「一人で死ぬなんてずるいよ。どうせなら一緒に死なないか?」

 ヤバい教師だと思っていたけど、ここまでヤバいとは。
 私は死にたいことを見破られたことに驚くとともに、奇妙な提案をされたことにもっと驚いた。
 死にたい願望のある女子高生の私はどう返答したらいいのかとても困った。
 目の前で奇妙な提案をしたのは担任の津島修治。
 本人は太宰治の本名と同じことが自慢らしい。
 年齢は二十三歳の新米教師。
 担当は現国。
 国立大卒業の高校教師だ。
 幸薄で眉目秀麗な見た目であり、常識人のように見えるが、言動はとても奇妙で個性的だ。
 基本的に口癖はネガティブ全開。若くイケメンにもかかわらず、危険な教師と認識されている。
 いつも目の下にはクマがあり、痩せているため病弱に見えるが本人曰く体は健康らしい。

 先生の口癖は以下のような言葉だ。太宰治に傾倒しつつ、自ら言葉を編み出している。

「生まれて、すみません」
「恥の多い生涯を送ってきました」
「私に死ぬなというのは愚の骨頂」
「人間失格」
「私は変人であって変態ではない」
「私は最高の死を求めているんだよ」
「死にぞこなった。次はどんな方法で死のうか」
「気の毒は最高の褒め言葉」

 好物は薬と自認していて、サプリメントを常に携帯している。
 自他共に認める自殺マニア。色々な文献を読み漁ったり、事件を調べているらしい。
 控え目に言って変態だが、なかなか頭のキレる男。
 幸薄病弱系イケメン。
 ヘタレの極みでもある。
 一人で死ぬのが怖いから誰かを誘いたいのだと思われる。
 年上なのにどうも頼りない。

 ヤバい教師の基本の情報はこんなところだ。
 私が死にたいのは本当だが、こんな人と一緒に死にたいわけではない。
 好きな相手と心中するのならばともかく、好きでもない人間と心中するのは不本意の極み。

「実は、いい自殺スポットがあるんだ。一緒に見学しないか?」
 にこやかに提案したとおもえば、自殺スポットの提案とは。
 なんたる教師だろうか。

「教師と生徒が個人的に二人で行動するのは問題があるような気がします」
「死ぬのだから問題はない。我々は死ぬための下見を入念に行っているだけなのだから。最期の場所を吟味することに罪はないだろう」

 自殺とはもっと衝動的であるべきだと思うのだが、この教師はどうも入念な下見をして吟味したいようだ。
 理屈はわかるが、他人から見たら屁理屈だとしか思えない発言。

「一つ約束してほしい。卒業までは死ぬな。卒業したら、一緒に死のう。それまでは絶対に一人で死ぬなよ」
「もしかして、死ぬなという教師的発言ですか」
「だって、一人で死ぬのは寂しいから、仲間だろ」

 あっけにとられる。意味不明の発言。こんな人が教師とは世も末だ。

「実は八木山橋という場所があってな」
 地元では有名な自殺スポットだが、現在橋から飛び降りることができないようになっている。
 地元民は知っているが、近所に遊園地があったり、普通に通勤やレジャーのためにたくさんの車が通る橋で、怖さはない。ただ、一部噂を聞きつけた若者が好奇心で訪れることはあるが、何かに取り憑かれるとかそういったことはないと思われる。

「今は安全のために高くフェンスが取り付けられていて、自殺は無理だと思います」
「そこは、どう自殺をするのか考えるしかないだろ」
「橋の下は、いも煮をするようなレジャースポットなので人に迷惑をかけると思います」
「実に残念だ。しかし、そういう場所に行ってみたいと思うのが志願者として当然だろ」
 なぜか使命感にあふれている。やはり、関わってはいけない人種らしい。

「なぜ、先生は死にたいのですか?」
「私に死にたい原因を言わせるなんて愚の骨頂だ」
「一応聞いておきたいと思って。同士ですから」
「私にとって死は当たり前の感情なんだよ。人間は生まれて死ぬ。これは自然の摂理で誰もが平等だ。生まれた時から、ずっと死ぬときのことを考えているんだ」
「別に今すぐじゃなくてもいいんじゃないですか?」
「今すぐじゃなくてもいいが、死にたいとは思っている。だから、橋を見に行こう」
「明日、土曜日なら学校もないし出かけてもいいですけど」
「そうだな。休日も仕事はあるが、死に場所を見つけるためには覚悟の上だ」
 なんの覚悟なのかも不明だが、過去一のやる気を見せる先生。

 そんなことで、急遽ヤバい教師との休日自殺スポットめぐりに行くことになった。
 死に場所はどんな場所がいいのだろう。
 人に迷惑をかけない場所で死にたい。
 でも、現実、死んだら誰かがそれを見つけて警察が司法解剖するのだろうか。
 事件性があるかを調べられるのかもしれない。
 遺族に連絡がいって、葬儀屋に手配して、遺体を燃やしてもらって、役所に手続きをするのかもしれない。
 お寺の住職にお経を唱えてもらって、墓石屋に遺骨を入れてもらう。 
 これだけでも相当の人に支えられてお墓までたどり着く。
 いっそのこと失踪かもしれないという感じにしたほうが生きているかもしれないと思われる。
 遺体がないほうが遺族は楽だろうか。
 なるべくお金をかけない迷惑をかけない死に方ってどれなのだろうか。
 こんなことを考える女子高校生はあまりいないかもしれない。
 夏休みが終わるころに自殺率が上がると聞いた。
 明確な理由がなくても、なんとなく学校に行きたくない子どもはたくさんいるらしい。
 なんとなくというのは私にも当てはまる。
 明確な嫌がらせやいじめがなくても、なんとなく行きたくない。
 ずっと部屋にいたほうが楽だし、気を遣わない。
 一人は疲れない。みんなと共に生活する学校は疲れる。

「先生はいつも奇抜な言動をしますが、変態ですか?」
「私は変人であって変態ではない。それに、奇抜な言動をしているつもりはない」
 この人の普通が死にたいことなのかもしれない。
 死にたいという気持ちがこの人を作り上げていて、アイデンティーなのかもしれないと思う。

「人は私のことを気の毒だと言うが、気の毒は最高の褒め言葉だと思っているんだ」
 やっぱり普通ではない。
 でも、悪気があるとか、人を不幸にしようとかは思っているわけではないようだ。
 どちらかというと、自分を不幸にしようと思っているような気がするが。

 約束の日が来た。
 不覚にも楽しみにしていた。 
 休日に誰かと出かけるなんていつぶりだろうか。
 しかも男性と出かけるなんて初めてかもしれない。
 まあ、あんなとんでもない思想の変人を男性にカウントするのはどうかと思うが。
 私たちの目的は死に場所を探すこと。
 少しでもいい場所を見つけるために自殺スポットを見て見ようということだった。
 あの辺りは山なので、他にもいい場所があるかもしれないとも思う。
 一つ言っておくと、いい場所というのは、死ぬのにいい場所だ。
 土曜日の午後、まだ暑さが残る時期。
 私たちは自殺スポットを見るために待ち合わせをした。
 橋の近くに遊園地があるため、そこの前で待ち合わせをした。

 休日の先生は全身黒い服を着ており、夜の街が似合いそうな風貌だった。
 顔立ちはきれいだし、スタイルもいいけど、ときめくこともなく、淡々としている自分がいた。
「君に迷惑をかけないように、一応サングラスかけとくよ。今日のコンセプトはロックバンドのミュージシャンをイメージした格好なんだけど」

 人を気遣うタイプには見えないが、一応気を遣っているらしい。

「実は、ここの遊園地に行ったことがないんだ。友達もいないし。君、一緒に行ってくれないか?」
 友達がいないというフレーズは切実な感じがする。嘘偽りはなさそうだ。
 
「今日は橋を見るために待ち合わせしたんじゃないの?」
「そうだが、とりあえず死ぬ感覚を味わうためにジェットコースターに乗ろう」
 死ぬ感覚を味わうために絶叫系とは。
 発想が突飛だと思われる。
 恋愛感情ゼロの私たちは、なぜか死ぬための感覚を味わうためにに遊園地に入った。
 入場料が高校生には痛い出費だったので、大人である先生が払ってくれることとなった。

「死ぬための予行練習が遊園地ではできるからね。安いもんさ」
 先生のヤバい感覚にドン引きしながらも、私は同行した。
 やはり変人だな。

「フリーパス、いいじゃないか」
 そう言うと二人分購入して、日本一遊園地が似合わない男と遊園地に行くこととなった。
 陽の光が似合わない男だと思う。
 肌は青白くアウトドアとは程遠い印象だ。
 友達と騒ぐような感じでもないし、明るい場所は正直似合わない。
 でも、私自身も人のことを言えるような明るい人間ではないので、同族として落ち着くところはあった。
 先生は私を異性として見る様子はなく、甘い恋の気配のけの字も見当たらない。
 自分は一人ではないと思えるので、こんな教師でもいないよりはましだった。

 ジェットコースターに乗ると、反応は薄く、達観している様子だった。
「きっと高い場所から飛び降りた時は、あんな感覚なのかな」
 独り言を言った。
 何種類かのジェットコースターに乗り、何かを考えている先生はとても楽しんでいるようには思えなかった。
 やっぱり変人だと思う。
 私はというと、絶叫系が割と好きだったようで、不覚にも思いのほか楽しんでしまった。
 ぐるぐる回る乗り物にも乗ったけど先生は顔色を変えずに、ぼんやりしているようだった。
 先生は基本表情が変わらない。
 いつもつまらなそうで無機質な感じがした。
 おもむろに持参したサプリメントをかじる。
 ちゃんと食事をしていないのかもしれない。
「先生、ちゃんとしたものを食べてください。死ぬためにはまずは腹ごしらえですよ」
「それはその通りだ。今日は有名な自殺スポットに行くんだからな」

 やけに張り切っている。

 遊園地の中にある軽食処で軽くラーメンを食べる。
 思いのほか先生は食欲旺盛であっという間に完食した。
 病弱に見えて、実は体は健康体というのは本当らしい。

「先生って意外と食べるんですね」
「実は飢え死に体験をしていたんだ。飢える苦しみを疑似体験することで死の選択肢を広げたいと思ってな。しかしながら、飢えはしんどいな」
「やっぱり変態ですか」
「私は変人だが変態ではない」
 先生は変人という自覚はあるらしい。
 そのことに少しばかり安堵する。

 遊園地で死ぬ感覚の体験をした後、夕方前には橋に向かった。
 下は深い森と川が流れており、明るい時間帯は不気味とは程遠いと思った。
 車通りも多く、とても治安のいい印象だ。
「死なないでくださいと言わんばかりの高い柵だな。悲鳴が聞こえるような気がするな」
 しみじみとする先生。
「昔は自殺する人が後を絶たなかったという噂はありますよね」
「霊感はないから、やはり耳を澄ましても死者の声は聞こえんな」
 ため息をつき、先生は柵に寄りかかる。
「近くに青葉山があるから、そのあたりはどうだろう。きっと死体が見つかりにくい山林があるに違いない」
 早速、歩いて地下鉄へ向かう。地下鉄に乗り、国立大学がある青葉山駅に行ってみた。
 大学に行く途中に、下が見えないようなうっそうと木々が生い茂った深い谷があり、飛び降りることができそうな場所だった。
「今日はひとついいことがあったな。こんな深い谷を見つけたんだ。遺体が見つかりにくくてすごくいいな。死にぞこなっても助けが来ないから、結果的に死ぬことにはなりそうだな」
 先生は少しうれしそうな顔をしていた。
 表情が乏しい先生が少しうれしい顔をするのは、珍しいと思う。
 やはりいいことのポイントがズレている。

「私、先生といろいろな場所に来れて楽しかったです」
「我々は同士だからな。これからもよろしくな」
 変に仲間意識を持たれているようだ。

「先生はなぜ私が死にたいと思っていることに気づいたんですか?」
「簡単なことだ。君の夏休みの一言日記を見てそう思ったんだよ」

 たのしかった。
 すばらしい。
 けついした。
 ていねいに。
 
 これは、日記の冒頭の部分だ。

「君の文章の頭だけ読んだら、たすけてになっていた」

 さらに、続けて。

 しりあいにあった。
 にあうだろうか。
 たわいない会話。
 いつもの場所。

「君の文章の頭の部分を読んでいくと、しにたいと書いてあった」

 つまらない。
 らっきー。
 いっしょに。

「更に、つらいという言葉が続いていた」

 誰にもわからないように勝手に暗号にした一言日記。一応担任が見るけど、誰かが気づくはずはないと思ったメッセージだった。誰にも心配はかけたくないから暗号にしただけ。些細な事に気づいてくれた。ただそれだけで嬉しい。

「誰かに気づいてもらえた方が暗号も喜ぶだろ」
 その理屈はわからないけど、そうなのかもしれない。

「無意識に文章の内容がネガティブになってる。この私を欺くことはできないんだよ」
 どこかの名探偵みたいに言う。

 以下は一言日記の一部だ。

 楽しかった。ふと思う。本当の楽しさはなんだろう。

 素晴らしい。学校がない世界を提案したユーチューバーは神。

 決意した。親にちゃんと話したい。


 ていねいに。説明できるだろうか。

 知り合いに会った。 私は変われない。

 似合うだろうか。 似合わない。

 たわいない会話。 先生とは同類だ。

 いつもの場所に先生がいた。

 つまらない毎日。仕方がない。

 らっきーの反対。

 いっしょに過ごした友達はもういない。

「ここまで来ると君、隠す気はないだろ」

 無意識に先生なら分かってくれると思い込む自分がいた。同じ空気をまとっていたから。同類だから。
 私の場合、特別な理由はなくて、何となくこの世界が嫌になっただけだ。

「恥の多い生涯を送ってきたが、恥の上塗りはしたくないのだよ。君のSOSに気づいて見て見ぬふりはしたくなかったんだよ」

「先生が生きていたから気づいてくれた。だから、結果的に先生が死んでいなくて良かったです」

「そうですか」
 悪い気はしないのか、先生は納得して山間の谷間をただ覗いていた。
 夕暮れ時、気に入った場所を見つけた私たちは妙に安心していたように思う。

 安息の場所を探し出せた達成感と遊園地の疲れで少し眠くなった。地下鉄駅の屋上には、市内が一望できる場所があり、ただたそがれる。景色は最高だ。

「先生は休日は何をしているんですか?」

「これからは自殺スポット巡りをしたいと思っているよ。今まではなんとなく過ごして休日は潰れてしまったので後悔しているからね」

 なぜか強い意志が感じられる。
 なんとなく過ごして時間が過ぎることはよくある。
 先生も実は普通の人なのかもしれない。
 ただ、死に場所を探しているだけで、あとは普通の人と何も変わらないのかもしれない。
 言動や行動はかなり個性的だけど。

「人間失格なのかなと思うんだよ」
「いつものセリフですね」
「大学生の時に、好きだと言ってくれる女がいて、その子はいわゆる構ってちゃんだったんだよ」

 なにやら思い出話を始める。
 顔だけはいいので、好きだという女性がいてもおかしくはない。

「女はいつも死にたいと口走り迷惑だった記憶しかない」

「先生はその時は死にたがりやじゃなかったんですか?」

「その時までは、あまり死について考えたことはなかったよ」
 諦めた瞳をする。意外な一言。

「その女はいつも死ぬ死ぬ詐欺をするから、いつものことだと思い、無視したんだ。そうしたら、その女は本当に死んでしまった。その時から私は死を近いものとしてとらえるようになったんだ。彼女の気持ちに応えられなかった私は、人として失格だと思ったんだ」

 死にたがりやのルーツはちゃんとあったのか。

「なぜ女は死にたいと熱望していたのか深く考えたんだ。いつの間にかその女を気になる対象以上に好きだったことに気づいた。死んだあとに気づくなんて馬鹿だと思ったよ。確実にあの女が死について意識するきっかけを遺したのは事実だよ」

 どこか幸薄で哀愁が漂うのは寂しい過去があるからなのかもしれない。
 死んだ後に好きだと気づいたなんて不幸の極み。

「死を自分で選択できた女は贅沢者だと思うようになった。いつの間にか自分も贅沢に選択できる側の人間になりたいと思ったよ」

「先生の言う贅沢者の基準は少々凡人には理解が厳しいですが、突然死みたいに場所と時を選べない最期は嫌だということでしょうかね」

「そんなところだな」

 ぱっと見、ロックミュージシャンみたいな感じの風貌。
 こんなに特殊なことを一生懸命考えているなんて、誰も思わないだろう。
 この人のように死を真剣に近に感じて考えている人間はそんないいないような気もする。

「真面目なんですね」
 突然の言葉に少し驚いた様子をみせた。
「不器用な人間なんだと思う」
 一言ぽつりとこぼす。

 不器用でネガティブでどうしようもない人間。
 こんな人、そうそういないだろう。
 なんだか貴重な感じがして、ここに二人でいることがとても良いことのように思えた。

「いつも食べているサプリメントは何ですか?」
「これか」
 得意げにかざす。
 自慢の一品なのだろうか。
「色々ブレンドされているんだよ。こちらは精神をリラックスさせる効果があるサプリ。眠い時は目が覚めるカフェインの錠剤。あとは、様々なビタミン剤やカルシウム剤なども入っているよ」

 入れ物の中には、色々な色合いのサプリが入っており、形も様々で透明感があるものもある。
 お菓子箱みたいで迂闊にもきれいだなと思ってしまう。
 先生はサプリマニアなのかもしれない。

「健康的ですね」

 見た目こそ不健康だけど、実はポリポリ食べているのは体にいいものらしい。
 噂では何かの悪い薬物を摂取しているなんて聞いたが杞憂だったらしい。

「自殺スポット巡り、また行きましょう」
「そうそう近くに自殺スポットなんてないぞ」
「じゃあ、こんな場所で死んでみたいという場所に行きましょう」
「私と二人というのは問題ないのか?」
「私たち超健全じゃないですか。正確に言えば、死にたいというのが健全かはわかりませんが、問題ないですよ」
「私は一人で死ぬのは怖い。でも、自然と死ぬときは一人だと思うんだ。だから、知り合いと一緒だと心強いと思う」
「究極のヘタレですね」
「解釈次第ではそうなのかもしれない」

 一応ヘタレなのは認めているらしい。

「次はどこに行くか、考えておこう。今日はこれで」

「待って、連絡先を教えてください」
 先生を追いかける。振り返った先生は思ったよりも背が高く存在感が大きい。

「そうだな。同士なのだから、これは仕方がない。このことは二人だけの秘密だ」
 厳密に言うと校則で、教師が連絡先を教えてはいけないこととなっている。
 しかし、これは二人の秘密。

 私たちは超不健全なことを大真面目に実行している。
 故にマイナスがふたつでプラスのように、結果的に健全となっているような気がした。
 結果的に私の休日は予定がゼロではなくなった。
 
 連絡先を交換してから、寝る前にスタンプを送ることにした。
 送る友達がいなかったので、ちょうどよかった。
 それに、あの先生ならばいつ瀕死状態に陥ってもおかしくないので、生存確認もしたかった。
 すると、難しい漢字が送られてきた。


『雁擬 なんて読むでしょう?』
 まさかのクイズ?
 小賢しい国語教師らしき問題の出し方。
『わからないよ』
『ちゃんと調べて提出すべし』
 人より宿題増えてるし。
 めんどくさくなってそのまま放置してしまった。

『次回土曜日十三時この前の八木山の地下鉄前集合だ』
 了解。スタンプで終わる。

 土曜日になるまで二人だけの秘密はそのままで私たちは何事もないかのように過ごした。
 幸い目撃者もいないし、何もなかったことのように過ぎた。
 土曜日になるまで、寝る前の時間に一回スタンプを押した。
 寝る前の時間は一番心がざわつく時間だ。
 あれこれ考えてしまう。
 それもマイナスなことばかりだ。
 スタンプを送るようになってから、少し気が紛れるようになった。
 その点は感謝だ。

 約束の日、バス停近くで先生は薄手の黒いコートを羽織って立っていた。
 風になびく黒髪が美しい。
 やっぱり遠くから見ると浮世離れした体型だと思う。
 少しばかり目立つ外見。人より秀でた見た目なのにネガティブなんだろうか。
 あのオーラがヤバすぎてみんな近づかないのはある。
 実際、言動も行動も考え方も変だから、近づかないのはわかるけど。

「宿題考えましたか?」
「わからないので放置しました」
「わからないことを辛くなった時に考えると少し気が紛れます。これからは寝る前に読めない漢字を読めるようにしましょうか。前に、君は一言日記に夜寝る前が辛くなると書いていたので」

 よく覚えているなと思う。先生は記憶力がいいらしい。

「今日はどこへ行くのですか?」
「廃トンネルだよ。今日は私の車で行く。人が少ない方が落ち着くので。かつてはにぎわっていたはずの場所が今は必要とされなくなっているなんてどこかロマンがあると思わないか」

 相変わらず先生はどこかずれていた。
 でも、廃墟に魅力を感じる人がいると聞くので、その類の人と同類なのかもしれない。
 たしかに、人がいないところの方が落ち着くのかもしれない。

「今日行くのは太白山の方にある旧電鉄のトンネルだったところだよ。都市伝説の域を出ないが、死亡事故や自殺者がいたという噂はあるようだ。待避所あたりで妙な音がするとかの情報はネットで見たよ」

 こんな場所にヤバい男と行くこと自体問題があるようにも思える。
 しかし、私は本当に先生をヤバいとは思っていないのかもしれない。
 先生と一緒にいることがとても楽しいと思っているからだ。
 先生は人畜無害な生き物という認識ではある。つまり、信用できる人だとは思っていた。

 駅から車で十五分もあれば着く場所らしい。
 先生の車は黒色が輝いており、思ったよりも手入れがされているようだった。
 セダンの中は女の気配や同乗者がいた気配もなく、ほとんど物がない。
 車の中は、アロマの香りがしており、シンプルな車内を見ると、きれい好きだということがわかった。
「この香りはリラックスするために欠かせないんだ。精神病むことが多いのでね」
「先生は四六時中病んでいそうですね」
「そのことは否めないな。今から行く地域は町を一望できる住宅街だ。景色を独り占めすると気持ちがいいんだ」
「そういえば、先生って前回も高い眺めのいい場所を知っていましたよね」
「飛び降り自殺も検討していて、つい、高い場所に目が行ってしまうんだよ」

 夜景が好きとかロマンチックな理由ではないが、そのほうが先生らしい。

「ただ、飛び降りは人様に迷惑をかけてしまうので辞めようかと思っているよ。自殺の種類別の値段についても調べているからね」
「私たちって生まれるときも死ぬときもお金がかかるんですよね」
「だから、貯金はしている。死んだときは私の貯金を使ってもらおうと遺書も書いているので」
 積極的な自殺志願者だなと思う。
 先生には衝動性が見当たらない。
 用意周到すぎて、なんだかすごいと尊敬の領域だ。
 生きている延長線上に死があるようだ。
 それは私たち皆平等だと思う。
 先生の場合は迷惑をかけたくないということがよくわかるので、人柄がいいのだということは安易に予想はできた。
 思想が少しばかりぶっ飛んでいるだけなのだろう。
 運転をする先生の横顔は思ったよりも男前で、目の下のクマすらもかっこよく見える。

「肝試しに行くみたいですね」
「違います。死に場所を見学しているだけですよ」
 実際にトンネルの前に立つ。
 トンネルの先は廃道になっているらしい。
 空気の温度が少しばかり低い。
 明るいのにどこか寂し気な場所だ。
 トンネルは短いらしいけど、抜けた向こうは見えない。

「歩いてみようか」
 ここは立ち入り禁止ではないので、堂々と歩ける。
 トンネルの中は昼間でも薄暗く電気がないので夜は厳しそうだ。
 少し怖くなり、先生のコートの裾を持たせてもらう。
 先生は構わずに歩く。
 このあたりは緑が多く、木々が生い茂っている。
 一通り歩いたけど、妙な音が聞こえることもなく普通に終わる。
 恐怖と神秘的な空間に包まれる。
 緑の中の閑静な廃トンネルは私たちに満足感を与えてくれた。
 とても心地いいと思えた。
 帰りは見晴らしのいい住宅街の片隅に車を止めて景色を見た。
 高い所から見ると私たちは本当にちっぽけな存在でしかない。
 そのちっぽけである私たちは一人一人が意志を持って生きている。

「私たちの行動は間違っているのでしょうか」
 つい疑問を投げかけた。
「間違っていませんよ」
 当然だという様子で先生は堂々と否定する。
 少なくとも前回も今日も無駄だとは思えなかった。
 一緒の目標があるから一緒に秘密の約束の元に行動をしている。
 私たちは究極の最期のために行動している。
 考え方によっては、その純粋な気持ちは時に馬鹿らしく実に厄介な行動だ。
「ああいった場所は好奇心の迷惑者が落書きをしたり、ゴミを捨てることが多いのだが、あそこはとてもきれいに整備されていて落書きもなかったので、少しほっとしたよ」

 なんだか先生の心根の優しい部分に触れたような気がした。

「もし本当に死亡事故があったとしたら、あのトンネルで不本意な死を遂げた人がいたのかもしれないね。自殺者がいたのなら、その人にとって正しい場所で死を選んだのかもしれない。他人事ではないので、手を合わせることしかできないな」

「次はどこに行きますか?」
 次が楽しみになった私は確認してみる。
「廃遊園地なんかどうですか? 廃駅跡もあるそうです」
 そうきたかと少しばかり胸が躍った。
 県内にあるとは聞いたことがあったけど、まさか自分が行くことになるなんて。
 案外廃墟巡りとかそういうのが好きなのかもしれない。
「実にいいですね。死ぬための場所を探す私たちは間違っているのでしょうか?」
「それはわからない。死を急ぐことを悪だと判断する者はたくさんいるのが現実。だから、少数派だと民主主義では正しくないとされることもある。本当の正しさは本人の心の中にあると思うよ。己が正しいことを行うことが大事だと思わないか」

 時々もっともらしいことを格好良く言うなぁと思う。
 こんなに変人なのに、憎めない人だ。

「つまり私は最高の死に場所を求めているんだよ。死にぞこなったから、私は今現在のうのうと生きている。どんな方法で死のうかと思いながら生きている」
 
「私は先生と一緒に死んでみたくなりました」
つい、言葉が出た。誤解されそうだけど、人として好きなのは本当だ。

「ほぉ。それは愛の告白ですか?」
 照れることもなく、顔をのぞきこむ。
「違います」
 そこは否定する。
「私にとって、一緒に死んでみたいなんて、最高の口説き文句なんだけどねぇ」
 不思議な人間。こんな人がいたっていいと思う。

「山に行ったりすると結構体を動かしますよね。そういうとき、マイナスな思考は停止しないですか。つまり、死にたくなくなりましたか?」
 その言葉は意外だった。
「先生にラインスタンプ送ったりしてると、どうでもよくなるのはありますね」
「じゃあ、私ともう少し秘密の約束を実行してください。死にたいのは私だけでいいですから」
「何言ってるんですか? 私を仲間外れにするなんて許しませんよ」
 先生は少し驚いた顔をする。

 廃遊園地に行く日を毎日カレンダーを眺めて待ちわびる。
 なんだかワクワクしていた。
 元々死にたいというのも大した理由じゃない。
 ワクワクするのも大した理由はなかった。
 実に単純な脳みそを持ってしまったらしい。
 常に刺激がないとつまらないだけなのかもしれない。
 リアルの世界が面白ければ、先生との時間もいつかいらないと思うのかもしれない。
 ただ、今は死をわかってくれる先生と行動したいと思っていた。
 私が助けるとか助けられるという存在ではなく、先生とは立場が対等な気がしていた。

 廃遊園地へ行く日、先生は車で迎えに来てくれた。
 いつも通り、サングラスをかけ、黒いコートを羽織り、黒いワイドパンツといういで立ちだ。
 特別おしゃれでないけど、何を着てもかっこいいのが少しばかりムカついた。
 私は特別おしゃれでもなく、何を着てもかわいいとはならないと自覚している。
 スタイルもいいわけでもなく、顔が小さいわけでもない。
 先生の顔の小ささは努力なしの生まれつきだろう。
 少しばかりズルいと思ってしまう。
「先生って何を着てもきまりますよね。顔も小さいし、肌もきれいだし。外見偏差値高すぎませんか? 正直羨ましいです」
 少し嫌味に聞こえたかもしれないが、正直な感想を述べた。
 自分がないものを持っている同士に嫉妬してしまった。
 こんなに素直に感情に出すのは初めてだ。
 先生なら正直な自分を見せても引かないで向き合ってくれるような気がした。
 嫌いだとかそういうことを言って離れないような気がした。

「生まれて、すみません」
 先生お決まりのセリフを述べる。その後、じっくり一言一言、言葉を紡ぐ。
「実は外見だけは昔から褒められることが多いんだ。でも、中身を知るとみんなに距離を置かれることが多い。だから、自分には嫌われる要素が満載なんだろうと気づいてはいるよ」

 諦め顔のイケメンはやはり完璧ではない。
 欠けたものを埋めるためにさまよっているようにも思える。

「君はクラスでも浮いてない。誰とでもうまくやれる。そこは私にはないものだからな。正直羨ましい」

 実はこう見えて、誰とでもうまくやれる。でも、無理をしているので、相手に心からの信頼はしていない。
 嫌われないようにばかり。一緒にいて楽しくない。偽りしか見せられない。

「私、本音で相手としゃべるのは初めてかもしれません。いつも、嫌われないようにばかり考えてましたから」

「私だけには本音で接してくれるのは悪い気はしない」
 先生の表情は優しい気がする。
 まだ明るい時間、陽の光が先生の髪を照らす。
 少しばかり栗毛色に見える髪の毛は柔らかそうな感じだ。

「君はこんなことしていて、むなしくないのか?」
「私は毎回楽しみにしていますよ」
「私も結構楽しんでる。これ、バレたら職を失いかねないが」
「悪いことはしていないので、バレても私は先生を悪く言いませんから」

 いつの間にか先生擁護派になったのだろう。
 廃遊園地はネットで見た通りの、錆びれたかつての賑わいを想像すると虚しくなる景色が広がっていた。

「この寂しげな様子がそそりますね」
 先生はしみじみしている。
「かつてはここに親子連れがたくさんいたのでしょうかね」
「私はこの使い終わった感じが好きだな」
「きっとたくさんの人を楽しませたのでしょうね」
 かうての賑わいを想像して私たちは遊園地の周囲を探索した。
 とはいっても、入場はできないので、外から眺めるだけだ。
「あのメリーゴーランドの錆びれ具合が素晴らしいな」
「私も、ここ、好きです」
 誰もいない賑わいのない場所はなんだか落ち着いた。
「ここは私たちの場所だな」
 先生は背伸びをしてとてもリラックスしていた。
 剥げた建物の塗装も止まった時計も全てが良かった。
 もう動かないアトラクションも落ちた看板も機能していない観覧車も全てが美しかった。
 見える範囲は狭く、フェンスに囲まれているため一部しか見えない。
 すぐに見える場所は消えた。

「気分が上がったところで、これから廃駅跡にいきましょう」
 廃駅跡は少し遠く、車で十分以上はかかったと思う。
 緑に囲まれた荒れた土地。
 もう、線路は無くなり、ただの更地だった。
「昔は遊園地の繁忙期だけ稼働していた駅らしい。駅からのシャトルバスがあったらしいが、車で来る人が多く、あまり使われなくなったから廃線になったらしい」
 先生はやはり下調べは怠らない様子だ。
 
「あったものがなくなる。これは人間も同じなのかもしれないな」
「生きていた人間が永遠ではないということですね」
「世界は変わっていくんだよ。諸行無常だな」
 先生は何もない場所を見つめていた。

「教科書にあった言葉だ」
「この世のものは常に不変のものなんてないってことだ。日々移り変わっていくのだよ」
「ここも、かつてはお客さんでにぎわっていたのに、今は誰にも必要とされない場所となったってことですね」
「我々には必要な場所だから、どんな形になっても誰かは必要としてくれるんだよ」

 三回目に自殺スポット巡りをして、ふと考えが沸いた。

「先生、私はもう少し日本がどうなるのか未来を見てみたいと思いました。この世界は変わっていくんですよね。私の住んでいる地域はどうなっていくのでしょうか。生きたとしても、あと六十年か七十年くらいだと思うんです。どうせ私たちは死んでしまいます。その時に、どう死んだらいいかを考えるために生きてみようと思います」

「たしかに、自殺なんてしなくても我々はいつかは死にますね。本来私は究極のめんどくさがり屋なので、少し気長に待ちますか」

 先生も考えが少し変わったんだろうか。
 まだ死にたいのだろうか。
 三回の自殺スポット巡りは無駄ではなかった。
 先生は生きることに真面目過ぎるんだと思う。
 だから、死に方について人よりもつい勉強してしまう。
 先生の死にたいは生きたいの裏返しなのかもしれない。
 でも、そんなこと言ったら、全力で否定されてしまうかもしれないので、心の奥にしまっておく。

「次はどこに行きますか?」
「そうだな。考えておきますよ」
「難しい漢字の読み方調べました。がんもどきですね」
「雁もどきなんて素晴らしいネーミングセンスですよね。私たちは正しい人間もどきですから」

 面白いことを言うなと思う。
 この関係がずっと続きますようにと願う自分がいた。

 私たちは車の中に戻る。
 何もない場所で、何かを得たような満足感。
 私たちにとっては収穫が多い旅だったように思う。
 車の中に置いてある人間失格の書籍を見つけた。
 ふと、この人はあの文豪の生まれ変わりだったりしてと思ってしまう。
 まさかね。