八十年越しのラブレター

 タイムスリップした理由が、ようやく分かったような気がした。
 まだ何も初めてないくせに言い訳ばっかして諦めている私を、菅原平成先生があの時代へ(いざな)ってくれたんだ。

 そう心付いた私は、ゴミ箱に捨てたパンフレットを拾い上げる。それは文学部が専攻出来る大学が発行している物だった。
『小説家になることだけを追い求めるのは辞めとき。それだけを軸にしたらアカン』
『それ一本やと、上手くいかんかった時に立ち回らんくなるから』
『だからな、その軸さえあれば俺は夢を追っていいと思うで』
 あの星空の下で、その言葉を落としてくれた日を思い出す。
 冊子をペラペラと捲ると文学部を卒業したら取得出来る資格、卒業生達の就職先、中には働きながらコツコツと小説を書き文学賞を受賞し兼業作家として活躍している人も居るとのことだった。
 私がそんな逸材になれるなんて、身の程を知らないことを言うつもりはない。だけど就職先としてライターや編集者などの、文章を書いたり物語に触れる仕事をしてみたいと望むことすら出来ないのだろうか?
 机上に置かれた紙を見ると、それは進路希望表。
 そこには私の希望と掛け離れた大学名が記入してあり、字は乱雑。投げやりに書き込んだ私の荒れた心が露わになっている。
 そんなグチャグチャな気持ちと共に字を消そうと、小さくなった消しゴムを親指と人差し指で握るけど、私の指先は震えていた。

 大学で勉強しながら、小説を書くの?
 今まで出来なかったんだよ? そこまでの覚悟ある?
 お母さんとお父さんを説得? 兼業作家になりたいから文学を大学で勉強したいと頼むの?
 ……私なんかに出来る?

 しばらく考え込んだ私は指に力をいれ、文字をゴシゴシと消していた。
 出来るかじゃない、やるんでしょう? 
 私は生きる為に、重たいバケツに入った水を腕がもげるかと思いながら何往復もしながら運んで。多量の汗をかいて目と喉の痛みに耐えながら息を切らせて、釜戸の火を焚いてご飯と味噌汁を毎日作って。洗濯板で腕がパンパンになりながらゴシゴシ洗濯して。腰の痛みに耐え、手の平のマメが潰れるぐらいに畑仕事したんだよ?
 出来るよ。あの過酷な時代を経験したのだから。
 明日が来てくれるか分からない、怖さを知ったのだから。
 大切な人の死を、受け入れたのだから。

 遺された本を手に取り強く抱き締めると、「頑張りいや、和葉」と柔らかな声が聞こえる。
 その方向に駆けるとそこは窓。感情のまま開けると、金色に輝く黄昏時の空が広がっている。
 それは大志さんと出会ったあの日の空に続いている。そんな気がした。