それから一週間が経った。
私は何とかバイトを増やし、【バイト代で修学旅行の積立金を賄う選択をした】。何も変わっていない無難な選択でも、「悔しい」という感情だけで気力が上がり、体調は崩さずにやれていた。
それでも、身体の疲れが溜まってきているのは感じていて、私はある決断をした。
【お母さんに今月だけ電気代と水道代を払って貰うこと】
それだけで大分楽になるだろう。お母さんはファッションにもお金を使う人で、あまり余裕がない中でも私よりは余程贅沢をしている。それに気分屋なので、機嫌が良い時を狙えば今月分だけならいけるだろう。
そう思ってから数日が経った夜、チャンスはやってきた。
「今日の夕飯オムライスじゃん。嬉しい」
「お母さん、前に食べたいって言ってたから」
「覚えててくれたんだ」
どうやらその日は機嫌が良いようで、「これパート先の人に貰ったから、広奈が食べな」と和菓子の練り切りまで私にくれた。お母さんの機嫌が良いことは、一緒に暮らしている私からすると一目瞭然だった。
「お母さん、ちょっと話があるんだけど……」
「んー、どした?」
「実は修学旅行に行きたくて……積立金のお金が今月だけ厳しくて、水道代と電気代を今月だけお願いしたくて……」
「今月だけ」を強調するように二度繰り返した。私の見立て通りお母さんの機嫌は良かった方だった。
ただ……私がお母さんのことを甘く見ていただけ。期待しすぎていただけのことだった。
「水道代と電気代のことは良いけど、広奈が修学旅行に行っている間は誰が家事をするの?」
「え……?」
「修学旅行って日帰りじゃないでしょ?」
お母さんは当たり前のことを聞くように首を傾げた。自分の常識など全く通用していないことを、その時初めて実感した。いや、本当はずっと分かってた。お母さんに常識なんか通じないこと。
気づけば、私はいつも通りニコッと乾いた笑顔を作っていた。
「ああ、うっかり忘れてた。修学旅行はやめとくね」
「修学旅行に行かないなんて出来るの?」
「どの口が言うんだ」と心の底から怒りが沸々と湧きそうになる。
「うーん、ちょっと体調が悪いことにすれば大丈夫! でも、担任の先生から確認の電話があるかも……」
「なるほどねー、大丈夫。お母さんが上手く言っておくから」
高校から家に電話が掛かれば、お母さんの機嫌が悪くなるとずっと思っていた。修学旅行の話をすることすら気に障ると思っていた。そんな考えは外れて、「家事をしてくれる道具」である私がいなくなると困るから口裏を合わすと簡単に言うのだ。
良かったじゃん。これで問題解決だよ。
そう思うのに、心のざわつきが何故か取れない。イライラが収まらない。
その日は早く布団に入ったのに……バイトで疲れていたのに、すぐに眠ることすら出来なかった。
翌日もいつも通り、目覚ましで起きて、お母さんの朝食の準備をして、洗濯を干して、家を出る。
いつも通りの日常をこなしているはずなのに、修学旅行の問題も解決したのに、何故かイライラがまだ収まっていなかった。それは、教室についても同じで。
登校すると、私の席に実里が近寄ってくる。
「広奈、数学の課題見せてー!」
「うん、良いよー」
【自分でやってこいよ。金も時間もあるくせに】
「ていうか、前に言ってたカフェさー。今、限定のフェアメニューあるらしいよ! 広奈いつならいける?」
「うーん、しばらくは忙しくて」
【行けるわけないじゃん。うっざ。お金ありますアピールかよ】
もう自分の醜さに気持ち悪さすら感じなくなっていた。
「そういえばさー、昨日面白い動画見つけてさー」
【うるさい、こっちは寝不足なんだよ。まじでうるさい。頭に響く】
「広奈? 聞いてる?」
「うん、聞いてる!」
【あー、もう全てが面倒臭い】
「倉持さん、顔に全部出てますよ」
気づいたら、前の教壇に立っていた立花先生が私にそう言い放った。実里がキョトンとした顔で、私と立花先生を交互に見ている。
「え……何の話?」
そう口を開いた実里に立花先生はニコッと笑って何も言葉を返さなかった。代わりに私の方を向いて、言葉を放った。
「倉持さん。入学当初から修学旅行の積立金が払われていませんが、大丈夫ですか?」
理解出来ないまま、頭が働かないまま、シーンとした空気が流れ続ける。その沈黙を打ち破るように、実里が不安そうな顔で「広奈……?」と呟いた。
その会話が聞こえていたのか近くの男子たちが話し始める。
「え、倉持って積立金払ってねぇの?」
「やばくね。実はど貧乏ってこと?」
「ていうか、立花先生も教室の真ん中でいうことじゃねーし。やばすぎるだろ」
そんな地獄の空気を打ち破るように、ホームルームの時間を知らせるチャイムが鳴った。チャイムの音を聞いて、立花先生がまた話し始める。
「すみません、倉持さん。この話はまた後で。では、ホームルームを始めます」
ザワザワとしていたクラスも時間が経つにつれて、皆んな席に戻りはじめる。実里は「えっと……」と何かを言おうとしたが、結局何も言わずに自分の席に戻っていく。
ホームルームで話す先生の声は、もはや何も頭に入ってこない。
それでもホームルームが終わって、また一限までの休憩時間が始まれば、クラスメイトの視線が私に集まる。いや、私が視線を向けられているように感じているだけかもしれない。でも、耐えられなかった。
私は何も働かない頭で、何故か教室を飛び出した。
自分が何を考えているかも分からないまま、とりあえず教室から離れたくて……高校から離れたくて、私は気づけば正面玄関で靴を履き替えていた。
「倉持さん」
その声に私はもう振り返ることも出来ずに、靴を履き替えて校舎を飛び出そうとした。しかし、立花先生はそれを許さない。
「高校をサボったとお母さんに電話しますか?」
その言葉に私はバッと振り返って、叫んだ。
「これ以上、何が不満なんですか!?!? どこまで私を不幸にするの!? 私が先生に何かしましたか!?」
「何も。お金を持っていなかった、ただそれだけのことです」
「は?」
「お金を持っていなかったから、修学旅行の積立金を払えず、私に呼び出され、私に注目された。それだけです」
立花先生が上履きのまま、私のところまで歩いてくる。
「お金を持っていなかったことを恨んで下さい」
校舎に一限の始まりを告げるチャイムが鳴り響く。
「今朝、倉持さんのお母様から電話がありました。娘は身体が弱いので修学旅行に行けません、と。これで僕の仕事は終わりです。貴方に用事は無くなった。だから、最後にアドバイスをあげます」
一限が始まっている今、正面玄関は当たり前だけれど誰もいなくて。それなのに心臓が煩いほどにドクドク鳴り響いていて、静かさを感じることすら出来ない。そんな余裕すらなかった。
「これからも倉持さんは周りを恨むでしょう。先ほどの様に薄暗い感情が顔に滲み出るほど人を恨んでいく。それなのに、人との繋がりを切ることも出来ないでしょう。そして、お母さんにはっきり物を言うことも出来ないし、逆らうことも出来ない」
どうせ言葉など出て来やしないのに、「っ……」と何かを言い返そうとしている自分がいた。
「先ほどクラスメイトの前で修学旅行の積立金について話した私を恨みますか? 私は『事実』を言っただけですが、恨みますか? まぁ、別に倉持さんに恨まれても私は何も困らないので別に良いんですが。どうせ何かする度胸もないでしょうし」
立花先生が目を少しだけ細めた。
「貴方は、前に『悔しい、と思った自分の感情は間違っているか』と私に聞きました。それに私は『原動力になるなら、間違っていない』と答えた……本当に貴方は『悔しい』を原動力に出来ていましたか? 現状で一番変化のないバイトを増やすという選択肢を選んで、結局相手に言いたいことも言えないままで、それで不満だけを募らせていく。そんな貴方を醜いと言って何が悪いんですか?」
私はその場にペタンと膝をついて、へたり込んだ。もう玄関の床は汚いとか気になる段階は過ぎていた。
「どうすれば良かったんですか……」
そう言った私に、先生は簡単に答えた。
「貴方はどうしたかったんですか? 今のままで嫌なら、行動をするしかないでしょう」
行動する……私は今まで行動出来ていなかったのだろうか。
「今、クラスメイトの前で倉持さんの秘密を明かした私を恨んだだけで終わるのも倉持さんの自由です。でも、それが嫌ならもっと『本当の矜持』を持って下さい。見栄やプライドを捨てて、本当に大切だと思うものを大事にしなさい。顔色を窺って本心も言えない友達が大事ですか? 自分のことを愛してもくれない母親が大事ですか? 倉持さんの大事なものは一体なんですか?」
つらつらと言葉を並べられて、すぐに頭に入って来ない……そう思いたいのに、どこか言葉の本質だけは理解出来た気がして。
「僕はお金が一番大事です。だから、お金を一番大切にする。それが僕の矜持です」
頭がおかしい先生だと思っているのに、どうして私は今この人の話を静かに聞いているのだろう。それでも、聞いてしまった言葉は聞かなかったことには出来ないのだ。言ってしまった言葉を言わなかったことには出来ない様に。
「倉持さん、どうか自分の本当に大切なものに目を向けて下さい」
そう言った後、立花先生が正面玄関の前についている時計に目を向ける。
「まだ一限の途中ですか。確か今日の一限は古文でしたね。居眠りに続き、サボりはまずいんじゃないですか? 遅刻の方がマシな気がしますが」
「教室に戻れって言いたいんですか……」
私の言葉に先生は、何も言わずに校舎の中に入って行った。取り残された私は暫く動けなかったが、一限が終わる10分前に立ち上がった。
そして教室の前に行き、扉に手をかけてゆっくりと中に入る。怖がって立ち止まっても、何も変わらないと思ったから。
そう思って開けた扉の先を変えられるかは、きっとこれからの私の歩み方次第だろう。
私は何とかバイトを増やし、【バイト代で修学旅行の積立金を賄う選択をした】。何も変わっていない無難な選択でも、「悔しい」という感情だけで気力が上がり、体調は崩さずにやれていた。
それでも、身体の疲れが溜まってきているのは感じていて、私はある決断をした。
【お母さんに今月だけ電気代と水道代を払って貰うこと】
それだけで大分楽になるだろう。お母さんはファッションにもお金を使う人で、あまり余裕がない中でも私よりは余程贅沢をしている。それに気分屋なので、機嫌が良い時を狙えば今月分だけならいけるだろう。
そう思ってから数日が経った夜、チャンスはやってきた。
「今日の夕飯オムライスじゃん。嬉しい」
「お母さん、前に食べたいって言ってたから」
「覚えててくれたんだ」
どうやらその日は機嫌が良いようで、「これパート先の人に貰ったから、広奈が食べな」と和菓子の練り切りまで私にくれた。お母さんの機嫌が良いことは、一緒に暮らしている私からすると一目瞭然だった。
「お母さん、ちょっと話があるんだけど……」
「んー、どした?」
「実は修学旅行に行きたくて……積立金のお金が今月だけ厳しくて、水道代と電気代を今月だけお願いしたくて……」
「今月だけ」を強調するように二度繰り返した。私の見立て通りお母さんの機嫌は良かった方だった。
ただ……私がお母さんのことを甘く見ていただけ。期待しすぎていただけのことだった。
「水道代と電気代のことは良いけど、広奈が修学旅行に行っている間は誰が家事をするの?」
「え……?」
「修学旅行って日帰りじゃないでしょ?」
お母さんは当たり前のことを聞くように首を傾げた。自分の常識など全く通用していないことを、その時初めて実感した。いや、本当はずっと分かってた。お母さんに常識なんか通じないこと。
気づけば、私はいつも通りニコッと乾いた笑顔を作っていた。
「ああ、うっかり忘れてた。修学旅行はやめとくね」
「修学旅行に行かないなんて出来るの?」
「どの口が言うんだ」と心の底から怒りが沸々と湧きそうになる。
「うーん、ちょっと体調が悪いことにすれば大丈夫! でも、担任の先生から確認の電話があるかも……」
「なるほどねー、大丈夫。お母さんが上手く言っておくから」
高校から家に電話が掛かれば、お母さんの機嫌が悪くなるとずっと思っていた。修学旅行の話をすることすら気に障ると思っていた。そんな考えは外れて、「家事をしてくれる道具」である私がいなくなると困るから口裏を合わすと簡単に言うのだ。
良かったじゃん。これで問題解決だよ。
そう思うのに、心のざわつきが何故か取れない。イライラが収まらない。
その日は早く布団に入ったのに……バイトで疲れていたのに、すぐに眠ることすら出来なかった。
翌日もいつも通り、目覚ましで起きて、お母さんの朝食の準備をして、洗濯を干して、家を出る。
いつも通りの日常をこなしているはずなのに、修学旅行の問題も解決したのに、何故かイライラがまだ収まっていなかった。それは、教室についても同じで。
登校すると、私の席に実里が近寄ってくる。
「広奈、数学の課題見せてー!」
「うん、良いよー」
【自分でやってこいよ。金も時間もあるくせに】
「ていうか、前に言ってたカフェさー。今、限定のフェアメニューあるらしいよ! 広奈いつならいける?」
「うーん、しばらくは忙しくて」
【行けるわけないじゃん。うっざ。お金ありますアピールかよ】
もう自分の醜さに気持ち悪さすら感じなくなっていた。
「そういえばさー、昨日面白い動画見つけてさー」
【うるさい、こっちは寝不足なんだよ。まじでうるさい。頭に響く】
「広奈? 聞いてる?」
「うん、聞いてる!」
【あー、もう全てが面倒臭い】
「倉持さん、顔に全部出てますよ」
気づいたら、前の教壇に立っていた立花先生が私にそう言い放った。実里がキョトンとした顔で、私と立花先生を交互に見ている。
「え……何の話?」
そう口を開いた実里に立花先生はニコッと笑って何も言葉を返さなかった。代わりに私の方を向いて、言葉を放った。
「倉持さん。入学当初から修学旅行の積立金が払われていませんが、大丈夫ですか?」
理解出来ないまま、頭が働かないまま、シーンとした空気が流れ続ける。その沈黙を打ち破るように、実里が不安そうな顔で「広奈……?」と呟いた。
その会話が聞こえていたのか近くの男子たちが話し始める。
「え、倉持って積立金払ってねぇの?」
「やばくね。実はど貧乏ってこと?」
「ていうか、立花先生も教室の真ん中でいうことじゃねーし。やばすぎるだろ」
そんな地獄の空気を打ち破るように、ホームルームの時間を知らせるチャイムが鳴った。チャイムの音を聞いて、立花先生がまた話し始める。
「すみません、倉持さん。この話はまた後で。では、ホームルームを始めます」
ザワザワとしていたクラスも時間が経つにつれて、皆んな席に戻りはじめる。実里は「えっと……」と何かを言おうとしたが、結局何も言わずに自分の席に戻っていく。
ホームルームで話す先生の声は、もはや何も頭に入ってこない。
それでもホームルームが終わって、また一限までの休憩時間が始まれば、クラスメイトの視線が私に集まる。いや、私が視線を向けられているように感じているだけかもしれない。でも、耐えられなかった。
私は何も働かない頭で、何故か教室を飛び出した。
自分が何を考えているかも分からないまま、とりあえず教室から離れたくて……高校から離れたくて、私は気づけば正面玄関で靴を履き替えていた。
「倉持さん」
その声に私はもう振り返ることも出来ずに、靴を履き替えて校舎を飛び出そうとした。しかし、立花先生はそれを許さない。
「高校をサボったとお母さんに電話しますか?」
その言葉に私はバッと振り返って、叫んだ。
「これ以上、何が不満なんですか!?!? どこまで私を不幸にするの!? 私が先生に何かしましたか!?」
「何も。お金を持っていなかった、ただそれだけのことです」
「は?」
「お金を持っていなかったから、修学旅行の積立金を払えず、私に呼び出され、私に注目された。それだけです」
立花先生が上履きのまま、私のところまで歩いてくる。
「お金を持っていなかったことを恨んで下さい」
校舎に一限の始まりを告げるチャイムが鳴り響く。
「今朝、倉持さんのお母様から電話がありました。娘は身体が弱いので修学旅行に行けません、と。これで僕の仕事は終わりです。貴方に用事は無くなった。だから、最後にアドバイスをあげます」
一限が始まっている今、正面玄関は当たり前だけれど誰もいなくて。それなのに心臓が煩いほどにドクドク鳴り響いていて、静かさを感じることすら出来ない。そんな余裕すらなかった。
「これからも倉持さんは周りを恨むでしょう。先ほどの様に薄暗い感情が顔に滲み出るほど人を恨んでいく。それなのに、人との繋がりを切ることも出来ないでしょう。そして、お母さんにはっきり物を言うことも出来ないし、逆らうことも出来ない」
どうせ言葉など出て来やしないのに、「っ……」と何かを言い返そうとしている自分がいた。
「先ほどクラスメイトの前で修学旅行の積立金について話した私を恨みますか? 私は『事実』を言っただけですが、恨みますか? まぁ、別に倉持さんに恨まれても私は何も困らないので別に良いんですが。どうせ何かする度胸もないでしょうし」
立花先生が目を少しだけ細めた。
「貴方は、前に『悔しい、と思った自分の感情は間違っているか』と私に聞きました。それに私は『原動力になるなら、間違っていない』と答えた……本当に貴方は『悔しい』を原動力に出来ていましたか? 現状で一番変化のないバイトを増やすという選択肢を選んで、結局相手に言いたいことも言えないままで、それで不満だけを募らせていく。そんな貴方を醜いと言って何が悪いんですか?」
私はその場にペタンと膝をついて、へたり込んだ。もう玄関の床は汚いとか気になる段階は過ぎていた。
「どうすれば良かったんですか……」
そう言った私に、先生は簡単に答えた。
「貴方はどうしたかったんですか? 今のままで嫌なら、行動をするしかないでしょう」
行動する……私は今まで行動出来ていなかったのだろうか。
「今、クラスメイトの前で倉持さんの秘密を明かした私を恨んだだけで終わるのも倉持さんの自由です。でも、それが嫌ならもっと『本当の矜持』を持って下さい。見栄やプライドを捨てて、本当に大切だと思うものを大事にしなさい。顔色を窺って本心も言えない友達が大事ですか? 自分のことを愛してもくれない母親が大事ですか? 倉持さんの大事なものは一体なんですか?」
つらつらと言葉を並べられて、すぐに頭に入って来ない……そう思いたいのに、どこか言葉の本質だけは理解出来た気がして。
「僕はお金が一番大事です。だから、お金を一番大切にする。それが僕の矜持です」
頭がおかしい先生だと思っているのに、どうして私は今この人の話を静かに聞いているのだろう。それでも、聞いてしまった言葉は聞かなかったことには出来ないのだ。言ってしまった言葉を言わなかったことには出来ない様に。
「倉持さん、どうか自分の本当に大切なものに目を向けて下さい」
そう言った後、立花先生が正面玄関の前についている時計に目を向ける。
「まだ一限の途中ですか。確か今日の一限は古文でしたね。居眠りに続き、サボりはまずいんじゃないですか? 遅刻の方がマシな気がしますが」
「教室に戻れって言いたいんですか……」
私の言葉に先生は、何も言わずに校舎の中に入って行った。取り残された私は暫く動けなかったが、一限が終わる10分前に立ち上がった。
そして教室の前に行き、扉に手をかけてゆっくりと中に入る。怖がって立ち止まっても、何も変わらないと思ったから。
そう思って開けた扉の先を変えられるかは、きっとこれからの私の歩み方次第だろう。