「私がこの中で犯罪者だと思うのは……一条くんです」

 一瞬、時が止まったような静寂に、その場が包まれた。
 ……いや、違う。止まっているのは善樹の周りの空気だけ。開や友里、宗太郎は平然と彼女の主張を受け止めている様子だ。
 美都が自分のことを犯罪者だと指摘した——信じられない事実に、善樹の心臓が暴れ出す。

「根拠は、そうですね……私も、林田くんと同じように、実体験に基づくところが大きいです。この場を借りて、彼と私自身について少し話させてください。

 私の家庭は、私が物心ついた時からいわゆる貧乏でした。父親はいたって普通の会社員で、母親はパートで働いていました。家にお金がないので、私は習い事も塾も行ったことがありません。でも、それ自体はあまり残念に思ってはいなくて、逆に自分の力で自分の道を切り拓こうと必死に生きてきました。絵を描くのが好きで美大を目指そうと思ったことは自分史にも記載している通りです。でも辞めました。絵を仕事にして生きられる人はほんのごく僅かですし、それなら勉強を頑張って少しでも良い大学に入ろう——すごくありふれた考えですけれど、家が貧困なこともあり、私にはそれが一番合っているような気がしました。

 なんとか独学で勉強を頑張って、東帝大学に入れたんです。合格した時は本当に夢のようでした。大学でもたくさん勉強をして、名の知れた会社に入ろう——そして、家族が生活に困らないようにしたいというのが、私の夢でした。同時にイラストを仕事にしたいという気持ちも捨て切れず、ちょこちょこと仕事も受けています。将来は両立しようと思っているのですが、すみません、話が脱線してしまいました。

 それで、無事に志望校に合格した私が一般教養の授業の際に出会ったのが、一条くんでした。
 一条くんは、どの授業でもとても真面目に教授の話を聞いてノートをとっていました。私が授業中に聞き漏らした箇所は、後で丁寧に教えてくれたりもして。すごく優しい人だなと思いました。

 一年生の夏、ようやく大学生活にも慣れてきた頃、私は一条くんにアルバイトの相談をしました。仕送りはほとんどなかったので、なんとか自分で稼がないといけないと思っていたんです。私にはどんな職業が合っているのか……相談するうちに、一条くんは『僕に任せて』と言って、勝手に彼自身が働いているカフェに、私の履歴書を送ってしまったんです。私は焦りました。まだ私はカフェで働くことに同意していなくて、正直接客業は向いていないと思っていたので。でも彼は私がお金に困っていることを知っていたので、正義感から、そうしてくれたんだと思います」

 ドクン、ドクン、と心臓の音がやけに大きく響いて聞こえる。
 美都の履歴書を送った時のことを、思い出していた。
 あの時彼女は今すぐにでもアルバイトを始めたいという必死な感じで、善樹に相談をもちかけてきた。確かに「自分にはどんな職業が合うと思うか」を頻りに聞かれた気がする。でも善樹は、そんな彼女の迷いにもお構いなく、自分の働いているところなら彼女も心強いだろうと、勝手に思い込んで履歴書を送ってしまった——。

「……初めての接客は、それはとても大変で、私は日々店長に叱られて凹んでいました。そんな中でも、一条くんは私のことを気にかけてくれて、何度もアドバイスをしてくれました。その点は本当に感謝しています。おかげで苦手な接客にも慣れて、仕事自体はなんなくこなせるようになりました。でも」

 そこで美都は一度言葉を切る。まっすぐな瞳を少しだけ細めて、善樹を見つめた。その目が善樹のことを責めているのだと感じて、思わず身震いした。

「アルバイトを始めて、一年経った頃でしょうか。私はある日、アルバイトが終わる時間帯に店長に呼び出されました。店長から単刀直入に『この仕事を辞めてほしい』と言われたんです。店長は、私に関するある話を聞いてしまったと言うんです。その話の詳細をここでお伝えするのは難しいのですが、とにかく私が他人には絶対に知られたくないと思っていたことでした。一人だけ……その秘密の話をした人物がいます。それが、一条くんでした。私は一条くんが、店長にその話をしてしまったのだと、悟りました」

 私のお父さん……この間、警察に捕まったの。
 ねえ、善樹くん、私、どうすればいいんだろう。
 
 二年生になったばかりの春に、美都が泣きそうな顔をしながら相談をしてきたのを思い出す。
 父親が警察に捕まった。
 父親の罪の内容について、彼女は話してはくれなかった。
 もしかしたら万引きのような軽犯罪だったかもしれない。
 それでも、今まで家族を大切にして生きてきた彼女にとっては、とても辛く、衝撃的な事件だった。
 善樹は彼女が泣いているのを見て、「大丈夫だよ」と慰めた。お父さんのことは警察に任せて、長良さんは自分の生活に目を向けようって。今まで通り、夢を追いかけていいんだよ——そんなことを言ったような気がする。

 でも私、このことが周りにバレたら、まともに生活できなくなるかもしれない。
 
 怯える彼女の背中をさすりながら、善樹はどうすれば美都がこれまで通り普通に過ごせるかを考えていた。

「大丈夫、僕がなんとかするから」

「本当に? 善樹くんが?」

「うん。任せて」

 彼女は善樹の言葉を聞いて、幾分か気が和らいだようにほっとしていた。
 善樹がバイト先の店長に、美都の父親のことを話し、「誰にも言わないでほしいです。もし誰かがこのことを話題にしていたら注意してほしいですし、長良さんのことは今まで通り、普通に接してください」とお願いしたのは翌日のことだった。
 店長は、「分かりました。伝えてくれてありがとう。もちろん長良さんのことを色眼鏡で見るようなことは絶対にない。他のスタッフの言動にも注意してみるよ」と答えてくれてほっとしたのを覚えている。
 でも……まさか。
 そのことが発端で、美都は退職に追い込まれたのか……?

「一条くんが、店長に私の相談内容を話したのは、きっと私が今後も気持ちよくアルバイトをできるようにと思ってくれてのことでしょう。悪気はなかったと思います。むしろ、彼の正義感がそうさせたんだと知っています。でも私にとってはその善意が……とてつもない悪意に感じられてしまいました」

 美都の表情がぐにゃりと歪む。今にも泣き出しそうな勢いで、善樹を見つめていた。
 心臓に細かな棘が刺さったみたいに痛い。自分が最善と思ってやったことで、彼女をも苦しめていた。初めて知った事実に、もう心は限界まで近づいていた。

「だから……と言うと、私が彼のことを恨んでいるから仕返しをしているように思えるかもしれませんが。私は一条くんがその正義感で他人を傷つけ、犯罪を犯してしまったと考えます。彼が犯罪をするのは、致し方ないんじゃないかって、そんなふうにも思います。長くなってすみません。私の発表は以上になります」