「涼くん遅いよー? こっちこっち」

「日葵にしちゃ、やるじゃねーか。負けてらんねー!」

 おれも、もう彼女の前で格好つけようとか余計なことは考えずに全力疾走する。

「きゃあ!?」

 男女の体力差に慄いたのか、すぐに追いついた彼女が振り返ってバランスを崩し、そのまま水の中で転びそうになった。

「っと!」

 咄嗟に彼女の腰のほうに手を伸ばす。海の中にバシャンと入る寸前で、日葵を抱きかかえることができた。
 ふ〜危なかった。
 もし日葵が水浸しになったら、どうしようかと……。
 と、安堵していたとき、ふと視線を日葵に落とすと、腕の中の彼女の顔が真っ赤になっているのに気づいた。
 あれ? いまのこの状況って、もしかして。
 気づいた時には、おれも全身が灼熱の太陽を浴びたかのように燃え上がるのを感じた。時刻は午後五時過ぎ、西日は確かに暑いけれど、灼熱というほどではない。

「ご、ごめんっ!」

 慌てて日葵から手を離す。体勢を整えた日葵が、「ううん」と真っ赤になって俯いた。

「私のほうこそ、調子乗っちゃってごめんね?」

「いや、勝負だって言ったしな」

「ありがとう。助けてくれて」

 おかしい。日葵はいつもの彼女のはずなのに。みんなの輪の中心で、満面の笑みを浮かべる彼女。小さい頃からずっと変わらないはずの女の子が、いまこの瞬間、おれの視界の中で艶めいているように見えたんだ。

「あ、あのさ。お腹すいたことだし、あそこでなんか食べない? んでその後さ、よかったら……」

 おれは羞恥心を取っ払うように、砂浜に置きっぱなしだった自分のトートバックを見つめて言った。

「一緒に花火しない?」

「花火?」

 きょとんとした表情でおれをじっと見つめる日葵。もともと大きかった彼女の瞳が、より大きく膨らんだ。

「そう。手持ち花火。昔みんなでよくやったじゃん」

「あっ、手持ち花火ね! なんか、久しぶりすぎて一瞬分かんなかったよ〜。涼くん、もしかして持ってきたの?」

「ああ。実は。日葵と一緒にやりたいなって思って」

 おれのその言葉の意味を、彼女がどう受け取ったのか分からない。パチパチと何度も目を瞬かせて、それから少し間を空けて、「うん、やろう」と頷いてくれた。

「良かった! とりあえずまずは腹ごしらえからだな。海の家行こう」

「そだね。もう私お腹ぺこぺこ〜」

 漫画のキャラクターみたいにお腹をさすっている日葵が、やっぱり彼女らしくて笑ってしまう。
 それからおれたちは海の家で焼きそばを食べた。夜ご飯にしては軽めの食事だったけれど、日葵と二人きりで食べる焼きそばは格別うまかった。

「あ〜お腹いっぱい。てかもう日が暮れてきたね」

「本当だ。いつの間に」

 食事を終えると午後六時半を過ぎようとしていた。まだ完全に日は落ちていないけれど、橙色の空が群青色の空に飲み込まれようとしていた。

「花火、やる?」

「うん!」

 笑顔で頷いた日葵の様子にほっと安堵しつつ、おれたちは再び砂浜のほうへと歩いていく。
 ぎりぎり波が当たらないところで座り込む。日がほとんど沈んでいるこの時間に、好きな女の子と二人きりで浜辺にいるだけで、異空間に舞い降りたかのような感覚に陥った。

「はい、これ」

「ありがとう」

 花火の種類には詳しくないので、とりあえずオーソドックスなものを一本彼女に渡した。俺も同じものを取り、持ってきたチャッカマンで火を点ける。
 すぐに、シャーッという火花が弾ける音がして、炎の花が咲いた。

「わー、綺麗! 久しぶり!」

 黄色い声をあげる日葵がすごく楽しそうで、思わず頬が火照る。花火の火で熱くなったということにしておこう。

「ほんと、綺麗だな。日葵は最後にいつ花火した?」

「えっとね、いつだろう。小学校六年生ぐらいかな? 確かそのときは陽太くんと、陽太くんの家族とみんなで川に行って……」

 日葵の口から陽太の名前が出てきて、心臓がドキリと鳴った。
 落ち着け、おれ……。
 陽太だっておれたちの仲間だろ。二人は幼稚園の頃から一緒で特別仲が良いのだ。家族ぐるみの付き合いだって、おれのところは違う。いちいち気にするな——と頭では冷静に考えられるのに、心臓にぴきりとひびが入ったように痛んだ。
 日葵の目には、陽太しか映っていないような気がして……。
 陽太の目にも、昔から日葵しか映っていない。彼のあのまっすぐさが、おれにはまぶしすぎて、何度も胸を抉られてきた。
 そこまで考えたとき、だめだ、と隣にいる日葵を見ながら思い直す。今、おれは日葵と二人きりで花火をしているんだ。この状況を精一杯楽しまないでどうする? 日葵を騙してまで、つくりあげた時間なんだから。