これは古の現世(うつしよ)に存在した別世のお(はなし)
 八百万(やおよろず)の神々を(まつ)(やしろ)の一族に生まれ、特異な能持つ人族の女は『尊巫女(みことみこ)』と呼ばれ、十八になると神界にゆく因習があった。
 神族と人族の混血である、その地を()べる(おさ)に認められれば、子孫繁栄の為の伴侶。否な場合は贄となり、その一族に喰われ力を吸収されるという、至極、酷な契約だった。
 生物……特に人は、何かしらの不幸に遭う事、災厄に襲われる事を恐れている。それは、命ある者の本質だろう。どこの世でも、それは――変わらない。


 曇天(どんてん)の空から落ちた冷たい華。一人の巫女装束の少女が、嬉しそうに手を伸ばす。
 楚々とした素朴な顔立ちだが、陽光が当たると京紫(きょうし)に透ける、濡羽(ぬれば)色のゆるやかな長い髪に、淡い瑠璃色の()という、()誰時(たれどき)を思わせる、印象的な風貌だ。
「アマリ様? お客様でございます」
「申し訳ございません。今、参ります」
 背筋を伸ばし、少女は凛とした面持ちの尊巫女に変わる。境内に戻った彼女には、重要な『仕事』があった。
 彼女――アマリは、社を司る一族の生まれだが、尊巫女でも極めて(まれ)な能を持っていた。

「奥様。本日はいかがなさいました?」
 白檀(びゃくだん)の香が漂う、(ひのき)を基に造られた畳屋。自分より年長者の客と対峙し、正座する。温もりと安寧(あんねい)ある空間の中、しっとりとした澄んだ声で語り、雅やかな微笑を浮かべた。
 彼女の面談式の『(ほどこ)し』は、ある理由で頻繁に行えない為、付加価値で高額になっている。今日の依頼者も、都の重職に就く男の奥方だ。政略婚だったが運良く良縁で、仲睦まじい夫婦だったらしい。
 しかし、長年が経つにつれ熱も情も次第に冷め、衝突が増え思い悩み、体調を崩したのだという。
「……お嫌いになられたのでございますか?」
 固くなっていた夫人は、静かに首を振った。
「お見受けしたところ、ご主人様の嫌な面ばかり気に障るのでは」
「アマリ様。(わたくし)に非があるとでも仰るのですか?」
 少し荒立てた素振りで問う夫人に、アマリは穏やかな態度を崩さず、続ける。
「いいえ。誰しも精神(こころ)が疲弊すると、良くない方に目がゆくものです」
 夫人の(こめ)かみが微動した様子を確認し、アマリは白魚のような右手を掲げた。眼を閉じて精神統一し、祈りを捧げると、仄かな虹色の光と共に一輪の花が現れた。
 素朴な淡い瑠璃(るり)色の――亜麻(あま)の花だ。
花能(はなぢから)は『あなたの親切に感謝します』でございます。手に取り、ご主人様からして頂いた嬉しかった事を思い出し、今のお気持ちをお話下さい」
 花を手にした夫人は、泣き出しそうな面持ちになった。夫の事を好いているからこそ、仲違いをしては苦しむのだろうとアマリは感じた。彼女を(なだ)め、癒していくように、夫人の掌の中で亜麻の花は朧気に瞬き、溶けてゆく。
 アマリが召喚した花は、花言葉が具現化する力――『花能』に変わり、依頼人の心に深く、授かる。

「アマリ様……‼ 有難うございました」
 両手を合わせながら首部(こうべ)を垂れ、夫人は何度も礼を言った。彼女の帰路を見送った後、絹地の座布団に、アマリは足を崩した。僅かな汗が額に滲んでいる。
「大丈夫ですか」
「いつもの事です。少し疲れただけですよ」
 彼女の異能は、自身の生気を利用し、変換することで発揮される。故に、施しを受ける者は限られている。その事は侍女も承知だった。複雑そうに微笑み、労るように言う。
「亜麻の花、美しゅうございました。今の季節に見られるのも、アマリ様のおかげでございます。お名の由来でもございますね。瞳のお色に合わせて『亜麻璃』……素敵です」
「ありがとう」
 微笑を浮かべ、会釈する。いつか両親にその事を聞いた時は嬉しかった。だが……
 茶を()れると告げ、侍女はその場を離れた。一人になったアマリは、呟く。
「……『殿方との婚姻』って、どんな感じなの……?」

 依頼者の悩みを実際に経験した事は無い。相手の情を感知し、それに合わせた力を授けるという異能ありきなのだ。この社以外の世界を、彼女は知らない。知らないまま、間もなく人生の終わりを迎える。
「一刻程後、次のお客様がいらっしゃいますので、ご一服下さいませ」
 毎日耳にする侍女の同じ言葉。そんな状況でも、今まで通り繰り返される。何事も無いかのように。
 尊巫女の中でも稀な異能を持って生まれた、亜麻璃(アマリ)の一生は十八になったばかりの冬までと……先日、決まった。