めたんだ」

「俺が……? ひまを……?」

 短く、跳ねるようにして血液を送り出す心臓の鼓動が、内側から自分の身体を突き破ってくるような錯覚に陥った。はっ、はっ、という乱れた呼吸に、胸の痛みがプラスされる。
 お前が盲信したせいで。
 涼の言葉が脳裏に何度も浮かんで、その度に頭に疼痛が駆け抜けた。

「そうだよ。お前のせいだ。日葵がいなくなったのは。前にも言ったけど、お前は実の母親から得られなかった愛情を、日葵を庇護することで感じようとしたんだ。たとえ無意識にでも、日葵を利用したんだろ。日葵は、どんなときでも自分のことを神聖視してくるお前の期待に応えようとして、頑張ってたんだよ。でも、限界が来たんだろ。自分の中にある翳りを陽太に——おれたちに見せたくなくて、自ら姿を消したんだ。きっと、そうだ。おれだって中学のときにあいつに……」

 自分に言い聞かせるようにして、譫言のように毒を吐く涼。途中で言葉を切ってしまった涼の額には、じゅわりと汗が滲んでいた。みくりと璃子が眉根を寄せて、俺たちの会話に耳を傾けている。
 俺の中では、ぐるぐると「俺のせいだ」という言葉が浮かんでは消えていく。
 俺は母親から得られなかった愛情を、日葵から感じようとして彼女に理想を押し付けていたのか……?
 違う。納得できなくて、歯をぎりぎりと噛み締める。
 違う、そんなんじゃない。 
 俺は純粋に日葵のことが好きだった。
 俺は俺のことを真犯人として血祭りにあげたような快楽に浸る涼を睨みつけた。
 でも。

「おれも、日葵に『ずるい』って……」

 涼は俺の視線など感じていないのか、我を失ったかのように目を見開いて、何かを思い出すかのようにぽつりとつぶやく。
 ひまに、『ずるい』って言っただと? 
 なんだよ、それ。聞いてねえぞ。
 自分の中にはっきりとした侮蔑の念が芽生えたのはそのときだ。

「……お前たちが毒を垂らしたからだろ」

 自分でも恐ろしいくらいに暗く黒色を孕んだ声だった。三人の身体が同時に揺れる。恐ろしい怪物を目にしたかのような驚きに満ちた目で俺を見つめていた。

「お前たちが、ひまに少しずつ毒を与えていったんだ。さっき、自分たちがそう言ったんじゃないか。みんな、ひまのこと好きなふりして、心の中では嫉妬したり汚いやつだって思ったりしてたんだろ? 俺はそんなことしない。純粋にひまのことが好きだった。でもみんなは違う。ひまがいなくなったのは、お前らがひまをいたぶって追い詰めたせいじゃないのか!」

 自分の声の残響が、しばらくして陽炎の中で燃えかすのように霧散する。
 全員が目を大きく見開いて俺をじっと凝視する。怯えと混乱の入り混じったかのような視線を浴びて、余計に神経が逆立つような気持ちだった。

「……」

 一斉に口を閉ざしてしまう三人を見て、内心「ほらね」と吐き捨てる。
 やっぱりみんな、自分のせいだって思ってるんじゃないか。
 ひまを追い詰めたのは俺じゃない。みんなだ。そうに違いない。だって俺はひまのこと一度だって責めたり、嫉妬していじめたりしていない。みんながひまを追い詰めた。だからひまは耐えられなくて、姿を消したんだ。

「何も反論できないんだろ? だったらもう認めろよ。自分たちが悪いんだって。この中にいるんだろう? タイムカプセルにあの手紙を入れたやつが。もしかして、三人で共犯だったりする? まあ、もうなんでもいい。とにかくお前たちのせいだ。……もう俺だけでいい。俺が、ひまを守る」

 最後のほうは誰に言い聞かせるでもなく、いちばん自分の胸に語りかけるようにして訴えていた。
 大好きだったのに。みんなのこと、一生の友達だって思ったのに。
 変わっちまうんだ。こんなふうに、綻びは訪れる。俺たちはきっともう一緒にはいられない。だけど、せめてひまだけは。
 ひまだけは、絶対に見つける。
 そして、二人だけでこの先の人生を歩んでいこう。