4月26日(金)

高校2年生になり、もうすぐ1か月。

このころになると、一緒に話す友だちやグループがだんだん決まってきて、昼食時間の光景も毎日同じになる。

私はというと、自分を入れた女子4人グループで机をくっつけ、お弁当箱を片づけながらみんなの話を聞いていた。

うちの高校ではお弁当組と食堂・売店組に分かれていて、この時間の教室はだいたい半分くらいの人数だ。

「サナルの動画見た? ヤバイよね、このダンス」

「見た見たー。めちゃくちゃかっこいい!」

「この前のコラボもよかったよね」

共通の趣味の話題で盛り上がっているのは、優花ちゃんと美沙ちゃんと春菜ちゃん。

2年生になって初めて同じクラスになった女子たちだ。

3人とも1年の時に同じクラスだったらしく、浮いていた私に声をかけ、グループに入れてくれた。

サナルくんが前回コラボした人……えーと、名前はなんだったっけ? 
ちゃんとチェックしてたんだけどな。思い出せ、私!

「あ! ミ、ミクルンとのコラボダンスでしょ? あれ、ホント息ぴったりだったよね!」

人差し指を立てて勢いよく話に入ると、3人が私を見て一瞬止まり、同時に吹き出した。

「アハハ、ミクルンじゃなくてミクリンだよ、千奈美ちゃん」

「あ、あれ? ハハ、まちがえちゃった。そうそう、ミクリンミクリン」

はずかしい。春菜ちゃんの指摘に頭をかく。

「たしかに息ぴったりだったけどさ、ミクリンていろんな人とコラボしまくりで、有名になろうって必死すぎだよね」

「わかるー。ぶりっこだし、笑顔の押しつけがすごいっていうか、テンション高すぎるっていうかね」

優花ちゃんと美沙ちゃんの話に、私は首をかしげた。

「そうかな? いろんな人のダンス完コピしてるし、どんな時も笑顔だし、すごい努力家だなって私は思ったけど……」

そこまで言うと、3人がしんとなる。

あ、ヤバイ、またまちがえた。
そう思った私は、瞬時に話の方向修正をする。

「にしても、サナルくんにくっつきすぎて、ちょっとなーって思ったよね、正直」

うんうん、と大きくうなずく3人を見て胸をなでおろすと、隣の優花ちゃんが私の腕を人差し指でツンツンとつついてきた。

「千奈美ちゃんもすっかりサナルファンだね。仲間じゃん」

得意そうに微笑む優花ちゃん。
私は、仲間という言葉にホッとして、笑顔を返した。

彼女はグループのなかで、いや、この学年のなかでも美人なほうだ。

スタイルもいいし、長い黒髪もツヤツヤだし、流行にも敏感。
自然と会話の中心になることが多い。

だから、最初は少し気後れしていたのだけれど、同じ話題、同じノリを心がければ、自分もこのグループのなかにいてもいいんだって思えるようになってきた。

彼女たち好みのエンタメやトレンドをチェックする手間も、ぼっちになる怖さに比べたらなんてことはない。

「そういえばさ、優花は彼氏と仲直りした? この前ケンカしてたじゃん」

「聞いてよー、それがさ」

今度は、ゆいいつ彼氏がいる優花ちゃんの恋愛話に移る。

美沙ちゃんも春菜ちゃんも、恋バナが好きらしくて興味津々だ。

そして、ひとしきりグチをこぼし終えると、口をはさまずに相槌だけ打っていた私に、美沙ちゃんがふと聞いてきた。

「千奈美ちゃんて、あんまり恋バナしないよね? もしかして興味ない?」

「えっ? ううん、あるある! ただ、無縁なだけで」

「無縁て。好きになったこととか、告白されたこととか、今まで1回くらいはあるでしょ?」

「それが、残念ながらないんだよねー。いつ私にも春が来るんだろう」

3人とも、おちゃらけて答える私をアハハと笑う。

恋バナにも、もっと興味を示さなきゃな。じゃないと、話題に置いてけぼりになっちゃう。

「でも、片想いすらないってめずらしいよね。同級生でいいなと思った人もいないの? たとえば、宗田くんとかさ。かっこよくない?」

春菜ちゃんに言われ、私は宗田くんを目で探した。

すると、食堂から戻ってきたのだろう、廊下から教室内にぞろぞろと入ってくる男子集団のなかに、彼を見つける。

宗田くんも初めて同じクラスになったから、最近やっと顔と名前が一致したところだ。

身長はそこまで高くないけれど、髪がサラサラで、中性的で整った顔をしている。
清潔感があるし、優しい雰囲気で落ち着いているし、クラスの女子に人気なのもうなずける。

「うん、たしかにかっこいい」

「でしょ? 顔も頭も性格もいいっていうね。できすぎだよね。バスケ部に入ってて、1、3年の女子が見に来るらしいよ」

「アハハ、春菜が宗田くんのファンじゃん」

美沙ちゃんが春菜ちゃんにツッコミを入れて、また4人で笑い合う。

私は、宗田くんを含む男子集団を、またこっそりと見た。
そして、そのなかに芝崎くんがいるのを確認する。

みんなのなかでいちばん身長が高く、目が切れ長で、少し冷ややかそうにも見えるその立ち姿。

同じ中学校だった彼をちらりと目に入れた私は、すぐに3人へと視線を戻したのだった。





放課後、今日は所属しているバドミントン部が休みだったので、いつもより早い時間に学校を出た。

家に帰る途中、神社の前で立ち止まった。ニー、ニーと猫の高い声が聞こえる。

いつもは素通りするその神社は、中3のころに夏祭りで入って以来、足を踏み入れていない。

鳴き声のするほうを見上げながらキョロキョロすると、鳥居の手前の桜の木、その太い枝にしがみついている白い仔猫を見つけた。

私には届く高さだけれど、きっと下りられなくなったのだろう。

「怖いよね? すぐ助けるから待っててね」

仔猫に微笑みかけた私は、すでに葉っぱだけになっている桜の細かい枝をかき分け、背伸びをしながら手を伸ばす。

仔猫は人間に慣れていないようで怯えた様子を見せたけれど、首根っこを優しくつかみ、手のひらで包むように枝から剥がすと、おとなしくなった。

けれど、地面に下ろしたとたんに、すごいスピードで逃げられた。

「速……。でも、よかった」

仔猫が境内のほうへ走り、茂みのなかへ突っこんでいくのが見えた。

ちょっと笑ってしまった私は、そのまま境内を見ながらたたずむ。

4月の終わりの強い風が、杉の木や桜の木をいっせいに揺らした。

夕方の橙色の光と影が、木々のすきまからいくつものもようを地面に映し出し、あの日の花火を思い出させる。

 ─『なんか、ごめん』

風の音がそう聞こえた気がして、私は踵を返して家路についた。







その夜、夢を見た。
夕方に仔猫を助けた、あの神社の夢だ。

『あれ? あの仔猫と……もう1匹いる?』

ちょうど鳥居の真下に、助けた白い仔猫と、そのふたまわりほど大きい白猫がちょこんと並んで座っていた。

近づくと、仔猫が遠慮気味にニーと鳴き、もう1匹も口を開く。

『うちの子を助けていただき、ありがとうございました』

『はっ? 猫がしゃべった!』

男とも女ともいえない不思議な声に思わず叫んでしまったけれど、すぐにこれは夢だと気づく。

なぜなら、この鳥居以外のものがすべて薄くぼやけているからだ。

夢なら、猫がしゃべってもおかしくはない。
かなりメルヘンな夢だけれど。

『お礼をしたいのですが、何か望みはありませんか? 欲しいものでも知りたいことでも、なんでもかまいません』

金色と水色を足して透明度をアップさせたみたいなきれいな目で、射るように私を見る白猫。

『望み? えー……ホント? いいの?』

夢とはいえ、そんな夢みたいなことを言われるとうれしい。
私は、あごに手を置き『うーん……』と首をひねった。

望み……欲しいもの……。

あれ? 意外とこういう時に出てこないな。

世界平和? 大きすぎるか。
洋服? いやいや、しょぼすぎる。

『ないなら、無理には聞きません。本当にありがとうござ……』

『ちょっと待って! 帰らないで!』

鳥居の奥へ去ろうとした猫の親子を、あわてて呼び止める。
そして夢だということも忘れて、必死に望みをしぼり出す。

そうだ、知りたいことはある。

昼に“片想いすらないってめずらしい”って言われたことが引っかかっていたんだ。
恋バナにも、ちゃんとついていきたいし。

『恋愛予定が知りたい!』

『恋愛予定?』

『そう、今まで好きな人とか彼氏とかできたことないから、自分に今後そういうできごとが起こるのかを知りたい』

親猫は、眉を寄せた。

猫の表情はわかりにくいというけれど、困ったような考えこんでいるような、そんな顔だ。

やっぱり無理かな。

『わかりました。ただし、このことはだれにも言わないでください』

『えっ? ホント? うん、言わない。ぜったい言わない』

そう言ったと同時に、この空間の上のほうから声が聞こえた。

「千奈美ー、そろそろ起きなきゃ、もう朝よー」

お母さんの声だ。

あぁ、やっぱり夢だったと確信した。

私はうっすらと目を開ける。
自分の部屋の見慣れた白い天井が、細い視界に見えはじめる。

『では、あ……0……け、……を……しょう』

あの親猫の声が、最後に途切れ途切れに聞こえた。

けれど、

「千奈美ー、聞こえてるのー?」

部屋のドアを開けたお母さんの声に重なって、はっきりと聞き取ることができなかった。

「んー……起きたよ。聞こえてる」

目を開け、けだるく体を起こした私は、頭をぽりぽりとかく。

そんな私を見て、お母さんは、

「いつになったら自分で起きられるようになるのかしらね」

と鼻を鳴らしながらカーテンを開け、部屋を出ていった。

ピチピチと雀の鳴き声が聞こえる。

朝の光がまぶしくて目をこすった私は、

「なんか……変な夢だったなぁ……」

とつぶやいた。



その日は、少し期待して過ごしたものの何の代わり映えもなく、気づけばそのことは忘れてしまっていた。