「筒路森様」
「ん? 食事が終わったら、皿は適当に……」
「食事をありがとうございますと……お伝えください」
私が生きていくために、食事の管理をしてくれている人たちがいる。
直接お会いしたことはないけれど、その人たちがいるおかげで私は明日を生きることができる。
「あと……乱雑な言葉をぶつけてしまって、申し訳ございませんでした」
「のちに夫婦の関係になるのに、遠慮されてもな」
「それでも……さきほどは、甘えすぎたと思います」
北白川の家にいたときも、何度も感謝の気持ちを述べようとして口を動かそうとしたことがある。
でも、碌な生活をさせてもらえなかった私は声を発することすら難しいときが何度もあった。
言葉を発するためには、健康に生きることがまず何よりも大事なのだと気づかされる。
「侍女に、人の心が残っていて良かったな」
悠真様は柔らかく微笑みながら、私の頭に手を伸ばして優しく撫でてくれた。
(感謝の気持ちだけは、ちゃんと伝えていきたい……)
私に優しくしてくれる人たちがいるのなら、伝えられるうちに感謝の気持ちだけは伝えていきたい。
悠真様を妹の元へと返す日が来たら、二人を元の関係に戻す日が来たら、私は今の生活を支えてくれる人たちに会うことが許されなくなるから。
「外の世界を知ることで、いろいろと気づき始めるとは思う」
言葉を返すことのなかった悠真様は、そのまま部屋を出て行くものだと思っていた。
けれど、悠真様はなぜか引き返してきて、再び畳へと座り込んだ。
「結葵」
「何……」
「口、開けられるか」
「…………」
自分で食事を進めようと思っていたら、いつの間にか主導権が悠真様に握られていた。
「え」
「まだ箸を使うことすら、苦労を伴うだろ?」
悠真様は、私にお粥を食べさせようとしている。
口を開くように促されるけど、私は逆に口を閉ざしてしまう。
「……子どもではありません」
「子どもなんて思っていない」
口で紡ぐ言葉と、心で思っていることは違う。
それを知っていながらも、悠真様が向けてくれる眼差しの真摯さに言葉を詰まらせてしまう。
「……子どもと思っていないなら、自分で食べ……」
「恋仲としてなら、何も問題ないだろう」
筒路森悠真様は、妹の美怜と添い遂げるはずだった人。
悠真様にとっては、北白川の美しい容姿を引き継ぐ娘ならどちらでも構わないのかもしれない。だから、こんなにも私に優しさと愛情を注いでくれるのかもしれない。
「からかって悪かった、ほら。自分で食べ……」
ぱくっという効果音が響くわけではない。
でも、そんな効果音が聞こえてきそうな勢いで、私は悠真様が用意してくれたお粥を口中へと含む。
「将来の旦那様の好意を無下にするわけにはいきませんので」
たとえ容姿が目当てだとしても、筒路森の機嫌を損ねるわけにはいかない。私は両親に多額のお金を送る機会を得ることができたのだから、悠真様が妹に気持ちが向くまで悠真様に好かれ続けなければいけない。
「結葵は、変なとこで頑固だな」
口を開けて、お粥の到着を待つはずだった。
ただそれだけの予定すら狂わされるくらい、悠真様は私に柔らかな笑みを向けてくれる。
その笑顔に惹かれて、私はこのあと何をすべきなのか忘れてしまう。
「美味いか?」
「……味、よくわかりません」
「そうか」
穏やかすぎる笑みを浮かべながら、悠真様は私の瞳を覗き込んでくる。
それすらも恥ずかしいって思ってしまう私は、少し感傷的になりすぎているかもしれない。いつか悠真様との別れが訪れるかもしれないという未来予想図は、私に何もかもを意識させていくのかもしれない。
「ふっ、恥ずかしくなったらやめてもいいんだぞ」
下がりつつある熱が、再び上昇していくような気がした。
「恋仲とは、こういうものなのですよね」
熱い。
暑い。
薪ストーブが勢いよく部屋の温度を上げているのかもしれない。
「はぁ…………はぁ…………はぁ……」
食事が終わる頃、まるで体全体を使った運動をしたかのように息が乱れた。
私の呼吸は荒れていても、悠真様は平然とお皿の片づけをしている。
「本当に……恋仲同士とは、こういうことするのですか?」
「さあな」
「え?」
声にならない声を上げる私。
そんな私の反応が可笑しかったのか、素直に笑い声を漏らす悠真様。
「わからないことは、二人で学んでいくしかないだろ」
「……筒路森様にも、わからないことがあるのですか」
「人間だからな。歳を重ねても、学びは尽きない」
私ばかりが恥ずかしい想いをして、悠真様ばかりが幸せそうな表情をしているのは、なんだか狡いと思ってしまう。
「これから好きも嫌いも、たくさん増やしていくといい」
「私の、好きと嫌い?」
「結葵の、好きって感情のことだ」
悠真様の柔らかい笑みを見ていると、頑張らないといけないって。
小さな勇気が、いくつも生まれてくるのを感じる。
「好きな人を、大切な人を増やしていくといい」
でも、悠真様。
「俺がいなくなっても、結葵の好きを増やしていってほしい」
私は、こんなにも悠真様にたくさんの勇気をもらっているのに。
「悠真様も……ですよ」
自分が幸せになるための方法が分かりません。
「悠真様の好きという気持ちが、これから出会う人を幸せにすると……」
幸せを、望めません。
私は、私を産んでくれた両親の笑顔を見ること以外の幸せを知りません。
「私は信じています」
ぱちぱち。
ぱちぱちっ。
部屋の薪ストーブが音を立てて、その音は私たち二人を黙らせる。
聞き入ってほしい。
炎が消える、最後の最後まで聞き入ってほしい。
そんな願いを、託されているかのように。
私たちの間には、静かな時間が流れた。
「ん? 食事が終わったら、皿は適当に……」
「食事をありがとうございますと……お伝えください」
私が生きていくために、食事の管理をしてくれている人たちがいる。
直接お会いしたことはないけれど、その人たちがいるおかげで私は明日を生きることができる。
「あと……乱雑な言葉をぶつけてしまって、申し訳ございませんでした」
「のちに夫婦の関係になるのに、遠慮されてもな」
「それでも……さきほどは、甘えすぎたと思います」
北白川の家にいたときも、何度も感謝の気持ちを述べようとして口を動かそうとしたことがある。
でも、碌な生活をさせてもらえなかった私は声を発することすら難しいときが何度もあった。
言葉を発するためには、健康に生きることがまず何よりも大事なのだと気づかされる。
「侍女に、人の心が残っていて良かったな」
悠真様は柔らかく微笑みながら、私の頭に手を伸ばして優しく撫でてくれた。
(感謝の気持ちだけは、ちゃんと伝えていきたい……)
私に優しくしてくれる人たちがいるのなら、伝えられるうちに感謝の気持ちだけは伝えていきたい。
悠真様を妹の元へと返す日が来たら、二人を元の関係に戻す日が来たら、私は今の生活を支えてくれる人たちに会うことが許されなくなるから。
「外の世界を知ることで、いろいろと気づき始めるとは思う」
言葉を返すことのなかった悠真様は、そのまま部屋を出て行くものだと思っていた。
けれど、悠真様はなぜか引き返してきて、再び畳へと座り込んだ。
「結葵」
「何……」
「口、開けられるか」
「…………」
自分で食事を進めようと思っていたら、いつの間にか主導権が悠真様に握られていた。
「え」
「まだ箸を使うことすら、苦労を伴うだろ?」
悠真様は、私にお粥を食べさせようとしている。
口を開くように促されるけど、私は逆に口を閉ざしてしまう。
「……子どもではありません」
「子どもなんて思っていない」
口で紡ぐ言葉と、心で思っていることは違う。
それを知っていながらも、悠真様が向けてくれる眼差しの真摯さに言葉を詰まらせてしまう。
「……子どもと思っていないなら、自分で食べ……」
「恋仲としてなら、何も問題ないだろう」
筒路森悠真様は、妹の美怜と添い遂げるはずだった人。
悠真様にとっては、北白川の美しい容姿を引き継ぐ娘ならどちらでも構わないのかもしれない。だから、こんなにも私に優しさと愛情を注いでくれるのかもしれない。
「からかって悪かった、ほら。自分で食べ……」
ぱくっという効果音が響くわけではない。
でも、そんな効果音が聞こえてきそうな勢いで、私は悠真様が用意してくれたお粥を口中へと含む。
「将来の旦那様の好意を無下にするわけにはいきませんので」
たとえ容姿が目当てだとしても、筒路森の機嫌を損ねるわけにはいかない。私は両親に多額のお金を送る機会を得ることができたのだから、悠真様が妹に気持ちが向くまで悠真様に好かれ続けなければいけない。
「結葵は、変なとこで頑固だな」
口を開けて、お粥の到着を待つはずだった。
ただそれだけの予定すら狂わされるくらい、悠真様は私に柔らかな笑みを向けてくれる。
その笑顔に惹かれて、私はこのあと何をすべきなのか忘れてしまう。
「美味いか?」
「……味、よくわかりません」
「そうか」
穏やかすぎる笑みを浮かべながら、悠真様は私の瞳を覗き込んでくる。
それすらも恥ずかしいって思ってしまう私は、少し感傷的になりすぎているかもしれない。いつか悠真様との別れが訪れるかもしれないという未来予想図は、私に何もかもを意識させていくのかもしれない。
「ふっ、恥ずかしくなったらやめてもいいんだぞ」
下がりつつある熱が、再び上昇していくような気がした。
「恋仲とは、こういうものなのですよね」
熱い。
暑い。
薪ストーブが勢いよく部屋の温度を上げているのかもしれない。
「はぁ…………はぁ…………はぁ……」
食事が終わる頃、まるで体全体を使った運動をしたかのように息が乱れた。
私の呼吸は荒れていても、悠真様は平然とお皿の片づけをしている。
「本当に……恋仲同士とは、こういうことするのですか?」
「さあな」
「え?」
声にならない声を上げる私。
そんな私の反応が可笑しかったのか、素直に笑い声を漏らす悠真様。
「わからないことは、二人で学んでいくしかないだろ」
「……筒路森様にも、わからないことがあるのですか」
「人間だからな。歳を重ねても、学びは尽きない」
私ばかりが恥ずかしい想いをして、悠真様ばかりが幸せそうな表情をしているのは、なんだか狡いと思ってしまう。
「これから好きも嫌いも、たくさん増やしていくといい」
「私の、好きと嫌い?」
「結葵の、好きって感情のことだ」
悠真様の柔らかい笑みを見ていると、頑張らないといけないって。
小さな勇気が、いくつも生まれてくるのを感じる。
「好きな人を、大切な人を増やしていくといい」
でも、悠真様。
「俺がいなくなっても、結葵の好きを増やしていってほしい」
私は、こんなにも悠真様にたくさんの勇気をもらっているのに。
「悠真様も……ですよ」
自分が幸せになるための方法が分かりません。
「悠真様の好きという気持ちが、これから出会う人を幸せにすると……」
幸せを、望めません。
私は、私を産んでくれた両親の笑顔を見ること以外の幸せを知りません。
「私は信じています」
ぱちぱち。
ぱちぱちっ。
部屋の薪ストーブが音を立てて、その音は私たち二人を黙らせる。
聞き入ってほしい。
炎が消える、最後の最後まで聞き入ってほしい。
そんな願いを、託されているかのように。
私たちの間には、静かな時間が流れた。