***
俺と日葵との出会いは幼稚園だった。
年少組のクラスで、初めての集団生活の始まりに馴染めずに泣き出してしまう子もいた。俺は逆に母親と離れて生活することにあまり寂しいとは感じていなかった。なぜなら、母親は俺のことを日頃からあまり可愛がってはくれなかったからだ。ネグレクトとまではいかないけれど、母親は幼い俺のことを良い意味で「一人の別の人格をもった人間」として素っ気なく接していた。悪く言えば無関心。そう、母は俺に対して、ほとんど関心を持っていなかった。
たとえば、俺が幼稚園に上がる前に母親の似顔絵を描いて渡したことがあったのだが、彼女は「ありがとう」と口では言うものの、目はちっとも笑っていなかった。確かに大人から見れば全然上手ではないし、なんならべつの同じ歳の子が描いたものと比べたら下手くそなほうだっただろう。歪んだ顔の輪郭線に、大きすぎる唇と鼻。すかすかの髪の毛。うまく描けたという自信はなかった。でも、母に喜んでもらいたくて、なんとか自分を母の視界に入れて欲しくて一生懸命描いたことだけは覚えている。だから、母がその絵を次の日にゴミ袋に入れて捨てていたのを見た時にはとてもショックを受けた。
母も母なりに、毎日の仕事が忙しく、疲れていたのだろう。だから俺に構う余裕がなくなったのだ——と自分に言い聞かすことで、自分の心を守っていたように思う。
母親からの愛情を感じられない家庭で育ったので、幼稚園に入学して母と離れて生活をするのも平気だった。
「おうちにかえりたい」と泣いている子たちの中で、俺のように平然としている子どもはまれだった。みんな、メソメソと涙を流しながら親が迎えに来てくれる時間が来るのをただひたすら待っていた。
そんな中、ひとりの女の子が泣いている子を慰めているところを目にした。
「ねえ、お外で遊ぼうよ。きっと楽しいよ!」
明るくて和やかなその声は、聞いているだけで耳に心地よい。慰められた子も、はっと目をぱちくりさせて女の子のほうを見た。
「みんなも一緒に遊ぼ! 先生、砂場で遊んでもいいよね?」
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、二つ結びにした髪の毛を揺らす彼女。遠くから見てもさらさらと分かる髪の毛が特徴的で、色白の肌は透きとおるようにきれいだった。
「ええ、もちろんいいわよ。みんなで一緒に遊びましょうか」
「やったー!」
女の子のはからいにより、クラスみんなで外で遊べることになった。
その子が泣いている子を慰めるまでは、教室の中がお通夜のように暗く沈んでいたのに。すごいなあ、と感心していると、女の子は俺のところまでやってきた。
「陽太くん、だったよね。一緒に行こう」
話したこともないのに俺の名前を覚えてくれていた驚きと嬉しさで、思わず彼女を二度見する。名札には「あおしま ひまり」というフルネームが書かれている。確か、クラスにもう一人「あおしま」という苗字の子がいた。女の子だけど顔はあまり似ていなかった。
「あ、葉月も一緒に行こうよ!」
日葵——ひまが、「はづき」と呼ぶもう一人の「あおしまさん」に声をかける。「双子なの。二卵性だから似てないけどねえ」と葉月のことを紹介してくれた。“にらんせい”が何なのかはよく分からなかったけれど、とにかく二人が双子の姉妹だということは理解した。
「……よろしく」
日葵とは打って変わって、低く小さな声で挨拶をする葉月は、双子だというのに性格も全然違っているらしい。
「よろしくね、陽太くん!」
日葵が右手に俺の手を、左手に葉月の手を握り、外へと駆け出していく。
初めて握る日葵の手のひらはやわらかくて小さくて温かかった。
恥ずかしいという気持ちはもちろんあったけれど、俺はこの瞬間からもう、日葵から目が離せなくなっていたんだと思う。
これが、俺と日葵が出会った日の話だ。
俺と日葵との出会いは幼稚園だった。
年少組のクラスで、初めての集団生活の始まりに馴染めずに泣き出してしまう子もいた。俺は逆に母親と離れて生活することにあまり寂しいとは感じていなかった。なぜなら、母親は俺のことを日頃からあまり可愛がってはくれなかったからだ。ネグレクトとまではいかないけれど、母親は幼い俺のことを良い意味で「一人の別の人格をもった人間」として素っ気なく接していた。悪く言えば無関心。そう、母は俺に対して、ほとんど関心を持っていなかった。
たとえば、俺が幼稚園に上がる前に母親の似顔絵を描いて渡したことがあったのだが、彼女は「ありがとう」と口では言うものの、目はちっとも笑っていなかった。確かに大人から見れば全然上手ではないし、なんならべつの同じ歳の子が描いたものと比べたら下手くそなほうだっただろう。歪んだ顔の輪郭線に、大きすぎる唇と鼻。すかすかの髪の毛。うまく描けたという自信はなかった。でも、母に喜んでもらいたくて、なんとか自分を母の視界に入れて欲しくて一生懸命描いたことだけは覚えている。だから、母がその絵を次の日にゴミ袋に入れて捨てていたのを見た時にはとてもショックを受けた。
母も母なりに、毎日の仕事が忙しく、疲れていたのだろう。だから俺に構う余裕がなくなったのだ——と自分に言い聞かすことで、自分の心を守っていたように思う。
母親からの愛情を感じられない家庭で育ったので、幼稚園に入学して母と離れて生活をするのも平気だった。
「おうちにかえりたい」と泣いている子たちの中で、俺のように平然としている子どもはまれだった。みんな、メソメソと涙を流しながら親が迎えに来てくれる時間が来るのをただひたすら待っていた。
そんな中、ひとりの女の子が泣いている子を慰めているところを目にした。
「ねえ、お外で遊ぼうよ。きっと楽しいよ!」
明るくて和やかなその声は、聞いているだけで耳に心地よい。慰められた子も、はっと目をぱちくりさせて女の子のほうを見た。
「みんなも一緒に遊ぼ! 先生、砂場で遊んでもいいよね?」
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、二つ結びにした髪の毛を揺らす彼女。遠くから見てもさらさらと分かる髪の毛が特徴的で、色白の肌は透きとおるようにきれいだった。
「ええ、もちろんいいわよ。みんなで一緒に遊びましょうか」
「やったー!」
女の子のはからいにより、クラスみんなで外で遊べることになった。
その子が泣いている子を慰めるまでは、教室の中がお通夜のように暗く沈んでいたのに。すごいなあ、と感心していると、女の子は俺のところまでやってきた。
「陽太くん、だったよね。一緒に行こう」
話したこともないのに俺の名前を覚えてくれていた驚きと嬉しさで、思わず彼女を二度見する。名札には「あおしま ひまり」というフルネームが書かれている。確か、クラスにもう一人「あおしま」という苗字の子がいた。女の子だけど顔はあまり似ていなかった。
「あ、葉月も一緒に行こうよ!」
日葵——ひまが、「はづき」と呼ぶもう一人の「あおしまさん」に声をかける。「双子なの。二卵性だから似てないけどねえ」と葉月のことを紹介してくれた。“にらんせい”が何なのかはよく分からなかったけれど、とにかく二人が双子の姉妹だということは理解した。
「……よろしく」
日葵とは打って変わって、低く小さな声で挨拶をする葉月は、双子だというのに性格も全然違っているらしい。
「よろしくね、陽太くん!」
日葵が右手に俺の手を、左手に葉月の手を握り、外へと駆け出していく。
初めて握る日葵の手のひらはやわらかくて小さくて温かかった。
恥ずかしいという気持ちはもちろんあったけれど、俺はこの瞬間からもう、日葵から目が離せなくなっていたんだと思う。
これが、俺と日葵が出会った日の話だ。



