「からかって悪かった、ほら。自分で食べ……」

 ぱくっという音が響くわけではない。
 でも、そんな音が聞こえてきそうな勢いで、私は彼が用意してくれたお粥を口中へと含んだ。

「将来の旦那様の好意を、無下にするわけにはいきませんので」

 たとえ容姿が目当てだとしても、筒路森の機嫌を損ねるわけにはいかない。
 私は両親に多額のお金を送る機会を得ることができたのだから、私は彼に好かれ続けなければいけない。

「結葵は、変なとこで頑固だな」

 口を開けて、お粥の到着を待つはずだった。
 ただそれだけの予定すら狂わされるくらい、彼は私に柔らかな笑みを向けてくれる。
 その笑顔に惹かれて、私はこのあと何をすべきなのか忘れてしまう。

「美味いか?」
「……味、よくわかりません」
「そうか」

 穏やかすぎる笑みを浮かべながら、彼は私の薄紫の瞳を覗き込んでくる。
 薄紫の瞳(穢れ)を受け入れてもらえるはずもなく、私は彼から顔を逸らそうとした。
 でも、彼は私のことを逃がしてはくれない。嫌いで嫌いで仕方のない薄紫の瞳を、ずっと見つめられる。

「ふっ、恥ずかしくなったらやめてもいいんだぞ」

 下がりつつある熱が、再び上昇していくような気がした。

「恋仲とは、こういうものなのですよね」

 熱い。
 暑い。
 薪ストーブが、勢いよく部屋の温度を上げているのかもしれない。

「はぁ…………はぁ…………はぁ……」

 食事が終わる頃、まるで体全体を使った運動をしたかのように息が乱れた。
 私の呼吸は荒れていても、彼は平然とお皿の片づけをしている。

「本当に……恋仲同士とは、こういうことするのですか?」
「さあな」
「え?」

 声にならない声を上げる私。
 そんな私の反応が可笑しかったのか、素直に笑い声を漏らす悠真様。

「わからないことは、二人で学んでいくしかないだろ」
「……筒路森様にも、わからないことがあるのですか」
「人間だからな。歳を重ねても、学びは尽きない」

 私ばかりが恥ずかしい想いをして、彼ばかりが幸せそうな表情をしているのは、なんだか狡いと思ってしまう。

「これから好きも嫌いも、たくさん増やしていくといい」
「私の、好きと嫌い……?」
「結葵の、好きって感情のことだ」

 悠真様の柔らかい笑みを見ていると、頑張らないといけないという気持ちが生まれてくる。小さな勇気が、いくつも生まれてくるのを感じる。

「好きな人を、大切な人を増やすことで、結葵の人生は豊かになる」

 でも、悠真様。

「俺がいなくなっても、結葵の好きを増やしていってほしい」

 私は、こんなにも悠真様にたくさんの勇気をもらっているのに。

「ご当主様も……ですよ」

 自分が幸せになるための方法が分かりません。

「ご当主様の好きという気持ちが、これから出会う人を幸せにすると……」

 幸せを、望むことができません。
 私は、私を産んでくれた両親の笑顔を見ること以外の幸せを知りません。

「私は信じています」

 ぱちぱち。
 ぱちぱちっ。
 部屋の薪ストーブが音を立てて、その音は私たち二人を黙らせる。

「俺は、結葵の好きになれるのか……それとも」
「っ」

 自分の首筋に残る爪痕を、そっと指で撫でられた。
 妹に残された傷の痛みは鈍くなっていたけれど、寝間着という薄着は首筋に残る痕を隠しきれないのだと悟る。

「この傷、どうした?」

 立ち上がった悠真様は、戸棚から薬箱を取り出してきた。

「触れるぞ」

 彼の表情が曇り始め、眼鏡越しの瞳は深い悲しみが感じられた。
 その厚意を拒むことなんてできるわけもなく、私は首を縦に振って了承の意を示す。

「傷跡をなかったことにするような異能はないが、気づくことはできる」

 筒路森の当主様は、傷口に優しく薬を塗り始めた。
 高貴な身分の方にやってもらうような行為ではないと分かっていても、その手の優しさは私の心の傷まで癒そうとしてくる。

「これからも、結葵のことを気にかけたい」

 拒まなければいけないと意思を働かせるのに、その意思はあっけなく散ってしまう。

「俺の言葉を、信じてくれないか」

 世間から恐れられている、冷酷な筒路森というのは設定ではないのか。

「……ありがとうございます」

 目の前にいる彼は、こんなにも多くの優しさを注いでくれる。
 彼の温かい手が触れるたびに、家族に虐げられていたときの重たい枷が溶けていくように感じた。

「こんなにも温かな気持ちになったのは、人生で初めてのことです」

 あまりの温かさに言葉を失いそうになったけれど、彼の真剣な眼差しを見て、口を閉ざしている場合ではないと自覚する。

「私の異能を、ご当主様のために捧げます」

 小さな声だったかもしれない。
 それでも、自分の発した言葉に感謝と覚悟を込めた。

「結葵の瞳は、綺麗な色をしているな」
「っ」
「ようやく見つけた」

 筒路森のご当主様は、冷酷と言われていることを忘れてしまったのかもしれない。
 これ以上の喜びはないと言わんばかりの優しい笑みを、彼は私に向けてくれた。

「っ、そのような言葉、穢れの子には不要で……」
「俺にとっては、穢れでもなんでもない」

 炎が消える、最後の最後まで。
 彼が看病をしてくれたことを、きっと私は忘れることができなくなる。

「結葵は、世界を救う鍵だ」

 こんなにも静かな時を共に過ごすことで、次第に私の心は満たされていった。