中学一年生の時から小説を書いていた私は、親に怒られない為に成績を落とさないよう細心の注意を計りながら執筆をしていた。高校も私の学力より明らかに上を目指して、なんとか合格出来た。
 その時は安心したな。もう怒られずに済むって。
 だけど自分の学力より上の環境に行くことを、私は甘くみていた。
 少しでも気を抜くと、落ちる成績。中学の勉強量では、両立なんて出来なかった。勉強で疲れた後に小説を書くなんて出来なかった私は、高校二年生で断筆してしまった。
 高校三年生になり進路を決めないといけなかった時、私は大学の文学部に進学し、小説を書く勉強がしたかった。
 だけど、そんなこと言えるわけなかった。そんな不安定なことしたいなんて。怒られて反対されると分かっていたから。
 だから私は……。
 何を言っているのだろう。たった今、多くの人の命が失われているのに。

「分かるわ、俺もお父さんに反対されて、毎日殴られたな。しかもグーやで」
 握り拳を作り戯けて話す姿からは、そんな修羅場を潜り抜けてきたなんて想像もつかなかった。
「……酷い」
「いや、当たり前や。農家の息子がそんな戯けを言い出すんやで」
 家の家長が言うことは絶対とされ、親が子供に手を上げる。本当にそんな時代があったんだ。
「でもな、毎日頼み込んだんや。諦め切れんかった。お母さんや、兄ちゃんらも一緒に頼んでくれてな。一ヶ月粘って受験する許可をもらって、東京の大学に入学決まったら大学卒業後は農業をしっかりやることを条件に小説を書くことを許してもらった」
「すごい」
 私は感情のまま、手をパチパチと叩いていた。

「ちゃうちゃう、すごいのは両親と兄らや。あり得んからな。……こうやって念願の大学で学べて、何とか認められようと小説を公募に出してたけど、全然やで。大学で同級生に読んでもらっても、全然意味分からんわーって笑われたしな。理解してくれてるのは極一部。大学の友人三人と、菊さんと旦那さんだけや。めっちゃ面白いって本にするように勧めてくれ、出資までしてくれてな。でも全然やったわ。まあ、合う合わないがハッキリしている話とは言われてるでな。でもやったると思った。大学の単位落とさんように勉強して、家庭教師の仕事して、寝る時間削って執筆して、それで絶対に文学賞を取る。そう意気込んでたな。……そんな時に戦況が悪化していった。大学の授業はなくなり、子供らが通う学校までなくなった。しゃーないよな? 子供らも我慢しとるんやで。親と引き離されたり、亡くした子だっているんやで……」
 星々を眺める表情は、あまりにも切なくて。
 今独りぼっちということはお父さんやお兄さん達も戦地に居るのか、それとも……。それにお母さんは?
 そんなこと、聞けるはずもなかった。

「和葉は、小説書くの好きか?」
 その言葉に、キュッと縮まる胸の奥。そんなの決まっている。
「好きです」
 それを口にした途端。現実の世界で生活している時にいつも感じていたザラザラとした感情が、何か分かったような気がした。
 私は小説が好きなんだ。書きたいんだ。それが出来ないから、いつもザラザラとした感情に苦しんでいたんだ。
 そんな現状を変えようとしない、自分に。

「やったら、書いたらええやん? 好き以上の理由はないで?」
「大志さんは?」
「好きなんやな、それが。小説家になるなんて夢、諦められたらどんだけええか」
 はははっと軽快に笑う姿からは、修羅場を乗り越えてきたなんて思わせないほどに強い。

「和葉がどこまでを思ってるんか、分からん。趣味やったら、時間が許す限りやればええと思う。でもな、もしこの先小説家を目指すなら、文学賞落ちまくってる俺から言わせて欲しいことがあるんや。聞いてくれんか?」
「はい、お願いします」
 正直どこまでの想いなのかは分からないけど、ただ執筆の先輩として是非ともご教授願いたかった。

「小説家になることだけを追い求めるのは辞めときや。それだけを軸にしたらアカン。今なら親の反対も分かるんや、優しさもな。俺を勘当せず進学を認めるから農家として働けと言ったのは、小説を書かせる為や。それ一本やと、上手くいかんかった時に立ち回らんくなる。小説家は無理でも農家で食ってけるし、文学を学んでたから他の働き口がある。俺はそれが分かってるから進学に突き進んで、好きな話が書けるんや。だからな、その軸さえあれば俺は夢を追ってええと思うで」
 その言葉に、気付けば私は俯いてしまい唇が震えてしまっていた。
 何、甘えたことを考えていたのだろう。どうせ認めてもらえないなんて、親のせいにして諦めて。
 大志さんはお父さんを何度も説得して大学で勉強して、睡眠時間削ってまで小説書いていた。公募に挑戦していた。夢が叶わなかった時のことも考えて、自分の人生に向き合っていた。

「……だから私はダメなんですね。何も出来ないから、親の言うことを聞いておけば良いって……」
 そこまで本音を漏らしてしまい、慌てて口を噤む。
 そんなこと言われても、大志さんが困るでしょうと自身に言い聞かせながら。

「ダメやと思うなら、今から行動起こしたらええやん。紙と万年筆あげるで、これから書き!」
「いえ……」
 書きたい。書きたい。書きたい。
 だけど、書けないよ。だって……。
 東京の方角と思われる空を眺め、目を強く閉じる。

「……寒なってきたな、帰ろか?」
「はい」
 大志さんはその後執筆のことに触れず、二人で広がる星空を眺めながら肩を並べて歩いた。
 家に戻ると、大志さんは釜戸に火を付け始めた。
 朝食の準備には早いと言おうするが、パチパチと燃える赤い炎に私は思わずその場を離れる。
 息をハアハアと切らし、心臓がはち切れそうに脈を打ち、心にまとわりつく黒いモヤ。おそらくこれは、罪なき人達を見殺しにした罪悪感だろう。
「大丈夫か?」
 そう声をかけてくれる大志さんの手には、二つの湯呑み。白湯だった。
「寒いやろ、飲もう」
 わざわざ釜戸に火を付けてまで、温めてくれた。
「ありがとうございます」
 ちゃぶ台に正座し、二人でそれを口にする。
 当たり前だけど、味がない。だけどそれは冷え切った体を温めてくれ、震えていた体を落ち着かせてくれた。

「なんか、あったか?」
「……いえ、何も」
 言えない。大志さんの大切な人達が亡くなったかもしれないなんて。
 また一日が始まるから二時間だけでも寝ようと、部屋に戻って布団に潜る。
 大志さんが一緒に居てくれて良かった。そうじゃないと私は良心の呵責でおかしくなりそうだった。

 星空に願うのは一つ。一秒でも遅く、大志さんにその知らせがいくことだった。
 しかし時は残酷で、次の日にその知らせが入ってきた。