カタン、と立ち上がる時と同じように椅子を引いてその場に腰を下ろす美都。彼女はもう、善樹の方を見ていなかった。何もない虚空に視線を彷徨わせ、恍惚感に浸っているような気さえした。

「ありがとうございます。これで全員の発表が終了しましたね。お疲れ様でした」

 残り「十秒」を示していたタイマーを止めた今田が、労いの言葉をかけてくる。善樹はふうと大きく息を吐き、乱れた呼吸を整えた。美都はいまだに、誰とも目を合わせようとしない。

「発表が終わりましたので、最後にフィードバックをします。まずは昨日の議論から。みなさん、最初に論点を整理して自分史から何かヒントを見つけようとしていたところはさすがです。メンバーの人となりが分かっていないと、犯罪者だと指摘するのは難しいですからね。まあ、他のグループでも同じようなことをしていたと思いますが、根拠を探すのは重要なことです。そして実際の議論では、自分史に書かれていたことを土台にしながらも、もともと知り合いだった方たちがぶつかって議論を展開していましたね。特に林田くん、きみの変容には驚きましたが、他人の本性を暴いていくあの感じ、私は嫌いじゃない(・・・・・・・・)ですよ」

「はあ。ありがとうございます」

 宗太郎が間の抜けたような声を上げる。
 私は嫌いじゃない。
 今田が私情を挟んでいるのを聞いて、善樹は驚いた。フィードバックで彼自身の気持ちを聞くことになるとは思っていなかったからだ。

「坂梨さんは、最後まで淡々と論理的に考えようとしていましたね。その姿勢はお見事です。発表もすっきりまとまっていました。欲を言えば、議論中ももっと誰かの言動につっこんだり、暴いたりしてみても良かったかもしれません。天海くんはグループのまとめ役として、大変重要な役割を担ってくれました。高学歴の皆さんの中でやりにくかったと思いますが、立派ですよ」

「……」

 少しばかり嫌味を含んだような今田の物言いに、開はムッとした様子で口を閉じていた。「それから一条くん。この中で最も知り合いが多かったきみは、自分史以外のところで相当いろんなことが明るみにされましたね。……いかがでしたか、自分の本性を暴かれていくのは。きみは丁寧に自分史を書いていたし、誰かを不快にさせるような言動はしませんでした。その代わり、叩かれる側に回ることも多く苦しかったと思いますが、きっとその経験が、今後の人生に活きてきます。特に、我々のような会社ではね(・・・・・・・・・・・)

「そうですか」

 最後の台詞のところで今田がニヤリと口の端を持ち上げたのが気になった。今田が何を考えているのか、善樹には分からない。気味の悪ささえ感じていた。

「最後に長良さん。素晴らしい発表でした。まさか、きみのような大人しい性格の人が、最後の最後でちゃぶ台をひっくり返すような発表をしたんですから。誰も、きみが一条くんのことを指摘するとは思っていなかったでしょう。いやいや、聞き応えのある発表でした。一条くんのことを疑っているきみの話を聞きながら、背筋がゾクゾクしましたよ。お疲れ様です」

「ありがとう、ございます」

 美都に対して何も言うことはないというふうにベタ褒めした今田はパチパチ、と二度ほど大きな拍手を送った。美都はやっぱり感情のこもらない瞳で彼の話を受け止めている様子だった。一体どうしたんだろう。本人に聞いてみたいけれど、さっきの美都の発表を聞いた後に、彼女に真意を尋ねる勇気はなかった。

「以上でフィードバックを終わります。これにて、当社RESTARTのインターンシップ全課程を終了します。皆さん、お疲れ様でした。結果については、後日優勝者にメールをお送りします。メールが来た方は、特別選考に進むことができます。結果を楽しみにしていてください。それではここで解散となります」

 普段の事務的な口調に戻った今田が、淡々と終了の合図をした。
 彼が部屋から出ていくと同時に、善樹たちは一斉に「ふーっ」と息を吐いた。

「お疲れ、みんな」

「お疲れ様です」

 犯罪者だと指摘し合った仲なので、インターンの終わりにワッと盛り上がることはできなかった。それぞれに思うところがあるのだろう。善樹たちは互いに「お疲れ様」以外の言葉をかけることができないまま、その場を後にした。
「はあ〜やっと終わったな。疲れまくったぜ」

『温泉旅館はまや』の門をくぐり、二日前に歩いた道を辿って駅まで進んでいる最中、ずっとなりを潜めていた風磨がようやく声をかけてきた。

「疲れまくったって、風磨は何もしてないだろ」

「いやいや、頑張る兄貴を見守るのも立派な仕事なんだぜ。途中ずっとヒヤヒヤさせられたし」

「ヒヤヒヤってなんだよ。そんなに失言したかなあ」

「失言とかじゃなくてほら、偽善者だって宗太郎に詰められたところとか、最後に美都から犯罪者だって指摘された時とか」

「ああ……まあ、あれはね」

 風磨に心を見透かされたようで、善樹は返す言葉がなかった。実際、善樹自身、このインターンで自分の本性を暴かれて、人生を見直すきっかけになった。だがそれにしても、最後に美都に犯罪者だと指摘されたのは本当に堪えた。彼女は自分のことを、まだ好きなんじゃないかって自惚れていたんだ。発表前夜、彼女は善樹に「まだチャンスはあるってことかな」と言っていた。あの発言が本心だったのか、自分のことを惑わすためだったのか分からない。

 どちらにせよ、善樹はもう、美都と関わることはない。
 心のどこかでほっとしながらも、少し後味の悪さを覚えていた。

「俺はもう、二度とあの会社のインターンには関わらないよ。兄貴もそうしな」

「いや……そういうわけにはいかないって」

 まだ今回のインターンの結果は出ていないんだし、善樹は最終的にRESTARTに就職することを目標としている。それに——。
 思考を続けていたところで、今日乗る予定の電車の出発時刻が近づいていることに気がついた。善樹はダッシュで改札まで向かう。風磨に「ちょっと待てって〜」と怒られながら、頭の中は電車に乗ることでいっぱいになっていた。
 こうして善樹の夏は、車窓の外を流れゆく田舎の風景と共に、過ぎ去っていった。