ピアスを外して、制服を着崩していなければ、それでいいやって思ってたけど。
今日だけ。
今日だけは、髪色もちゃんとすればよかったって後悔した。
「あのなあ、一条、穂積。今日から冬服指定で、服装検査があるってわかってたろ? それなのに、なんでお前らの髪はそんなカラフルなんだ」
僕の隣に立つ男、一条夏夜は薄めの金色。僕は茶色寄りのオレンジ。
カラフルというほどでもないだろう。
赤とか青がいれば、わかるけど。
少し明るく感じるけど、茶髪にも見えるから、目を付けられないと思っていたのに。
「えー? 似合ってるでしょ? 女子にも評判いいんだよ?」
今もこうして飄々としている一条が、僕を巻き込んだんだ。
『穂積クンだって、黒染めしてないよ?』
それを聞いたとき、ガチで悪魔かと思った。
「それにさ、黒くしたって、どうせ明日には元に戻すんだし、見逃してよ」
一条の言葉に、先生はこれでもかというほど大きなため息をついた。
これは間違いなく、諦めたな。
「お前ら、罰として放課後、中庭掃除な」
それだけ言って、先生は別の生徒のチェックに向かった。
え、僕も?
「ごめんねー、穂積クン」
全然悪いと思ってない謝罪で、めちゃくちゃムカつく。
反応してやるものか。
僕は黙ってその場を離れる。
「あれ、無視?」
なにが面白いのか、一条は僕を追いかけてきた。
少しだけ僕よりも背の高い一条は、腰を曲げて、僕の顔を覗き込んできた。
長い髪が揺れて、隠れていた耳が見えた。
あ、フープピアス。気付かれなかったのか。
ピアスも怒られるだろうからって、僕はお気に入りのやつすら外して来たのに。
そう思うとよりムカついて、僕は一条を置いて、教室に入った。
席に着いて、僕はうつ伏せになる。
あれと、二人で、掃除? ありえない。
だいたい、僕は見逃されていたはずなんだ。
……サボろうかな。うん、サボろう。全部、アイツが一人でやればいいんだ。
なんて思ってたのに。
「穂積クン、中庭行こ」
帰り支度の途中、奴は僕のクラスに現れた。
教室の窓際から廊下までの距離があっても、一条の金髪は目立つ。
いや、髪だけじゃない。
その顔立ちも存在感がある。
そんな一条が僕の名前を呼んだせいで、クラス中の女子が僕を睨んだ。
こんなの、不本意だ。
「夏夜、遊びに行こうよ」
派手めな女子が、僕との予定なんて許さないと言わんばかりに、一条に絡んだ。
「ごめんね、穂積クンとの約束が先だから」
一条は女子の腕から抜け、僕の元に来た。
しまった、逃げておけばよかった。
「行こ?」
この、断るのは許さないというような笑み、嫌いだ。
僕は渋々立ち上がり、中庭に移動した。
掃除をしろとは言われたけど、草むしりでもしろと言うのか。めんどくさい。
軍手も何もない中で、やりたくない。
「はい、穂積クン」
どうやってサボるか考えていたら、一条に箒を渡された。
どこから持ってきた?
「これで葉っぱ集めて終わりだよ。さっさとやって、帰ろ」
随分と慣れている。
こういった罰を受けるのは、初めてじゃないってことか。
まあ、思っていたより楽そうだし、少しくらい付き合ってやってもいい。
僕は壁際にリュックを置き、掃除を始めた。
「ナツくん、何してるのー?」
「そーじだよ、マジメでしょー?」
一条が校舎に残った女子たちと会話しているのを聞き流しながら、ただ終わらせることだけを考えて、手を動かした。
すると、シャッターの音が聞こえた。
顔を上げると、一条が僕にスマホを向けている。
「穂積クン、箒と身長一緒だね」
……なるほど、喧嘩を売っているんだな?
「帰る」
僕は箒を一条に押し付け、リュックを取りに、身体の向きを変える。
「待って待って、ごめん」
一条は慌てた様子で僕の腕を掴んだ。
一人で掃除が嫌なら、からかうなよ。
僕が箒を取り返して掃除を再開しようとしてるのに、一条は手を離さない。
「……離せよ」
一条の手から抜け出そうにも、力が強くて敵わない。
じっと見られるのも、嫌なんだけど。
「穂積クン、耳開けてるんだね」
やっと解放されたと思ったら、一条の指先が僕の耳に触れた。
「うぁっ」
もうすぐ夏だというのに、一条の手が思っていたよりも冷たくて、僕は必要以上に驚いてしまった。
てか、今の声なに。女子みたいな高い声。
これは一条にからかわれる。
そう思ったのに、一条は反応を示さない。そのせいで、じわじわと恥ずかしさで体温が上がっていく。
いや、無反応ではないのか。僕には、ギラついた目が向けられている。
僕の本能が、逃げろと言っている気がした。
「……帰る!」
今度こそ一条に箒を押し付けて、僕は逃げ出した。
最悪だ、アイツに触れられた感覚が、まだ残ってる。
少し骨ばってて、冷たくて。獲物を見つけた獣のような鋭い目も、頭から離れない。
あのまま逃げなかったら、どうなってたんだろう。
……いや、違う。
違う、違う、違う。
断じて、意識なんてしてない!
叫びたい気持ちを抑えながら、僕はただただ走った。
◇
翌朝、身支度を整える手が止まった。
あとはピアスを付けるだけなのに。
思い出してしまうのは、昨日の一条とのやり取り。
……今日は、ピアスなしで行こう。
お気に入りの黒いピアスがなくてテンション上がらないけど、仕方ない。
「おはよう、香。昨日は災難だったね」
登校中、幼なじみの蒼汰と出くわした。
「本当だよ。いつもなら、注意されないのにさ」
僕が大きくため息を吐き出すと、蒼汰は苦笑いを返した。
「いつもはパーカーとか着てるのに、注意されないの、本当不思議だよね」
「そのときだけちゃんとしてればいいって、去年、先輩を見て学んだから」
それにしても、クラスの違う蒼汰も知っていたなんて、やっぱりアイツは目立つ奴なんだな。
だからこそ、関わりたくない気持ちもあったっていうのに。
「あれ、香、ピアスは?」
僕の髪は耳を隠してくれるほど長くないから、ピアスの有無は一目見ればわかる。
昨日の出来事を知らない蒼汰は、不思議そうに僕の耳を見ている。
「あー……寝坊して」
なんて苦しい言い訳だろう。
僕が寝坊することなんて滅多にないし、したとしても、お気に入りのピアスの存在を忘れるなんてありえない。
それは、蒼汰も知っている。
でもじゃあ、なんて言えばいいんだよ。
一条に触られたのを思い出して仕方ないから、ピアスできなかった、なんて言えるかよ。
「……あ」
すると、蒼汰が僕の後ろを見て呟いた。
なにを見つけたのだろうと振り向くと、そこには女子に囲まれた一条がいる。
その胡散臭い笑顔で何人を泣かせてきたんだか。
それを見ていると面白くなくなって、僕は気付かなかったことにした。
「そうだ、香、今日の放課後、暇?」
僕がなにも言わないで歩き始めたのを、蒼汰は追いかけて来た。
一条のことに触れないのは、僕が関わりたくないと思っているのを察したからだろうか。
いや、そんなことを言った覚えはない。
じゃあ、どうでもいいというところだろうか。
それならそれでいいか。
「暇だけど」
「じゃあ、うちでゲームしようよ。新しいやつ、昨日買ってもらったんだよね」
それを聞くと、一条のことなんて頭から消え去った。
「わかった。じゃあ、また放課後」
そして僕たちはそれぞれの教室に向かった。
◇
ホームルームが終わり、チャイムが鳴る。
放課後になり、僕のテンションは上がっていた。
やっとゲームの時間だ。コンビニでお菓子でも買っていこうか。
その前に、蒼汰と連絡を取らないと。
「あ! 穂積クン、カラオケ行こー」
そんなことを思いながら帰り支度をしていると、廊下から奴の声が聞こえてきた。
……デジャブ?
でも、昨日と違って、一条は数人の女子を連れている。
その中に、僕も入れと?
冗談じゃない。
僕は一条の声が聞こえなかったふりをして、後ろのドアから教室を出る。
「あ、気分じゃない? ゲーセンは?」
僕は無視をしたはずなのに、一条は追いかけてきた。
なんて鬱陶しいんだ。
「今日は予定が」
文句の一つでも言ってやろうかと思ったそのとき、僕の言葉に被さるように、お腹が空腹を知らせた。
すぐ近くにいる一条には聞こえたようで、一条はニヤリと笑う。
「ご飯、食べに行こっか」
「ちょっと夏夜、私たちとの約束は?」
「ごめんね、また今度!」
女子の不平不満をさらっと流し、一条は僕の手首を引っ張って歩き始めた。
僕、一言も行くなんて言ってないのに。
というか、今日は蒼汰とゲームしようって約束だったのに。
離せ、と言う前に、ちょうど昇降口に来たばかりの蒼汰と目が合った。
蒼汰はなにかを察したように、僕に手を振っている。
僕も蒼汰の立場だったらそうしただろうけど、助ける素振りを見せるくらいはしてほしかった。
ああもう、最悪だ。僕の癒しの時間が潰されてしまった。
大人しく捕まってやる義理はもちろんないけど、抵抗するのも面倒だ。
逃げたって、捕まるがオチだろうし。
それにしても、足の長さによる違いで、僕は若干早足になってしまう。
……本当に鼻につく奴だな。
「穂積クン、なに食べたい?」
「帰りたい」
「俺はね、ラーメンかな」
聞けよ。
そして僕は中華そば屋に連れてこられた。
美味しいと話題になっているけれど、一人で入る勇気が出なくて、来たことがない場所だ。
対して、一条は来たことがあるのか、慣れたように発券機で食券を買い始める。
「穂積クンは並? あ、小?」
バカにされていることはわかった。
「並だけど、自分で買う」
「いいよ、遠慮しないで」
一条はボタンを押し、またさらにお金を入れる。
「昨日、巻き込んだお詫び」
なんだそれ。巻き込んだ自覚があったなんて、タチの悪い奴だな。
でも、そういうことならお言葉に甘えよう。
そして一条が店員に券を渡すと、僕たちは空いている席に移動した。
一条が座ったのは、四人掛けテーブル。
隣に座らないのは当然として、どこに座ろうか。
目の前はなんだか気まずいけど、同じテーブルにいながら、斜めに座るのも変な気がする。
「穂積クン、座らないの?」
そう言われて僕が座ったのは、一条の前の席。
女子が騒ぐ顔面が目の前にあるのは、やっぱり落ち着かない。
一つ隣に座ろう。
そう思ったとき、ちょうどラーメンが届いた。
今の場所に置かれてしまうと、移動しにくい。
仕方ない、ここで食べるか。
「いただきまーす」
一条は割りばしを手に、そう言った。
なんでコイツと顔を合わせてラーメンを食べないといけないんだ。
どうにも納得いかないけれど、ラーメンには罪はない。
「……いただきます」
話題になるだけあって、ここのラーメンはすごく美味しかった。
すると、目の前から小さな笑い声が聞こえてきた。
「……なに」
「穂積クンって、一匹猫って感じだよね」
一匹狼じゃなくて、猫。
聞かずともわかる。
バカにしてるんだろ。
ああ、来なければよかった。
せっかくのラーメンが台無しじゃないか。
僕が睨んでいるのに、一条は気にせず食べ進めている。
ふと、一条が髪を左耳にかけた。
僕は今日、一条のせいでピアスを付けられなかったのに、一条は昨日と同じピアスをつけている。
「ん? 食べないの?」
僕の視線に気付いたのか、一条が顔を上げた。
目の前にいるから、当然のように目が合う。
ピアスとはいえ、じっと見ていたことに違いはなくて。
僕は勝手に気まずく感じて、黙ってラーメンを食べ進めた。
「そんな慌てなくてもいいのに」
またバカにしているのか、と抗議しようと一条を見たら、信じられないくらい柔らかい目をしていて、思わず視線を逸らした。
なんとなく、あの目と視線を交えると、なにかが終わる気がする。
だから、僕は一条のほうを見ることが出来なかった。
ときどき一条の視線を感じながら、僕はラーメンを食べ終えた。
「ねぎ、付いてるよ」
どこ?と聞く前に、一条の手が僕の唇の端に触れた。
相変わらず、一条の指先はひんやりとしている。
「うん、取れた」
一条は満足そうだけど。
最悪だ。忘れていた感触が、鮮明に思い出される。
また、一条の顔が見れない。
「ね、穂積クン。ピアス見に行かない?」
「行かない!」
このまま一条といたら、なんか、よくわかんなくなりそうで怖くて。
だから、一刻も早く帰りたいのに。
「まあまあ。穂積クン、フープピアスが気になってるんでしょ?」
一条は逃がすものかと席を立った僕の手を握った。
そしてそのまま店を出る。
まさか、気付かれていたなんて。
それも恥ずかしかったけど、一条に手を握られていることのほうが恥ずかしさで死にそうだ。
人目がある場所では、一条はますます目立つから、本当にやめてほしい。
特に、女子の目。
一条が手を引く相手が女子じゃないかと、睨むような視線が僕に向く。
ああもう、居心地が悪すぎる。
「一条、手、離して」
すると、一条は立ち止まった。
意外と僕の声を聞いてくれるらしい。
振り向いた一条は、驚いているように見える。
「な、なに」
「俺の名前、知ってたんだ」
それはまあ、これだけ目立っていれば、嫌でも知るだろう。
知りたくて知ったわけではないのに、一条が機嫌がいいように見えるから、否定するのはなんだか気が引けた。
「ね、穂積クンの下の名前って、コウって読むの?」
「……香だけど」
「カオルね」
なんだか悪巧みをしているように見えて、言わなきゃよかったと後悔した。
「香くんって呼んでいい?」
「嫌だ」
断ってやると決めていたから、間髪入れずに言うと、一条はわかりやすく落ち込んだ。
その顔はやめてくれ、僕が悪いことをしたみたいに感じるだろ。
「そっかあ。あ、俺のことは好きに呼んでいいからね」
“一条”以外になんて呼べと?
「夏夜でも、ナツくんでも、なっちゃんでも、なんでもいいよ」
「……一条で」
「意地っ張りだなあ」
どこがだよ。
それにしても一条は楽しそうで、なにがそんなに面白いのか、やっぱりわからない。
不思議な奴だと思っていると、僕を睨んでくる女子と目が合った。
なにをそんなに睨んでいるんだと思ったら、まだ一条に手を引かれていることを思い出した。
まだ離してなかったのか。
「一条、逃げないから、いい加減離して」
改めて言うと、一条は少し周りを見渡した。
名残惜しそうに手を離すと、僕に顔を近付ける。
シャンプーの匂いなのか、柔軟剤なのか、それとも香水なのか。どれかわからないけど、一条の香りが鼻をくすぐる。
なんでこんなに完璧なんだよって、嫌になるくらいいい匂いがした。
「誤解されちゃうもんね」
一条は耳元で囁く。
少しだけ一条の息がかかって、くすぐったかった。
耳が弱いってわかっての仕打ちか? 性格の悪い奴め。
でも、文句を言うよりも、とにかく離れるのが先だ。
すると、僕が困惑しているのが面白かったのか、一条は笑っているのに気付いた。
その楽しそうな顔、気に入らない。
「……男同士で誤解とか、ないだろ」
「えー? 俺は穂積クンとなら、勘違いされてもいいけどね」
一条の表情からは、それが本気なのか冗談なのか、読み取れない。
でも僕は、冗談であってほしい。
いや、絶対冗談だろう。
だって、ずっと一条は僕のことをからかっているじゃないか。
なにがそんなに一条にはまったのか知らないけど、はやく飽きてほしい。
「あれ、響いてない?」
響いてたまるか。
女子じゃあるまいし。
「穂積クン、こっち」
目的地を知らずに先を歩こうとしたことが間違いだった。
振り向くと、一条が立ち止まっている。
「ここは?」
喫茶店と言われても違和感がないくらい、オシャレな外観。
そんなに遠い場所じゃないところでの知らない店で、なんだか興味がそそられる。
「俺がよく来る雑貨屋さんだよ。結構いいものが揃ってるんだよね」
一条は言いながら、ドアを開けた。
知らない世界に誘われているような、不思議な気分だ。
緊張気味に足を踏み入れると、一気に店内の雰囲気に呑まれた。
なんだ、ここ。本当に異空間に迷い込んだみたいな感じ。
キーホルダーもアクセもいっぱいあって、ずっとここにいたくなる。
なにから見ようか。
やっぱり、ピアスかな。
一条がよく来るって言ってたし、かっこいいピアスが揃っていそう。
ちょっとしたアクセントになりそうなものから、がっつりと目立つものまで、どれもかっこいい。
でもやっぱり、目を引くのはフープピアスだ。
少し太めのもの、軽そうなもの、チェーンのようなものがついたもの。
どれがいいか、迷ってしまう。
「あ、それ穂積クンに似合いそう」
僕が黒いフープピアスに手を伸ばしたとき、一条が言った。
そういえば、いたな。
僕が手にするよりも先に、一条がそのピアスを取った。
そして、僕の耳元に当てる。
「うん、すごく似合ってる」
からかうわけでもない、むず痒さで目を背けたくなる笑顔。
なんで、そんな顔を僕に向けるんだ。
だけど、一条に似合うと言われて悪い気はしなくて、僕はそのピアスがよりよく見えた。
あれ、いくらするんだろう。今、金欠気味なんだよな。次に来たときに買えるように、知っておきたいんだけど。
「そうだ、穂積クン。俺の選んでよ」
金額を調べようとピアスコーナーを見ていたら、そんなことを言われた。
また悪いことを考えていそうな顔。
「え、なんで……」
「選んでほしいから?」
誰か、このわがままな男をなんとかしてくれないか。自分が言えば、全部叶うとか思ってるんじゃないだろうな。
でも、僕がなにを言ったって聞かないことは学んだ。
僕は抵抗することも面倒になって、仕方なく一条に似合いそうなピアスを探す。
といっても、探すフリだ。
僕がアイツのピアスを探してやる義理なんてないんだから。
……あ、このシルバーの羽根が付いたピアス、かっこいいな。
「見つかった?」
僕がほんの一瞬立ち止まったのを、一条は見逃さなかったらしい。
一条はピアスを取ると、自分の左耳に合わせた。
「どう? 似合う?」
悔しいことに、それは一条によく似合っていた。
「……悪くないんじゃない」
「そっか」
僕には、一条が満面の笑みを浮かべているように見えた。
僕が選んだことが、そんなに嬉しいのか?
理解しようとは思っていないけど、一条がよくわからない。
「じゃあ、買ってくるね」
そして一条はそのままレジに向かった。
……あれ? さっきの、黒いピアスは?
商品棚を見ても、見当たらない。
もしかしてと思って一条を追うと、僕が気に入ったピアスを、一条が買っている。
「なんで」
「え? だって、穂積クンに似合ってたから」
そんな理由で人にピアス買うとか、意味わかんない。
「合計で六千円になります」
「一条、待って、本当にダメだって」
金額にビビッて止めるのに、一条は財布を開いて支払ってしまった。
「黒いやつは付けていきます」
僕のことなんて無視して、店員と会話を続ける。
「はい、穂積クン」
昨日の箒と同じテンション感で渡されるピアス。
こんなの、軽い気持ちで受け取れるかよ。
「あ、俺が付けてもいい?」
受け取るのを躊躇っていたら、一条がにやりと笑った。
一条が? 僕にピアスを付ける?
「い、嫌だ!」
ちょっと触れるだけでは済まないことは、嫌でもわかる。
だから、このわがままだけは聞くわけにはいかない。
「そんな遠慮しなくても」
一条は全力否定した僕を笑いながら、レジを離れる。置いていかれてしまい、僕は一条を追って店を出た。
「そうじゃなくて、これ、受け取れない」
「穂積クンに買ったんだから、貰ってよ」
さっきのラーメンくらいの値段だったら、受け取っただろう。
でも、桁が違うし。受け取る理由もない。
「フープピアス、デビュー記念。ね?」
ね、じゃない。
理由になってないだろ。
「俺がプレゼントしたいって買ったんだから、遠慮しなくていいんだよ」
そう言われてしまうと、これ以上嫌がるのはよくないと思ってしまう。
だから、返そうとするのはやめたけど……
やっぱり、申し訳なさすぎる。
「それ、本当に穂積クンに似合ってたし。ね、付けてみてよ」
僕が付けることで少しでもお返しになるのなら、と僕は足を止め、真新しいピアスを付けた。
そんな僕を見て、一条は満足そうに笑っている。
「うん、よく似合ってる」
一条に買ってもらったことはまだ引っかかっているけど、ずっと付けてみたいと思っていたフープピアスを、こんなにもストレートに褒められて、嬉しくないわけがない。
大人しく、受け取ろう。
また今度、お礼をすればいいだけの話だし。
「……ありがとう、一条」
すると、一条は固まった。
僕がお礼を言ったのが、そんなにおかしかっただろうか。
僕だって、お礼くらい言える。
そんなふうに思っていたら、一条が近付いてきた。
また、耳を触られる。
警戒して耳を塞いだけど、一条が触れたのは、僕の頬。
あまりにも距離が近くて、僕の身体に緊張が走る。
そうして一条の視線に捕まってしまった、そのとき。
一条は唇を重ねてきた。
ほんの一瞬の出来事。
指とは違って、暖かくて柔らかいんだ、なんて。
「固まっちゃって、可愛いね、穂積クン」
……いや、え?
なんだ、今の。なにが起きた。
一条が近付いてきて。僕の唇に。一瞬だけ。
「……はあ!?」
僕が声を荒らげたのを、一条は笑って見ている。
なにも面白くない!
文句を言わなければ気が済まない中で、周りの声が聞こえてきた。
……誰かに見られたかもしれない?
そう思った途端、僕はその場から逃げ出した。
今日だけ。
今日だけは、髪色もちゃんとすればよかったって後悔した。
「あのなあ、一条、穂積。今日から冬服指定で、服装検査があるってわかってたろ? それなのに、なんでお前らの髪はそんなカラフルなんだ」
僕の隣に立つ男、一条夏夜は薄めの金色。僕は茶色寄りのオレンジ。
カラフルというほどでもないだろう。
赤とか青がいれば、わかるけど。
少し明るく感じるけど、茶髪にも見えるから、目を付けられないと思っていたのに。
「えー? 似合ってるでしょ? 女子にも評判いいんだよ?」
今もこうして飄々としている一条が、僕を巻き込んだんだ。
『穂積クンだって、黒染めしてないよ?』
それを聞いたとき、ガチで悪魔かと思った。
「それにさ、黒くしたって、どうせ明日には元に戻すんだし、見逃してよ」
一条の言葉に、先生はこれでもかというほど大きなため息をついた。
これは間違いなく、諦めたな。
「お前ら、罰として放課後、中庭掃除な」
それだけ言って、先生は別の生徒のチェックに向かった。
え、僕も?
「ごめんねー、穂積クン」
全然悪いと思ってない謝罪で、めちゃくちゃムカつく。
反応してやるものか。
僕は黙ってその場を離れる。
「あれ、無視?」
なにが面白いのか、一条は僕を追いかけてきた。
少しだけ僕よりも背の高い一条は、腰を曲げて、僕の顔を覗き込んできた。
長い髪が揺れて、隠れていた耳が見えた。
あ、フープピアス。気付かれなかったのか。
ピアスも怒られるだろうからって、僕はお気に入りのやつすら外して来たのに。
そう思うとよりムカついて、僕は一条を置いて、教室に入った。
席に着いて、僕はうつ伏せになる。
あれと、二人で、掃除? ありえない。
だいたい、僕は見逃されていたはずなんだ。
……サボろうかな。うん、サボろう。全部、アイツが一人でやればいいんだ。
なんて思ってたのに。
「穂積クン、中庭行こ」
帰り支度の途中、奴は僕のクラスに現れた。
教室の窓際から廊下までの距離があっても、一条の金髪は目立つ。
いや、髪だけじゃない。
その顔立ちも存在感がある。
そんな一条が僕の名前を呼んだせいで、クラス中の女子が僕を睨んだ。
こんなの、不本意だ。
「夏夜、遊びに行こうよ」
派手めな女子が、僕との予定なんて許さないと言わんばかりに、一条に絡んだ。
「ごめんね、穂積クンとの約束が先だから」
一条は女子の腕から抜け、僕の元に来た。
しまった、逃げておけばよかった。
「行こ?」
この、断るのは許さないというような笑み、嫌いだ。
僕は渋々立ち上がり、中庭に移動した。
掃除をしろとは言われたけど、草むしりでもしろと言うのか。めんどくさい。
軍手も何もない中で、やりたくない。
「はい、穂積クン」
どうやってサボるか考えていたら、一条に箒を渡された。
どこから持ってきた?
「これで葉っぱ集めて終わりだよ。さっさとやって、帰ろ」
随分と慣れている。
こういった罰を受けるのは、初めてじゃないってことか。
まあ、思っていたより楽そうだし、少しくらい付き合ってやってもいい。
僕は壁際にリュックを置き、掃除を始めた。
「ナツくん、何してるのー?」
「そーじだよ、マジメでしょー?」
一条が校舎に残った女子たちと会話しているのを聞き流しながら、ただ終わらせることだけを考えて、手を動かした。
すると、シャッターの音が聞こえた。
顔を上げると、一条が僕にスマホを向けている。
「穂積クン、箒と身長一緒だね」
……なるほど、喧嘩を売っているんだな?
「帰る」
僕は箒を一条に押し付け、リュックを取りに、身体の向きを変える。
「待って待って、ごめん」
一条は慌てた様子で僕の腕を掴んだ。
一人で掃除が嫌なら、からかうなよ。
僕が箒を取り返して掃除を再開しようとしてるのに、一条は手を離さない。
「……離せよ」
一条の手から抜け出そうにも、力が強くて敵わない。
じっと見られるのも、嫌なんだけど。
「穂積クン、耳開けてるんだね」
やっと解放されたと思ったら、一条の指先が僕の耳に触れた。
「うぁっ」
もうすぐ夏だというのに、一条の手が思っていたよりも冷たくて、僕は必要以上に驚いてしまった。
てか、今の声なに。女子みたいな高い声。
これは一条にからかわれる。
そう思ったのに、一条は反応を示さない。そのせいで、じわじわと恥ずかしさで体温が上がっていく。
いや、無反応ではないのか。僕には、ギラついた目が向けられている。
僕の本能が、逃げろと言っている気がした。
「……帰る!」
今度こそ一条に箒を押し付けて、僕は逃げ出した。
最悪だ、アイツに触れられた感覚が、まだ残ってる。
少し骨ばってて、冷たくて。獲物を見つけた獣のような鋭い目も、頭から離れない。
あのまま逃げなかったら、どうなってたんだろう。
……いや、違う。
違う、違う、違う。
断じて、意識なんてしてない!
叫びたい気持ちを抑えながら、僕はただただ走った。
◇
翌朝、身支度を整える手が止まった。
あとはピアスを付けるだけなのに。
思い出してしまうのは、昨日の一条とのやり取り。
……今日は、ピアスなしで行こう。
お気に入りの黒いピアスがなくてテンション上がらないけど、仕方ない。
「おはよう、香。昨日は災難だったね」
登校中、幼なじみの蒼汰と出くわした。
「本当だよ。いつもなら、注意されないのにさ」
僕が大きくため息を吐き出すと、蒼汰は苦笑いを返した。
「いつもはパーカーとか着てるのに、注意されないの、本当不思議だよね」
「そのときだけちゃんとしてればいいって、去年、先輩を見て学んだから」
それにしても、クラスの違う蒼汰も知っていたなんて、やっぱりアイツは目立つ奴なんだな。
だからこそ、関わりたくない気持ちもあったっていうのに。
「あれ、香、ピアスは?」
僕の髪は耳を隠してくれるほど長くないから、ピアスの有無は一目見ればわかる。
昨日の出来事を知らない蒼汰は、不思議そうに僕の耳を見ている。
「あー……寝坊して」
なんて苦しい言い訳だろう。
僕が寝坊することなんて滅多にないし、したとしても、お気に入りのピアスの存在を忘れるなんてありえない。
それは、蒼汰も知っている。
でもじゃあ、なんて言えばいいんだよ。
一条に触られたのを思い出して仕方ないから、ピアスできなかった、なんて言えるかよ。
「……あ」
すると、蒼汰が僕の後ろを見て呟いた。
なにを見つけたのだろうと振り向くと、そこには女子に囲まれた一条がいる。
その胡散臭い笑顔で何人を泣かせてきたんだか。
それを見ていると面白くなくなって、僕は気付かなかったことにした。
「そうだ、香、今日の放課後、暇?」
僕がなにも言わないで歩き始めたのを、蒼汰は追いかけて来た。
一条のことに触れないのは、僕が関わりたくないと思っているのを察したからだろうか。
いや、そんなことを言った覚えはない。
じゃあ、どうでもいいというところだろうか。
それならそれでいいか。
「暇だけど」
「じゃあ、うちでゲームしようよ。新しいやつ、昨日買ってもらったんだよね」
それを聞くと、一条のことなんて頭から消え去った。
「わかった。じゃあ、また放課後」
そして僕たちはそれぞれの教室に向かった。
◇
ホームルームが終わり、チャイムが鳴る。
放課後になり、僕のテンションは上がっていた。
やっとゲームの時間だ。コンビニでお菓子でも買っていこうか。
その前に、蒼汰と連絡を取らないと。
「あ! 穂積クン、カラオケ行こー」
そんなことを思いながら帰り支度をしていると、廊下から奴の声が聞こえてきた。
……デジャブ?
でも、昨日と違って、一条は数人の女子を連れている。
その中に、僕も入れと?
冗談じゃない。
僕は一条の声が聞こえなかったふりをして、後ろのドアから教室を出る。
「あ、気分じゃない? ゲーセンは?」
僕は無視をしたはずなのに、一条は追いかけてきた。
なんて鬱陶しいんだ。
「今日は予定が」
文句の一つでも言ってやろうかと思ったそのとき、僕の言葉に被さるように、お腹が空腹を知らせた。
すぐ近くにいる一条には聞こえたようで、一条はニヤリと笑う。
「ご飯、食べに行こっか」
「ちょっと夏夜、私たちとの約束は?」
「ごめんね、また今度!」
女子の不平不満をさらっと流し、一条は僕の手首を引っ張って歩き始めた。
僕、一言も行くなんて言ってないのに。
というか、今日は蒼汰とゲームしようって約束だったのに。
離せ、と言う前に、ちょうど昇降口に来たばかりの蒼汰と目が合った。
蒼汰はなにかを察したように、僕に手を振っている。
僕も蒼汰の立場だったらそうしただろうけど、助ける素振りを見せるくらいはしてほしかった。
ああもう、最悪だ。僕の癒しの時間が潰されてしまった。
大人しく捕まってやる義理はもちろんないけど、抵抗するのも面倒だ。
逃げたって、捕まるがオチだろうし。
それにしても、足の長さによる違いで、僕は若干早足になってしまう。
……本当に鼻につく奴だな。
「穂積クン、なに食べたい?」
「帰りたい」
「俺はね、ラーメンかな」
聞けよ。
そして僕は中華そば屋に連れてこられた。
美味しいと話題になっているけれど、一人で入る勇気が出なくて、来たことがない場所だ。
対して、一条は来たことがあるのか、慣れたように発券機で食券を買い始める。
「穂積クンは並? あ、小?」
バカにされていることはわかった。
「並だけど、自分で買う」
「いいよ、遠慮しないで」
一条はボタンを押し、またさらにお金を入れる。
「昨日、巻き込んだお詫び」
なんだそれ。巻き込んだ自覚があったなんて、タチの悪い奴だな。
でも、そういうことならお言葉に甘えよう。
そして一条が店員に券を渡すと、僕たちは空いている席に移動した。
一条が座ったのは、四人掛けテーブル。
隣に座らないのは当然として、どこに座ろうか。
目の前はなんだか気まずいけど、同じテーブルにいながら、斜めに座るのも変な気がする。
「穂積クン、座らないの?」
そう言われて僕が座ったのは、一条の前の席。
女子が騒ぐ顔面が目の前にあるのは、やっぱり落ち着かない。
一つ隣に座ろう。
そう思ったとき、ちょうどラーメンが届いた。
今の場所に置かれてしまうと、移動しにくい。
仕方ない、ここで食べるか。
「いただきまーす」
一条は割りばしを手に、そう言った。
なんでコイツと顔を合わせてラーメンを食べないといけないんだ。
どうにも納得いかないけれど、ラーメンには罪はない。
「……いただきます」
話題になるだけあって、ここのラーメンはすごく美味しかった。
すると、目の前から小さな笑い声が聞こえてきた。
「……なに」
「穂積クンって、一匹猫って感じだよね」
一匹狼じゃなくて、猫。
聞かずともわかる。
バカにしてるんだろ。
ああ、来なければよかった。
せっかくのラーメンが台無しじゃないか。
僕が睨んでいるのに、一条は気にせず食べ進めている。
ふと、一条が髪を左耳にかけた。
僕は今日、一条のせいでピアスを付けられなかったのに、一条は昨日と同じピアスをつけている。
「ん? 食べないの?」
僕の視線に気付いたのか、一条が顔を上げた。
目の前にいるから、当然のように目が合う。
ピアスとはいえ、じっと見ていたことに違いはなくて。
僕は勝手に気まずく感じて、黙ってラーメンを食べ進めた。
「そんな慌てなくてもいいのに」
またバカにしているのか、と抗議しようと一条を見たら、信じられないくらい柔らかい目をしていて、思わず視線を逸らした。
なんとなく、あの目と視線を交えると、なにかが終わる気がする。
だから、僕は一条のほうを見ることが出来なかった。
ときどき一条の視線を感じながら、僕はラーメンを食べ終えた。
「ねぎ、付いてるよ」
どこ?と聞く前に、一条の手が僕の唇の端に触れた。
相変わらず、一条の指先はひんやりとしている。
「うん、取れた」
一条は満足そうだけど。
最悪だ。忘れていた感触が、鮮明に思い出される。
また、一条の顔が見れない。
「ね、穂積クン。ピアス見に行かない?」
「行かない!」
このまま一条といたら、なんか、よくわかんなくなりそうで怖くて。
だから、一刻も早く帰りたいのに。
「まあまあ。穂積クン、フープピアスが気になってるんでしょ?」
一条は逃がすものかと席を立った僕の手を握った。
そしてそのまま店を出る。
まさか、気付かれていたなんて。
それも恥ずかしかったけど、一条に手を握られていることのほうが恥ずかしさで死にそうだ。
人目がある場所では、一条はますます目立つから、本当にやめてほしい。
特に、女子の目。
一条が手を引く相手が女子じゃないかと、睨むような視線が僕に向く。
ああもう、居心地が悪すぎる。
「一条、手、離して」
すると、一条は立ち止まった。
意外と僕の声を聞いてくれるらしい。
振り向いた一条は、驚いているように見える。
「な、なに」
「俺の名前、知ってたんだ」
それはまあ、これだけ目立っていれば、嫌でも知るだろう。
知りたくて知ったわけではないのに、一条が機嫌がいいように見えるから、否定するのはなんだか気が引けた。
「ね、穂積クンの下の名前って、コウって読むの?」
「……香だけど」
「カオルね」
なんだか悪巧みをしているように見えて、言わなきゃよかったと後悔した。
「香くんって呼んでいい?」
「嫌だ」
断ってやると決めていたから、間髪入れずに言うと、一条はわかりやすく落ち込んだ。
その顔はやめてくれ、僕が悪いことをしたみたいに感じるだろ。
「そっかあ。あ、俺のことは好きに呼んでいいからね」
“一条”以外になんて呼べと?
「夏夜でも、ナツくんでも、なっちゃんでも、なんでもいいよ」
「……一条で」
「意地っ張りだなあ」
どこがだよ。
それにしても一条は楽しそうで、なにがそんなに面白いのか、やっぱりわからない。
不思議な奴だと思っていると、僕を睨んでくる女子と目が合った。
なにをそんなに睨んでいるんだと思ったら、まだ一条に手を引かれていることを思い出した。
まだ離してなかったのか。
「一条、逃げないから、いい加減離して」
改めて言うと、一条は少し周りを見渡した。
名残惜しそうに手を離すと、僕に顔を近付ける。
シャンプーの匂いなのか、柔軟剤なのか、それとも香水なのか。どれかわからないけど、一条の香りが鼻をくすぐる。
なんでこんなに完璧なんだよって、嫌になるくらいいい匂いがした。
「誤解されちゃうもんね」
一条は耳元で囁く。
少しだけ一条の息がかかって、くすぐったかった。
耳が弱いってわかっての仕打ちか? 性格の悪い奴め。
でも、文句を言うよりも、とにかく離れるのが先だ。
すると、僕が困惑しているのが面白かったのか、一条は笑っているのに気付いた。
その楽しそうな顔、気に入らない。
「……男同士で誤解とか、ないだろ」
「えー? 俺は穂積クンとなら、勘違いされてもいいけどね」
一条の表情からは、それが本気なのか冗談なのか、読み取れない。
でも僕は、冗談であってほしい。
いや、絶対冗談だろう。
だって、ずっと一条は僕のことをからかっているじゃないか。
なにがそんなに一条にはまったのか知らないけど、はやく飽きてほしい。
「あれ、響いてない?」
響いてたまるか。
女子じゃあるまいし。
「穂積クン、こっち」
目的地を知らずに先を歩こうとしたことが間違いだった。
振り向くと、一条が立ち止まっている。
「ここは?」
喫茶店と言われても違和感がないくらい、オシャレな外観。
そんなに遠い場所じゃないところでの知らない店で、なんだか興味がそそられる。
「俺がよく来る雑貨屋さんだよ。結構いいものが揃ってるんだよね」
一条は言いながら、ドアを開けた。
知らない世界に誘われているような、不思議な気分だ。
緊張気味に足を踏み入れると、一気に店内の雰囲気に呑まれた。
なんだ、ここ。本当に異空間に迷い込んだみたいな感じ。
キーホルダーもアクセもいっぱいあって、ずっとここにいたくなる。
なにから見ようか。
やっぱり、ピアスかな。
一条がよく来るって言ってたし、かっこいいピアスが揃っていそう。
ちょっとしたアクセントになりそうなものから、がっつりと目立つものまで、どれもかっこいい。
でもやっぱり、目を引くのはフープピアスだ。
少し太めのもの、軽そうなもの、チェーンのようなものがついたもの。
どれがいいか、迷ってしまう。
「あ、それ穂積クンに似合いそう」
僕が黒いフープピアスに手を伸ばしたとき、一条が言った。
そういえば、いたな。
僕が手にするよりも先に、一条がそのピアスを取った。
そして、僕の耳元に当てる。
「うん、すごく似合ってる」
からかうわけでもない、むず痒さで目を背けたくなる笑顔。
なんで、そんな顔を僕に向けるんだ。
だけど、一条に似合うと言われて悪い気はしなくて、僕はそのピアスがよりよく見えた。
あれ、いくらするんだろう。今、金欠気味なんだよな。次に来たときに買えるように、知っておきたいんだけど。
「そうだ、穂積クン。俺の選んでよ」
金額を調べようとピアスコーナーを見ていたら、そんなことを言われた。
また悪いことを考えていそうな顔。
「え、なんで……」
「選んでほしいから?」
誰か、このわがままな男をなんとかしてくれないか。自分が言えば、全部叶うとか思ってるんじゃないだろうな。
でも、僕がなにを言ったって聞かないことは学んだ。
僕は抵抗することも面倒になって、仕方なく一条に似合いそうなピアスを探す。
といっても、探すフリだ。
僕がアイツのピアスを探してやる義理なんてないんだから。
……あ、このシルバーの羽根が付いたピアス、かっこいいな。
「見つかった?」
僕がほんの一瞬立ち止まったのを、一条は見逃さなかったらしい。
一条はピアスを取ると、自分の左耳に合わせた。
「どう? 似合う?」
悔しいことに、それは一条によく似合っていた。
「……悪くないんじゃない」
「そっか」
僕には、一条が満面の笑みを浮かべているように見えた。
僕が選んだことが、そんなに嬉しいのか?
理解しようとは思っていないけど、一条がよくわからない。
「じゃあ、買ってくるね」
そして一条はそのままレジに向かった。
……あれ? さっきの、黒いピアスは?
商品棚を見ても、見当たらない。
もしかしてと思って一条を追うと、僕が気に入ったピアスを、一条が買っている。
「なんで」
「え? だって、穂積クンに似合ってたから」
そんな理由で人にピアス買うとか、意味わかんない。
「合計で六千円になります」
「一条、待って、本当にダメだって」
金額にビビッて止めるのに、一条は財布を開いて支払ってしまった。
「黒いやつは付けていきます」
僕のことなんて無視して、店員と会話を続ける。
「はい、穂積クン」
昨日の箒と同じテンション感で渡されるピアス。
こんなの、軽い気持ちで受け取れるかよ。
「あ、俺が付けてもいい?」
受け取るのを躊躇っていたら、一条がにやりと笑った。
一条が? 僕にピアスを付ける?
「い、嫌だ!」
ちょっと触れるだけでは済まないことは、嫌でもわかる。
だから、このわがままだけは聞くわけにはいかない。
「そんな遠慮しなくても」
一条は全力否定した僕を笑いながら、レジを離れる。置いていかれてしまい、僕は一条を追って店を出た。
「そうじゃなくて、これ、受け取れない」
「穂積クンに買ったんだから、貰ってよ」
さっきのラーメンくらいの値段だったら、受け取っただろう。
でも、桁が違うし。受け取る理由もない。
「フープピアス、デビュー記念。ね?」
ね、じゃない。
理由になってないだろ。
「俺がプレゼントしたいって買ったんだから、遠慮しなくていいんだよ」
そう言われてしまうと、これ以上嫌がるのはよくないと思ってしまう。
だから、返そうとするのはやめたけど……
やっぱり、申し訳なさすぎる。
「それ、本当に穂積クンに似合ってたし。ね、付けてみてよ」
僕が付けることで少しでもお返しになるのなら、と僕は足を止め、真新しいピアスを付けた。
そんな僕を見て、一条は満足そうに笑っている。
「うん、よく似合ってる」
一条に買ってもらったことはまだ引っかかっているけど、ずっと付けてみたいと思っていたフープピアスを、こんなにもストレートに褒められて、嬉しくないわけがない。
大人しく、受け取ろう。
また今度、お礼をすればいいだけの話だし。
「……ありがとう、一条」
すると、一条は固まった。
僕がお礼を言ったのが、そんなにおかしかっただろうか。
僕だって、お礼くらい言える。
そんなふうに思っていたら、一条が近付いてきた。
また、耳を触られる。
警戒して耳を塞いだけど、一条が触れたのは、僕の頬。
あまりにも距離が近くて、僕の身体に緊張が走る。
そうして一条の視線に捕まってしまった、そのとき。
一条は唇を重ねてきた。
ほんの一瞬の出来事。
指とは違って、暖かくて柔らかいんだ、なんて。
「固まっちゃって、可愛いね、穂積クン」
……いや、え?
なんだ、今の。なにが起きた。
一条が近付いてきて。僕の唇に。一瞬だけ。
「……はあ!?」
僕が声を荒らげたのを、一条は笑って見ている。
なにも面白くない!
文句を言わなければ気が済まない中で、周りの声が聞こえてきた。
……誰かに見られたかもしれない?
そう思った途端、僕はその場から逃げ出した。