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 正一の計画や動機についての説明が終わると、様々な視線が僕に向けられた。
「う、嘘だよね……? まさか真斗が、舞を殺した、なんて……」
 困惑の色を濃くした、春香の視線。
「どうして、二年も黙ってたの?」
 疑念の色を濃くした、透子の視線。
「なるほどね。そういや、真斗はバイト先が遠くて車を使っていたっけか」
 納得の色を濃くした、大輔の視線。
「おい、本当なのかよ、真斗。どうなんだよっ!」
 憤怒の色を濃くした、優の視線。
「正一から初めて聞いた時、私、すごく残念だった。すごく……」
 失望の色を濃くした、芽衣の視線。
「真斗、なんとか言ったらどうなの? ねえ、ねえっ!」
 憎悪の色を濃くした、正一の視線。
 左右に伸びた薄暗い廊下の中央で、僕は一身にそれらの視線と向き合っていた。
「僕は舞を……」
 どうにかそれだけを口にするも、その先は言葉が続かなかった。
 僕は、なにを言えばいいんだろうか。
 舞を殺したのか、殺していないのか。
 それは僕にだって本当のところはわからないのだ。
 警察は僕のところまで捜査に来たし、僕は訊かれたことに対して正直に答えた。それで逮捕されなかったのだから、普通に考えれば犯人ではないんだろう。
 けれど、僕の中であの日の出来事が引っかかっているのも事実だった。
「殺したかどうかは……わからないんだ」
 ようやく言葉を絞り出す。そして僕の回答を待っていたみんなの口から出たのは――疑惑の声だった。
「ふざけんな! わからないって、どういうことだっ!?」
「そのままの意味だよ。僕は……確かにあの日、なにかとぶつかった。でもそれが、舞なのか、動物なのか、ただの物だったのか、わからないんだ……」
「そんな曖昧な……」
「でも、その後に舞の遺体が近くで見つかったんだよね」
「だったら間違いないんじゃねーのか!」
「俺が言えたたちじゃないんだけどな、真斗。まさかお前、嘘ついてないよな?」
「う、嘘……?」
「そうだ。自分の罪を免れるために嘘を吐くことはよくある話だからな。あるいは、自分は舞を轢いていないと思い込もうとしているとかな」
 全員の視線が、僕を射抜く。射殺そうとしているほどに、それらは黒い感情に満ちていた。
「嘘なんて、言ってない……」
「ボクは信じられないな。いろいろと細工をして警察の目は上手く誤魔化したのかもしれないけれど、いい加減白状したらどうなの?」
「真斗、ほんとのことを言ってよ……ウチらは、真実が知りたい」
 本当のことを言って。
 その言葉が指すのは、いったいなんだろうか。
 僕はさっきからずっと本当のことしか言っていないのに。
 もしかすると、僕の口から「舞を殺した」という言葉を引き出したいだけなのか。
 それでみんなはやっぱりそうだったと納得して、罵倒して、あのメールに書いてあった通りに僕に罪を償えと迫ってきて、それで自分は助かろうと、そう思っているのか。
「僕は、嘘は、言って……」
「ちゃんと言えよ! 真斗っ!」
 どうにか口から出せた声は、優の恫喝に遮られた。
 直情的な優の様子に、いつもなら止めに入る春香も大輔も動かない。
 ということは、同じような思いでいるということなのか。
 なんだ、それ。
 みんなだって、舞の人生を狂わせてきたんじゃないのか。
 いったい、どの口が言っているんだ。
 過去に舞をいじめて、自殺寸前にまで追い込んだ春香が、困惑している? 意図的に追い詰め、死を覚悟させるほどの傷を負わせることのほうが、第三者からすれば困惑の対象だろうに。
 春香を止めるでもなくいじめに加担し、自分は取り巻きのひとりとして実行に走った透子が、疑念を抱いている? だったらどうして春香の行動に疑念を抱かなかったんだ? 自分の行動に疑念を抱かなかったんだ? 一番止めやすかったのは、春香の近くにいた透子のほうじゃないのか? 盲目的に春香を信じるなんて、友達としてどうかしているんじゃないのか?
 少年詐欺グループの一員として詐欺計画を立て、舞の家族を破壊した大輔が、納得している? どうせ、「誰が事故を起こした可能性が高いか?」という事実をただ客観視しているだけのくせに。そこには一切の感情がなく、冷徹で、冷酷で、大輔そのものの人柄を真に表している。きっと今も、舞の家族を追い詰めて滅茶苦茶にしたことに罪の意識ひとつ持っていないんだろうな。
 自分の欲のために好意を向けてくれる人の気持ちを踏みにじってきた優が、怒っている? 怒る資格なんてないだろうが。相手が傷つくことをわかっていながら自己中心的な考えでそれ優先してきた人間がなにを言っている。舞の気持ちを考えずに、一方的に迫って勝手に冷めただけだろうが。舞がどれほど傷ついたのか、考えたことがあるのか。
 自分の性格を盾にしていじめの傍観者に徹し、自分は悪くないとばかりに周囲の同情を買った芽衣が、失望している? 舞がどれほど芽衣に失望したか、絶望したか、わかっているのか? それほどのことをした芽衣と、ゼミでは仲良くしていた彼女の気持ちを、考えたことがあるのか?
 舞に憧れ、勝手な正義感と周囲への劣等感からこんな事件を引き起こした正一が、憎んでいる? 舞の遺体が焼死体で見つかった謎は棚に上げて、自分が見たことだけを都合よく解釈して、一方的な恨みを募らせているだけだろうが。それに、どこまでも自分が正しいと信じて疑ってないみたいだが、これから恨みや憎しみを買うのは自分だ。しかも自分の憧れの人を餌にして、劣等感を慰めるという自分の欲望を叶えようとしていることに気がついていないのか? 憎まれる筋合いなんて、ないだろうが。
 僕の中でも、確かな感情が湧き上がってきていた。みんなと同じくらいの怒りや憎しみ、その他諸々の激情が浮かんで、湧き上がって、広がって、覆い尽くしていって、そして、ふっと消えた。
「そう、だね……」
 僕はようやく、言葉を口にした。
 多くの感情が駆け巡った最後に僕の心にあったのは、自分自身への罪悪感だった。
 結局のところ、舞を殺してしまった可能性を僕は否定できない。舞が交通事故に巻き込まれて死んだはずの時刻に、同じ場所で僕がなにかと接触してしまった事実は、間接的にどこまでも残酷な現実を突き付けている。
 しかも、僕は僅かな靄のような曖昧さに縋って、警察から逮捕されなかったということを盾にして、二年間もその事実を隠してきた。あろうことか、舞の束縛や嫉妬に疲れていたことも事実で、そんな鎖から解放された気持ちがあったこともまた事実だった。そんな自分に、僕はとことん嫌気が差した。
 僕は、償いをしなければならない。
 そして今、その機会が用意されている。
 しかも、まったく関係のない第三者からの審判に寄ったものではなく、自分自身で考えた方法で償うことができる。
 僕自身が一番納得のいく方法で、舞の死と向き合うことができるのだ。
「僕が行くよ。懺悔の部屋に」
 その時、広間に電子音が響いた。
 もはや聞き慣れてしまった、メールの受信を知らせる通知音だ。
 正一は僕を一瞥すると、無言でパソコンに歩み寄り、メールを開封して中身を読み上げた。

『遠山真斗は、”罪人”。
 今からおよそ二年前。大学近くの坂道で、人を轢いて逃げた。
 その事実をひた隠しにし、今は何気ない顔で日常生活を過ごしている。』

 僕は最後まで聞いてから広間を出た。
 全員の沈黙が、僕を見送った。
 扉を閉めるまで、ただの一言も声をかけてはくれなかった。