◆

 学校、行きたくない。
 お気に入りのピアスは相変わらず付けれないし。
 アイツがいるし。
 手が早くて遊んでることは予想できていたけど、ここまで見境なしだとは思ってなかった。
 憂鬱さがどんどん増していって、布団から出るのも億劫だ。
 もう、休もうか。
 そう思ったとき、ノックの音がした。

「香、起きてる?」

 予想通り、母さんだ。
 学校に行かないって言ったら、理由を聞かれるだろうな。

「……起きてる」

 僕は諦めて、ベッドから降りる。
 顔を洗って、髪をセットして。やっぱり今日も、ピアスはできなかった。

「今日は遅かったね、穂積クン」

 行きたくないという気持ちが準備を遅らせ、いつもより三十分近く遅れて学校に行くと、校門に一条がいた。
 今、一番見たくない顔だ。

「あれ、穂積クーン?」

 無視をして校舎に向かうと、一条は追いかけてきた。
 もう、何度このやり取りをすればいいんだ。

「穂積クン、見て見て」

 楽しそうな声につられて、僕は振り向いた。
 一条の耳に、昨日選んだピアスが付いている。
 悔しいことに似合っているけど、反応したら負けな気がする。

「穂積クンに、一番に見てほしくて待ってたんだよ」

 そんなことを言われると、無視するのも悪く感じてしまう。
 横目に盗み見ても、そのかっこよさを感じ取れる。

「……いいんじゃない」

 でも、似合っているとは言いたくなかった。
 僕にとっては、充分褒め言葉なのに、一条は納得いっていないように見える。

「……なんだよ」
「穂積クンは、付けてきてくれないの?」

 一条はまた、僕の耳に手を伸ばす。
 僕は慌てて耳を塞ぎ、足早に進む。

「なんか、怒ってる?」

 ……自覚なしとか、ありかよ。
 今、耳を触ろうとしたのもそうだけど、なにより一番許せないのは。

「……お前、昨日なにしたか覚えてないのか」
「昨日? 穂積クンとラーメン食べて、ピアス買いに行ったよ。楽しかったね」

 タノシカッタネ?
 随分と僕の気持ちを無視した感想だな。

「あ、もしかしてキスしたこと怒ってるの?」

 そんなことで、みたいなテンション、やめてほしい。
 いや、一条にとっては“そんなこと”なのか。
 日常的で、ここまで気にしている僕が間違っているのか。
 ……だとしても、腑に落ちない。

「……なんであんなことしたんだよ」

 校舎に入り、声量を落とす。
 生徒が見当たらないということは、もうホームルームが始まるか、始まっているのだろう。
 つまり、ここで教師に見つかったら、また罰掃除。
 罰はいいとして、コイツとはもうごめんだ。

「なんでって……したかったから?」

 単細胞かよ。

「……女子としてろよ」
「ヤキモチ?」

 一条は嬉々として言う。
 ダメだ、付き合ってられない。
 僕は早歩きで自分の教室に入った。
 どうやら、まだホームルームは始まっていなかったみたいだけど、さすがに一条は入ってこなかった。

   ◇

 昼休みになり、蒼汰が弁当を持って、僕のクラスにやってきた。

「今日も寝坊?」

 蒼汰は言いながら、僕の耳を指した。
 やっぱり鋭い。
 もう、言ってしまおうか。そうすれば、楽になれる気がする。
 そう思った瞬間、誰かに後ろから身体ごと引っ張られた。
 突然の出来事に、わかったのは蒼汰が驚いていることだけ。

「穂積クンに触らないで」

 その声で、誰が僕に手を回しているのか理解した。
 本当のヤキモチみたいな言葉に、ため息が出てしまう。

「穂積クンも、いつもの警戒心はどうしたの」
「蒼汰は幼なじみだから。てか、僕は一条のものじゃないんだけど」

 一条の腕を引き剥がそうにも、一条の力が強くて離れない。

「夏夜、新しいピアス買ったの?」

 勝ち目のなさそうな攻防をしていると、女子が一条に声をかけてきた。
 僕のことなんて、視界に入っていないらしい。

「そー。似合うでしょ?」

 顔を見なくても、一条がニヤけているのがわかる。
 そんな声だ。

「めちゃくちゃ似合ってるよ」
「ありがとー」

 そういえば、女子ウケがいいからと髪を染めるような奴だ。
 女子に褒められれば、それでいいんだろう。
 ……僕に、一番に見てほしいって言ってたくせに。
 って、なに言ってるんだ。
 一条のヤキモチをくだらないって思った僕が、女子に嫉妬するなんて。

「穂積クン?」

 僕が大人しくなったことで、一条は不思議そうに顔を覗き込んできた。
 いつもよりも近距離で見る一条の顔は、なかなかインパクトがある。

「近いって」

 一条を押しのけようにも、やっぱり力では敵わない。

「ねえ夏夜、お昼一緒に行こ?」

 すると、その子が一条と腕を組んだ。
 必然的に僕との距離も縮まり、彼女の甘い匂いが鼻をくすぐる。

「ね?」
「んー……いいよ。穂積クン、またね」

 一条は名残惜しそうに、女子と教室を出ていった。
 やっと解放された……

「随分、仲良くなったんだね」

 一部始終を目の前で見ていた蒼汰の感想。
 仲良く? そんな言葉で片付けられるものか。

「……僕をからかって遊んでるだけだよ」

 罰掃除のときから、今まで。
 一条はたぶん、僕のことをおもちゃとでも思ってるんだ。
 だから、ムカつくんだよ。

「そうは見えなかったけど……」

 僕はその声を聞こえなかったフリをして、弁当を食べ始めた。

   ◇

 今日一日、すべての授業が終わってから、僕は急いで教室を出た。
 今日もまた、一条がやって来る気がしたから。
 もう一条に絡まれるのはうんざりだ。
 だから、隠れるように帰ろうって決めたのに。

「ナツくん、今日は相手してくれるでしょ?」

 空き教室から、女子の甘い声が聞こえてきた。
 なんで、ドアを開けたまま遊んでるんだよ。気付いてないのか?
 というか、一条も一条だ。
 やっぱり女子と遊んでるほうがいいんじゃないか。

「あー……気分じゃないかな。ごめんね?」

 ……断った?
 あの一条が?

「もう。最近のナツくん、つまんない。好きな人でもできた?」
「やっぱり、わかっちゃう?」

 顔は見えないのに、一条のニヤけた顔が頭に浮かんだ。
 それくらい、浮かれた声をしている。
 なんだよ。好きな人、いるんじゃないか。
 僕はそれ以上聞きたくなくて、その場を離れた。
 苦しい。胸がぎゅって締め付けられて、思いっきり叫んでしまいたい。
 ああ、もう。こんなの、認めるしかないだろ。

 僕は、一条のことが好きなんだ。

 どのタイミングで好きになったのか、知らない。
 だけど、これはもう、好き以外ないだろう。

『俺は穂積クンとなら、勘違いされてもいいけどね』

 あの日、一条はそう言った。
 勘違いしたのは、周りじゃなくて、僕だ。
 でも、一条には好きな人がいて。
 一条は僕のこと、おもちゃとしか思ってなくて。
 そもそも、僕も一条も、男だし。
 あの女好きが、僕を好きとか、有り得ないし。
 どうしたって成就しない想いを抱いているのは、しんどい。
 まだ、引き返せるだろうか。
 まだ、一条が嫌いだって思っていた、あの瞬間に。

「穂積クン!」

 昇降口に向かって歩いていると、背後から一条の声が聞こえてきた。
 聞こえない。人がいない場所で女子と遊んでいた奴のこえなんて、僕には聞こえない。
 それを無視して歩き進めていると、左肩を掴まれ、振り向かされた。
 なんで。
 なんで、そんな慌てた様子で僕を追いかけてきたんだ。
 一条への想いを認めてしまったからか、僕は変な期待をしてしまう。
 やめておけ、重ねて傷つくだけだ。

「穂積クン、今の聞いてた?」
「……なんのこと」

 嫌だ。
 なにも言うな。

「俺に好きな人ができたって話」

 そんなの、聞きたくない。

「……だとしたら? 僕には関係ない」

 僕は一条の手を払った。
 お願いだから、これ以上惨めな思いさせないで。

「関係あるよ」

 一条は、僕の前に立ち塞がった。
 その表情が真剣そのもので、ふざけているわけじゃないんだって、伝わってくる。

「俺が好きなのは、穂積クンなんだから」

 ……いま、なんて?
 一条が、僕を?

「……ウソだ」

 こんなの、僕の都合のいい妄想だとしか思えない。

「嘘じゃないよ」
「だって……だって、一条は僕のこと、おもちゃとしか思ってなくて、これも、僕をからかうためのウソ、だろ?」

 信じたら、傷つくのは僕。
 そう思っているからこその、強がりだ。
 でも、それを聞いた一条のほうが、傷ついているように見えるのは、気のせいだろうか。

「……僕をからかいたいだけなら、やめてくれ。迷惑だから」

 一条の落ち込んだ顔を見ていられなくて、僕は視線を落として、一条の隣を進んだ。
 すると、一条は僕の腕を掴んだ。
 その力があまりにも強くて、僕は抵抗する気力もなかった。

「……好きだ」

 耳をすまさなければ聞こえないほど、小さな声。
 一条とは目が合わない。

「好きなんだよ、本当に」

 一条はゆっくりと視線を上げた。
 熱を孕んだ瞳から目がそらせない。
 これも演技だとは思えない。
 だけど、本当に、信じてもいいのだろうか。

「ねえ、穂積クン……どうしたら、信じてくれるの?」

 捨てられた子犬のよう。
 これは、嘘じゃない。
 少しずつ一条の言葉を信じようと思っているのに。
 どうしてもまだ、受け入れられない。

「……僕の、どこを好きになったって言うんだよ」

 僕を罰掃除に巻き込んで。
 無理矢理遊び歩かせて。
 ただおもちゃで遊んでいるようにしか思えないこの時間の、一体どこで僕を好きになったのか。
 それが一ミリも理解できなかった。

「……耳を触ったときの穂積クンの顔が、最高にゾクゾクして、その顔を俺だけが見れたらって思ったのがきっかけ」

 ……は?

「は!?」

 僕以上に、醜い欲にまみれているじゃないか。
 だから、蒼汰に触られそうになったとき、あんなに不機嫌になってたって言うのかよ。
 というか、あのとき見た獲物を狙う視線は、勘違いじゃなかったってことか。

「少しは信じてくれた?」

 今の話を聞いたら、信じる、信じないじゃなくて、信じたくないんだけど。
 さすがに怖すぎる。

「穂積クン?」

 僕が混乱していることに気付いていないみたいに、一条は僕に近付いて、顔の前で手のひらを小さく振った。
 今の話を聞いたら、一条との距離を取らないといけないような気がして、僕は数歩、後ろに下がった。

「……帰る!」

 こうして一条から逃げるの、何回目だろう。
 でも、仕方ないだろ。いつも僕を困惑させる一条が悪いんだ。
 そうやって言い訳を探しながら、僕は家に走った。

   ◇

 あれから数日。
 一条とは一言も言葉を交わしていない。
 僕が、一条を避け続けているからだ。

「ケンカでもしたの?」

 昼休み、一条が教室の前を通り過ぎていく姿を見かけ、教科書で顔を隠していると、なにを知らずに弁当を広げている蒼汰が聞いてきた。
 ケンカ、なのかな。
 この状況を、ケンカとは言わない気がする。

「……僕に飽きたんじゃない?」

 上手い言い訳が出てこなくてそう言ったのはいいものの、自分勝手すぎて呆れてしまう。
 こうなったのは、僕の態度が原因なのに。
 一条に擦り付けるような言い方をするのは、ズルすぎるだろ。

「あれ、新しいピアス? 似合ってるじゃん」
「……ありがとう」

 蒼汰が気付いたのは、あの日、一条が買ってくれたピアス。
 これを付けていたら、僕が避けていることなんてお構いなしに、一条が近寄ってくるかも、なんて黒いことを考えながら付けてきた。
 あの日の思い出が特別になった今、ピアスは重たく感じて、いつものピアスよりも存在感を増していた。
 蒼汰が褒めてくれた言葉が、一条の笑顔と重なる。僕によく似合うって笑っていた、あの顔。
 気付けよ、一条。
 お前が似合うって、付けてこいって言ったんだろ。
 なんて、ただの八つ当たりだ。
 僕が一条に近付こうとしていないんだから、一条が気付くわけがない。
 わかっているけど、どうしても、そう思ってしまう。

「それ、フープピアス、だよね?」

 蒼汰が言いながら僕に手を伸ばして来たとき、僕は背中を椅子の背もたれと合わせた。
 蒼汰に対してそんな警戒心を出したのは初めてで、蒼汰はなにが起きたのかと瞬きをしている。

「もしかして、この前の言葉、気にしてるの?」

 意外だと言うような表情。
 僕だって、一条の横暴な言葉なんて気にしたくない。
 でも、僕が女子に嫉妬したみたいに、一条も蒼汰に嫉妬したんだとしたら。
 同じことを繰り返されるのは、嫌だ。
 だから、一条が見ているわけでもないのに、僕は律儀に蒼汰との距離を取った。

「はやく、仲直りできるといいね」

 僕はなにも言っていないのに、蒼汰はそう言った。
 幼なじみだから、気付かれたのかもしれない。
 だけど、僕が一条のこと好きだってわかったの?なんて聞けるわけもなく。

「……うん」

 僕はそう返すことしかできなかった。

   ◇

 放課後になっても、一条は僕がピアスを付けてきていることに気付かなかった。
 だんだんそれにムカついてきて、僕は一条の姿を探しに、校内を歩き回る。
 また、女子と遊んでいるところを見つけるかもしれない。
 いや、アイツは僕が好きだって言ってた。
 だから、きっと。

「夏夜のバカ!」

 廊下を曲がろうとしたそのとき、女子の泣き叫ぶような声が聞こえてきた。
 そしてその女子はちょうど僕がいる方向に曲がってきて、僕たちは軽くぶつかった。
 僕は女子が倒れないように肩を抱き、すぐに離した。

「ご、ごめん」

 僕が謝るのも聞かず、彼女は僕を見て、どこかに走っていってしまった。
 残ったのは、あの子の甘い香りと、柔らかい触感。
 一条は、いつもああいう子たちに囲まれていたのか。
 それで、僕が好きだって?

「また、盗み聞き?」

 彼女が走り去っていった方向を見つめたまま動けないでいると、背後から一条の声が聞こえてきた。
 振り向くと、少し呆れた表情の一条がいる。
 僕だって、盗み聞きしたくてしたわけじゃない。

「……全部偶然だから」

 そう言った僕の声には、覇気がなかった。

「なあ、一条……本気で、僕のことを好きだって言うのかよ」
「うん、本気だよ」

 あの日と変わらない、強い声。
 でも、少しだけ怒りが込められている気がした。
 まだ信じられないのかよって、言っているようだ。
 だって、信じられなくなったんだよ。
 やっぱり僕は、男だから。
 一条が触れ合ってきた子たちとは全然違う。

「……僕は女子みたいに可愛くなければ、柔らかくない。それでもいいって言うのかよ」

 また怒られる。
 そんな気がして、僕は顔が上げられない。
 すると、一条が僕の頬を両手で挟み、顔を上げさせた。
 少しばかり一条のほうが背が高いせいで、いつもよりも上を向いている気がする。
 一条は、不貞腐れた僕を見て、笑っている。
 性格の悪い奴め。
 恨み言を言ってやろうと思ったら、一条は勢いよく僕を抱き締めた。

「ああ、もう……最高だよ、穂積クン。俺をどうしたいの?」

 頭上から、一条の浮かれた声が聞こえてきた。
 これだけくっつけば、嫌でも一条の心音が聞こえる。
 それは明らかに早くて、もう、全身で想いを告げられているような感覚さえしてくる。

「……一条、離して」

 小さな声でも一条に届いたようで、一条の手が緩んだ。
 言え。
 僕が勇気を出すだけで、素直になるだけで、この気まずい時間は終わるんだから。

「あ、穂積クン、ピアス付けてくれてる」

 僕がなにも言えないでいると、一条は僕の耳に右手を伸ばし、そっと触れた。
 あの日みたいに驚くことはなかったけど、僕は肩をビクつかせた。
 そんな僕を見てか、一条は柔らかく微笑んだ。

「うん、よく似合ってる」

 ……ああ、ダメだ。
 一条の、こんなにも愛おしいものを見るような目。
 なにもかも、僕に“好きだ”って叫んでいるみたい。

「……好き」

 僕の声はとても小さくて、震えていた。
 たった二音を口にするのが、こんなにも緊張するなんて、知らなかった。

「え……」

 一条は、この前の僕と同じように、困惑している。
 恋愛は遊び慣れているであろうそんな一条でも、この反応になるなんて、思わなかったな。
 動揺する姿を見ていると、言ってよかったって思えてくる。

「ね、穂積クン。キス、していい?」

 一条は僕に伸ばしたままの右手で、頬に触れた。
 骨ばっていて、冷たいのはあの日と変わらない。
 だけど、その手は微かに震えている。
 僕以上に緊張していそうで、なんだか笑えてくる。

「ちょっと、笑わないでよ」
「だって、緊張しすぎ……てか、この前は確認せずにやってたくせに」

 すると、バツが悪そうに視線を逸らした。
 僕が怒ったこと、結構気にしていたりするのだろうか。

「……いいよ」

 また、聞こえるかどうか怪しい声。
 こんなこと、はっきりと言えるかよ。
 一条と視線を交え、ゆっくりと一条の顔が近付いてきた。
 その近さに、僕は思わず目を閉じる。
 そして、一条は触れるだけのキスをした。
 ほんの一瞬。
 その、ほんの一瞬の出来事が、やけに長い時間のように感じた。
 一条の感覚が、僕の唇に住み着いて、消えない。
 もう一回。
 そんなことを思った自分がいることが、僕には信じられなかった。

「あー……やば」

 一条はそう言いながら、僕に抱きついてきた。
 心音は、さっきよりもうるさい。
 慣れているはずの一条にこんな反応されるだけで、胸が締め付けられる。
 こういうとき、なんて言うんだっけ。
 苦しいわけじゃなくて……
 ああ、そうか。
 これが、愛おしいということか。

「あ、そうだ」

 すると、一条はなにかを思い出したかのように、僕から離れた。

「香くんって、呼んでもいい?」

 いつだったか、僕が即却下したお願い。
 もう、ダメだって言う理由もない。

「……好きにすれば」

 こんなときでも素直に頷けないなんて、僕は本当に可愛くない。
 だけど、一条が満足そうに抱き着いてきたから、そこまで気にする必要もないか、と思った。

   ◇

 翌朝、僕はいつもより早く家を出た。
 こんなに軽い足取りで学校に行くのは、いつぶりだろう。
 もう少し。
 あとちょっとで、待ち合わせ場所に着く。
 その浮かれた気持ちは、一条が女子といるところを見かけた途端にどこかに行ってしまった。

「あの、前からかっこいいなって、気になってて! よかったら、付き合ってください!」

 こんなふうに、女子からストレートに告白されたら、一条がなびくんじゃないか。
 そんな不安がよぎった。
 昨日、あんなやり取りをしたのに、僕にはまだ、自信がなかった。

「ごめんね。俺、恋人のことめちゃくちゃ好きだからさ」

 一条がそう言うと、女子は走り去っていった。
 恋人って。
 僕たち、恋人だって。

「あ、香くん! おはよう」

 僕を見つけた一条は、幸せ全開な笑みを見せる。
 それを見ていたら、自信がなくなっていたことがバカみたいに思えてくる。

「おはよう……夏夜」

 一条に名前で呼ばれて嬉しくなった勢いで呼んでみたのはいいものの。
 じわじわと恥ずかしさが込み上げてきて、語尾が萎んだ。
 でも、一条の耳には届いたようで、一条は僕を抱き締めた。
 その力強さが、一条の喜びを示しているみたい。
 言ってよかった。でも、まだ慣れそうにない。
 いつか口に馴染む日が来ればいいなんて思いながら、僕たちは並んで歩き始めた。

「ね、香くん。今日の放課後、デートしよ」

 その響きを小っ恥ずかしく感じるのは、僕だけか。

「俺ね、お揃いのピアスが欲しいなって思ってて」

 そう言う一条の耳には、あの日、僕が選んだ羽根のピアスが付いている。
 僕には、一条が似合うと言ってくれた黒いピアス。

「僕は……今付けてるのが、お揃いみたいでいいなって思うけど」
「なにそれ、香くん天才?」

 随分、簡単なことで天才になれたな。

「俺たちだけの、お揃いだね」

 こんなことで子供みたいに喜ぶ姿を、可愛いと思ってしまうのだから、僕も手遅れなんだろう。

 信じないって決めつけた君の想い。
 これからはずっと、信じていきたい。