「他にも好きなものがあるんですよ? 花も、甘味も。今だとアンティーク細工が素敵だなと思ってます」


そう言って袴にくくる懐中時計を彼に見せた。

「この懐中時計も気に入っていて。どうしたらあんなものが作れるのか……」

あまりにもペラペラと話しすぎたと、慌ただしく彼に目を向ける。


「ごめんなさい。私ばかり喋って」

「楽しいですよ。時羽様の世界が広がることは嬉しいことですから」

この人は私を喜ばせる達人だ。

私の幸せを彼と分かち合いたくて、ゆらゆらする焚火を映す彼の瞳を見つめた。


「緋月さんはガラスのような瞳ですね」

「ガラスですか?」

その問いに私は頬を熱くしてうなずいた。

「最初に出会ったときはキレイな青だなと思って。今も……」


彼の瞳は特別なものかもしれない。

青いと思っていたのに今は赤と呼ぶ方が近い色をしている。

移り変わる色、よく考えてみれば彼が人であるという前提がおかしかったのかもしれない。

私はずいぶんと長くあの暗闇にいたはずだ。

その私の前に年若い彼がいるのは不自然なこと。

ポツポツと欠片で埋まっていく記憶では、今見る世界とはまるで文明が異なる。

いくら異国の文化が入ってきたところで、ここまで革命的な変化を起こすとは思えなかった。


「どうか、時羽様はそのままで」

「緋月さん?」

彼は首を横に振ってそのまま月を眺めた。

約束の一か月は目前、日に日に彼は気難しい顔をすることが増えた。


もうすぐ月は満ちる。

今日の月はいつも以上に大きくて、落ちてくるのではと認識が狂うほどに月の影がよく見えた。


「この先の街に時羽様の遠い血縁者、夜司家があります」

彼の呟きに私はハッと顔をあげる。

「すみません。約束より一日早いですが、明日で――」


それ以上は聞きたくないと、その一心が私を突き動かす。

彼の頬に手を伸ばし、私は彼の唇に人差し指を当てた。


「離れたくない」

その言葉に彼は目を見開き、ゆっくりと指から唇を離して目を反らした。


「すみません」

たった一言の重さに恥ずかしくなって視線を落とす。

視界が涙に歪んでしまったので、急いで袖で拭って笑顔を貼りつけた。


「ごめんなさい。私ってば何を……」

(どうして……)

顔を上げた先にいたのは、私よりもずっと苦しそうな顔をした彼。

拒絶しておきながらそんな顔をするのはずるいと、私は唇を固く結んで彼の襟元を引っ張った。



パチパチと鳴る焚き火の音が濡れた音を隠してくれた。

夜に浮かび上がる赤い瞳に呑まれて私は思い出す。

私たちの影を重ねる火の揺らめき。

想いを重ねながらも言葉にしなかったあの日を。


(縛るものがないと言うならどうか。月に見られたってかまわない)


湿り気の多い息を吐き、私は間もなく満ちそうな大きな月を目に焼きつけた。