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【チッチッチッチッチッチッ!】
父の命令で決まった”神への供物”、つまり生贄となった日の夜のこと。
石畳の階段を昇り、儀式の終幕地。
ロウソクで照らされた洞穴を見下ろし、私は暗闇に向かっておそるおそる手を伸ばす。
何も掴むことなく、手を握りしめて引っ込めた。
(私は姫よ。やっと父上に認めてもらえた。姫としての責務を全うするのよ)
自分に言い聞かせよう何度も何度も心の中で反芻する。
震える身体は腕を擦って誤魔化そうとした。
肌寒さに空を見上げれば、落ちてきそうなほどに大きな青い満月だ。
卯月の末日、幻想的な青い月は本音と建前をごちゃ混ぜにして惑わしてくる。
私は山のふもとから見える儀式の灯りに首を横に振って、ゆっくりと暗闇に足を踏み出した。
(緋月に会いたい。でも私は国のためにこの身を捧ぐ。顔を見れば気持ちが揺らいでしまう)
だから私は”裏切るように”彼の前からいなくなる。
戦の偵察から無事に戻り、また会おうと約束をした。
(それも裏切っちゃうね)
私は愚かで人の心がわからぬ姫だった。
いなくなることで彼がどれだけ傷つくか。
私は彼との別れを悲しんだが、彼がどのような感情をもつかなんて……想像もしなかった。
父の役に立てること、国の姫として民に安寧をもたらせること。
なんのために姫として生まれてきたか、ずっと考えてきた。
姫の責務とは、帝である父のために”駒”として動くこと。
それは結婚だろうが、子を成すことだけでなく、神への供物も同じことだ。
たまたま私はそうなっただけ。
青い月を目に焼きつけて、私は目を閉じ身体を暗闇に落とした。
「ごめんなさい。緋月……。あなたのことを――……」