その後も自分史について語り合っていると、いつのまにか十八時になっていた。最初に社員の今田が設定したタイマーが鳴り響く。善樹たちは一斉に「ふう」と息を吐いた。

「それでは今日の議論はこれで終了です。次回は明日なので、今日のところは各自ゆっくり休んでください」

 一気に肩の力が抜けて、その場にへたり込む。議論に集中していて気づかなかったが、いつのまにか全身に力が入っていたようだ。

「お疲れ様でした。この後は夕食でしたね」

「はあ〜実は俺、もうお腹ぺこぺこ」

「みんなで食事会場に行きましょう」

 グループ内の空気が一気に弛緩して、善樹たちは全員で食事会場へと向かった。会場に入ると香ばしい匂いが立ち込めていて、善樹のお腹もぐうと鳴る。

「ようやく飯だ! 俺、この時のために来たんだよ」

 先ほどの議論にまったく参加せずに体力を温存していた風磨が真っ先に声を上げる。善樹は「お前は何も仕事してないだろ」とツッコミながら席についた。目の前に並んでいたのは、旅館ならではの会席料理。善樹の人生の中で、会席料理なんていう豪勢な料理を食べた経験はほとんどない。お刺身や天ぷら、国産牛の焼きものなんかに舌鼓を打って、気がつけば満腹になっていた。グループごとに席が分かれていたのだが、みんなほとんど会話もせずに目の前の食事を平らげた。どうやらお腹が空いていたのは全員同じだったらしい。

「いやあ、頭を使うと腹が減るよね」

 議論から解放された開が、お調子者の口調でそう言った。やっぱり彼は、素で明るい人だ。今日一日でよく分かった。
 でもだからこそ、自分史に書かれていたコンプレックスと、それについて尋ねた時の彼の曇り顔がずっと心に引っかかってはいる。まあ、すべて善樹の考えすぎかもしれないが。

「明日も朝からディスカッションありますし、今日はそれぞれゆっくり休みましょう」

 友里の一声でその場がお開きとなり、善樹は自分の部屋へと帰っていく。次はお風呂に入ろうと思っていたとき、帰り道で美都に声をかけられた。

「善樹くん、お疲れ様」

「ああ、お疲れ」 

 サラサラの髪の毛を靡かせて、善樹の隣に現れた美都は、大学で彼女を目にした時より大人びて見える。彼女とは主に一年生の時に仲良くしていたが、二年生に上がり、彼女が夏頃にバイトを辞めたあとはほとんど関わりがなくなっていた。自分史でも大学時代のことはほとんど書かれていないので、彼女が今どんなふうに過ごしているのか、善樹は知らない。

「あのさ、善樹くん。あのことなんだけど……」

 美都が言いにくそうに、口元をすぼめて小さな声で言う。善樹は瞬時になんの話なのか察して、「大丈夫」と答えた。

「もちろん誰にも言わないから安心して」

「……そっか。ありがとう」

 ごめん、それだけ、と言い残して彼女は去っていく。
 善樹は一年生の時に、美都との間に起こった出来事を思い出していた。
一年生の終わりごろ、善樹は美都から告白をされた。ちょうどバイト先のカフェで同時にシフトに入っていた日だ。帰り道、夜遅くなったので美都を下宿先まで送っていた時のこと。

「善樹くんのこと、好きなの」

 真っ赤な顔で俯きがちに想いを伝えてくれた美都。善樹にとってはまさに青天の霹靂で、咄嗟にどんな言葉を返したら良いか、分からなかった。
 美都のことは信頼できる友達として、バイト先でも頼れる後輩としてしか見ていなかった。そんな彼女から告白されて、おかしいくらい心臓が暴れていた。

「……ごめん。きみの気持ちには応えられない。でも、ありがとう」

 気がつけば素直な気持ちが口からこぼれ落ちていて、美都はその瞬間に両目にいっぱいの涙を溜めていた。でも、その場では涙を流さなかった。彼女なりに気を遣ってくれたのだと分かり、善樹は罪悪感が募った。

「伝えられただけでもいいの。こちらこそ、ごめんね」

 それだけ言い残して足早に去っていく美都の背中を、善樹はじっと眺めていた。 
 翌日以降も、彼女とは変わらずに友人関係を続けていたのだが、明らかに会話の回数は減っていた。そして、二年生の夏頃にバイト先のカフェを辞め、気づいたら大学でも会わなくなった。二年生になって、専門科目が増えたせいだと思う。バイトを辞めたのは、善樹にも心当たりがなく、自分と一緒に働くのが気まずかったのかもしれないと悟った。

 このインターンで美都に会ったのは、実に一年数ヶ月ぶり、といったところだ。もしかして、美都はまだ自分に好意があるのではないか——そんな妄想まで繰り広げていると、「兄貴ってほんとバカだな」と風磨に呆れられた。本当に、馬鹿だ。でも善樹は高校時代にも一人の女子に数回告白されたことがあったので、今回も同じパターンではないかと勘繰ってしまうのだ。