八十年越しのラブレター

 農家の父、嫁入りした働き者の母。二人は仲睦まじい夫婦で、父の口癖は「父さんみたいに、ええなと思った子を嫁にもらえ」だった。俺達は三兄弟で、俺は末っ子。祖父母は居なかったけど兄達たちには可愛がってもらい、裕福ではないが幸せな家庭だった。
 小説家になる為に大学で学び執筆に明け暮れたが、戦況は悪化。それにより父と下の兄は務めを果たし、上の兄に赤紙が来た。床に付いた母を一人に出来んと、俺は学友たちに別れを告げ故郷に戻ることにした。そこで目にしたのは村の男は殆ど居らず、遺品だけが帰って来た現実だった。俺が学生として守られている間にどれだけの人が出征してその命を散らせていたか、そのようなことも知らず俺は生き恥を晒してた。
 そう打ちひしがれている時に上の兄の死亡通知と兵服姿の写真が届いて、弱っていた母は栄養失調であっけなく父達の元に行ってしまった。
 俺に残ったのはこの家と畑、そして小説だった。
 そんな思いで万年筆を握ったが、学友も同郷の仲間も戦地に赴き今も厳しい環境で戦ってる。戦死した者も居る。己だけ安全な場所に居る罪悪感から手元は震え、一文も書けなくなった。
 その時に悟った。俺は戦争により全てを奪われた。夢も、家族や仲間も、生きる希望さえも。

 ……そこに一人の少女が現れた。
 その少女は和葉と名乗った。
 和の葉を茂らせて枝葉を重なり合わせ、その姿がまるで敵国と交わりへと想起させるような和睦の葉。

 家前で肌を出した姿で倒れてたことにまず驚愕し、怯える少女を引き止められぬ自身の愚鈍さを呪い、追いつかぬ体に情けなさが滲み出たのは今でも覚えてる。

 その少女は、どうにも不思議な子だった。
 畑を知らぬは腑に落ちるが、飯炊きや洗濯すらとは。良いところの娘が都会から逃奔して来たのかと焦慮したのは記憶に新しい。
 そうかと思えば、米の研ぎ方や包丁の扱いは心得があるようで、釜に残った米粒をかき集め差し出してきた。そうゆう観念はある、聡い子。
 極め付けには漢字は読めないと口にしていたが、書物に対しての知識が文学を学んだ俺以上に豊富。
 真に不思議な少女だった。

 和葉は強き子だった。
 何に対しても一生懸命、働き者で真面目。執筆について話す姿は直向きで、あのような目を初めて見た。
 生前の父が常々口にしていた、「ええな」の概念がようやく理解出来た。
 この戦いが終結した暁に帰る場がないのなら、このまま共に暮らせぬか。嫁に迎えて生涯を共に出来ぬか。
 新たな希望を糧に生きることを許してもらえないかと、星となった人々にただ願った。
 だが、そんな考えが覆ったのはすぐのことだった。

 昭和二十年、三月十日。
 東京が空襲に見舞われた。その前より和葉は異様に落ち着きがなく一人家を出て行ったか、釜戸の火を見て異様に震え上がっていた。
 その後に届いた、空襲による被害。
 しばらく呆けてしまったが、気付けば和葉の方が気に病んでいた。それは親しき人物を案じるものでも、戦況悪化を悲観するものでもなく、自らが作り出した悪夢に毎晩魘され苦悩しているように見受けた。
 この戦災を見通していた? そんな小説みたいなことを思考してしまった。それなら辻褄合うと。
 もしそうなら辛いだろう、なんとかしたい。
 同時にそれは己の姿だと、ようやく自身を顧みることが出来た。
 だから和葉と小説を書こうと決意した。
 しかし今思い起こせば、闇に引きずり込まれていた俺に光を差してくれたのは和葉の方だった。あの子でなければ、俺の心は動かなかっただろう。
 それと同時に、あの子への気持ちに区切りをつけた。
 元の時代に彼女を返さないといけない。
 抑えられぬ気持ちを抑える為、幼き妹として接する。
 そう、心に決めた。

 その一ヶ月後、とうとう俺にも召集命令が来た。
 そしたら和葉は、八月十五日に戦争は終わると言った。
 この戦いの行方を問うと、口を噤む姿。
 今の段階ではその真意を確かめる手段など皆無だが、心の中でどこか腑に落ちた。
 この子は日本の行く末を知っている。未来の世界から来た少女。
 そして悟った。日本は敗北する、と。
 これだけの犠牲を払っても、日本は何も得ることはなかった。そんな事実に俺は打ちひしがれた。
 だが、和葉の姿を見て思った。未来の日本は、平和な世界。ならば俺が出征するのも、日本の敗北にも意味があるのかもしれない。未来に繋がる意味が。だから俺は運命に従う。未来の平和の為に。和葉が生きる未来を守る為に。