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旅をはじめ、新月の日が過ぎ去って。

今は木漏れ日の差し込む桜並木の道。

ひらり、と薄い花びらが眼前に落ちていく。

花びらが敷き詰められた地面と、空から陽の光を浴びてチラチラ輝く姿に胸が高鳴った。

浮かれる気持ちのまま走り出す。


「時羽様……?」

光に目を細め、さらさらとした流水音に視線を移す。

花びらが川にまで飛んでいき、河川敷にはシロツメクサが咲いていた。

ここは私の好きなものに満たされている。

街で食べたチョコレートも甘かったが、ドキドキする心は同じかそれ以上に音を鳴らしていた。


風が吹き抜けて目で追えば、その先に組紐でくくった髪をなびかせる彼がいる。

彼はどこにいてもキレイな人だと目が離せなくなり、乱れる藍の髪を手で押さえた。


「――」


彼は何かを呟いたあと、口元を隠して目を反らす。

風が桜を揺らした音にまぎれ、彼の言葉は私に届かなかった。

「あの……なんて……?」

「……いえ。気にしないでください」


そう言われるとなおさら気になる、と頬を膨らませていると彼が近づいてきて、私の乱れた髪に触れる。

髪を耳にかけられると触れた箇所が熱くなり、心臓がさわがしくて彼の目を見れなかった。


日を増すごとに私は彼に惹かれていく。

まるでそれが当たり前と言うように、彼のちょっとした癖を見つけるたびに頬がゆるむ。

彼からはやさしさだけでなく、時折熱っぽさを感じることもある。

そのたびに私は参ってしまうほど胸が締め付けられた。



「少し、時羽様についてお話してもいいですか?」

彼は私のもとまで歩み寄ると、小さな私の手をとって戸惑いがちに私を見下ろす。

改まって言われるとうなずくスピードも遅くなり、緊張に身が強張った。



手を引かれて桜並木から河川敷におりて、木の影に座りこむ。

隣に並んで座ると距離の近さに頬が熱くなる。


きっと前の私は彼を見つめていた。

今も昔も、一番気になるのは彼の心。

夢中になる想いを振り払い、懐中時計の針の音で心を落ちつけようとした。


「時羽様は、あやかしとなったのでしょう。ハッキリと言えずにいて申し訳ございませんでした」

「私は元々あやかしでしたか?」


その問いに彼は首を横に振り、私の手のそっと触れる。

心細そうな顔をしており、私はいたたまれなくなって前のめりに彼の手を握り返す。


「私があやかしにならなければ、緋月さんに会えませんでした?」

彼との距離を知りたくて、線を引いては越えてみる。

だけど一番聞きたいことは聞けなくて。

ズルい私は一番言いたいことを口にしない。


「俺はそれを望んでいたんです。……っすみません」

途切れた息、花びらが空に舞う。

藍色が空になびいて、落ちれば芝生に広がった。

彼の顔は私の横にあり、手は背中に回されている。

埋もれた手を彼の背にまわし、私は目を閉じて桜の香りをめいっぱい吸い込んだ。


「私はあやかしでよかったと思います」

「時羽様……?」

「何も覚えていないけど、きっと”私”は緋月さんに会えて喜んでますから」


私と以前の私、どっちつかずな気持ちを口にする。

同じ気持ちのはずなのに、私は彼から言葉が聞きたくて探っていた。


「ありがとうございますっ……!」

背中に回した手を引き抜いて、彼は身体を起こす。

青い瞳があの日の月のようで、そこに映る私の顔がハッキリと見えたような気がした。