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「璃子はなんでも人並みにできて羨ましいな。私、すっごい球技が苦手でさー、この前の体育の時間にヘマしてね……」
 
 中学生だったわたしに、ある日日葵ちゃんがそんなことを言ってきた。
 体育の時間に失敗したことに対して落ち込んでいるらしい。
 嫌味はまったくなくて、むしろ失敗した自分を慰めてほしい、という純粋な彼女の気持ちが表れていたと思う。でも、その時のわたしは日葵ちゃんが自分に向けて放つ言葉をすべて、悪いように受け取ってしまっていた。

「そんなことないよ。私は、何の取り柄もないし」

 日葵ちゃんにそう答えた時の自分の声は、思った以上に暗く震えていた。日葵ちゃんがはたと眉根を寄せてわたしを心配そうに見つめる。

「取り柄がないなんて、そんなはずないじゃん! 璃子は真面目で優しくて最高の友達だよ!」

 いつもの彼女らしく、精一杯わたしを元気づけようとしてくれる。その健気な明るさが、その時のわたしにとってはある種の毒だった。
 だってわたしは、人一倍明るくてみんなの人気者だった日葵ちゃんのことを、羨んでいたから。
 幼い頃から、確かにわたしはなんでも要領よくこなすほうだった。勉強も運動も、習っていたピアノや習字も、それなりに“良い”成績をおさめる。けれど、わたしはわたしの限界を知っていた。
 奨励賞はとれても、大賞はとれない——何をやっても、結果はいつも「よく頑張ったね」と軽く褒められる程度だ。その代わり欠点は取らないし、両親もわたしが残す結果に満足してくれる。もともと、我が子に対する期待値はそんなに高くない親だから、ヘマをしなければ十分だと思っていたのだろう。
 だけど、わたしは違っていた。
 わたしはずっと、大賞がほしかった。
 小学校の時に夏休みの課題で出した「夏の思い出絵画コンクール」で佳作をとったときも、ピアノのコンクールで銅賞だったときも、ずっといちばんになることに憧れていた。だけど、心のどこかで自分はいちばんにはなれないと分かっていた。何をやっても人並みにできるけれど、飛び抜けた才能はない。無個性な自分が大嫌いだった。
 そんなわたしのコンプレックスを逆撫でするかのような日葵ちゃんの発言に、思わずぐっと唾をのみこむ。
 絵を描かせてもピアノをやらせても、彼女は絶対にいちばんになれる。なぜなら、日葵ちゃんは神様に選ばれた子だから。
 愛くるしい笑顔で周囲を和ませて、その上あらゆる才能まで手にしている。確かに運動はちょっと苦手なのかもしれないけれど、それ以上に彼女が手にしているアドバンテージは大きすぎた。
 小学生のときから、そんな日葵ちゃんに憧れを抱きつつも、心の中ではメラメラと嫉妬心を燃やしていたのだ。