・まず、私は知らない人の部屋で目を覚ました。
・部屋の主はおそらく高校一年生の男子。小説を読むのが趣味(暫定)。
・誰かに連れ去られたわけではない。
「こんなところね」
今分かっていることといえば、これぐらいだ。
私はもう一度、自分が直前にしていた行動を思い返してみる。
「そうだ……私は、美瑛神社に行ったんだ」
ぼやけていた記憶に、少しだけ輪郭ができた。
確か、今日学校から帰って来たその足で、神社に向かった。理由は、体育の授業のバレーボールでヘマをして、チームに迷惑をかけてしまったことだ。
もともと運動が得意ではない上、昔から体育の授業は見学をすることが多かった。バレーボール自体、初めてやった。他のみんなは上手くレシーブやサーブをしているのに、自分だけが、上手くボールを飛ばすことができなかった。
「どんまい美雨! 次は上手くできるよ」
「気にしないで、どんどんいこう!」
「入らなくても私たちがフォローするから大丈夫だよ」
チームメイトのみんなは最初、そうやって優しく声をかけてくれた。運動ができない私は、なんとかみんなの厚意に応えようと必死にボールを打った。でも、やっぱり一度の試合の中で突如上手くなるなんていう奇跡は起きなくて。結局私たちのチームは六−三十六でボロ負けした。
すべてが自分のせいではないことくらい、さすがに理解していた。私ほどではないにしろ、バレーが苦手な子が他にもいて、得意なメンバーが私とその子の分を必死にフォローしてくれていた。結果的に全体として、上手くいかなかっただけだ。
体育の授業が終わり、お手洗いで用を済ませていると、個室の向こうから「負けちゃったね」と話す声が聞こえた。あれは、同じチームだった三枝さんの声だ。「だねえ」と同調しているのは、綾部さん。
「正直ちょっと、フォローで大変だったよね」
「うん。まあ、あの人たちが悪いわけじゃないし……」
「そうだね。だからやり場のない悔しさがあるよね」
「もうちょっと白熱した試合がしたかったのはそうかも」
「だよねー」
それだけ言うのを聞き終えると、二人の気配は遠ざかっていった。
私はそっと個室から出て、手を洗い、鏡の中の自分を見つめる。
二人とも、何気なく今日のバレーの試合の感想を口にしただけだ。
三枝さんも綾部さんもスポーツ万能で、彼女たちからしたら、今日の試合はつまらなかったんだろう。
「私も、二人みたいに運動ができたらな……」
意味のないことだと分かっているのに、鏡の前で呟く自分の瞼の裏が湿り気を帯びてきた。だめだ。こんなところで泣くな。普段の教室では、私は胸を張って堂々と授業を受けている。仲良しの友達だっている。体育の授業ひとつでウジウジするなんて、らしくないよ。
自分にそう言い聞かせてトイレから出て、教室へと戻った。
その後の授業の記憶はほとんどない。
習い始めたばかりの古典文法の知識が、一つも頭に入らなかった。小テストは十点中三点しか取れなくて、放課後に先生に職員室へ呼び出される始末。「何かあったのか」「体調でも悪いのか」とむしろ心配されて、私は首を横に振った。
「すみません。ちょっとぼうっとしていただけです」
言い訳にもならない言い訳を伝えて、私は職員室を後にした。
トイレの個室から聞いた、三枝さんと綾部さんの声が頭から離れない。
ううん、きっと彼女たちだけじゃない。
同じチームだった他の子も、相手チームだって、私みたいな運動音痴と一緒に試合をさせられて、つまらないと思っただろう。
些細なことであるはずなのに、小さな棘が胸にぷすぷすと刺さっているようだった。不器用な私は、ピンセットで上手く摘んで取ることすらできない。
気もそぞろな状態で荷物を持って学校を後にした私は、その足で学校近くの美瑛神社へと向かっていた。
美瑛神社は恋愛成就のパワースポットとして名高く、観光客が多く訪れる。地元民の私が知っていることはそれぐらいで、実際あまり足を運んだことはない。地元の神社なんて大抵そんなものだろう。
どうして今、美瑛神社に行こうと思ったのか——自分でも上手く説明をすることができない。心がそう指示したから、って言うと、メルヘンチックな乙女みたいで嫌だ。でも実際、それ以外に言いようがなかった。
赤い鳥居をくぐり、本殿の前まで歩みを進める。お賽銭を入れたところで、ふと私は何を願いたいんだろうと、自問する。
スポーツ万能になれますように?
運動音痴でもクラスのみんなから疎ましがられませんように?
心の中で唱えてみると、すごくちっぽけなお願いに思えてならなかった。スポーツ万能になれば、確かに今日みたいな惨めな思いをすることはなかったんだろうけれど、だからと言って神頼みで解決することでもない気がする。
「う〜ん……」
本殿の前まで来て願い事に迷うなんて、バカみたい。
やっぱりもう、やめてしまおうか……と踵を返して引き返そうと思った時だ。
——誰かと僕の人生を入れ替えてください。
「——え?」
どこからか、風に乗って知らない男の人の声がした。まるで私が何を祈るか迷っているのを見透かしているかのようなタイミングだった。本殿の方へとじっと目を向けてみるも、もちろん誰もいない。
「気のせい……?」
後ろを振り返ってみても、平日の夕方の時間帯に神社を訪れる人はおらず、私は一人、本殿に向き合ったまま立ち尽くしていた。
「誰かと人生を入れ替えてください、か」
どうしてその声が聞こえたのか、正直分からない。
スポーツができる人を羨ましいと思っていた私の潜在意識が、無意識のうちに語りかけていたのかも。
でも、聞こえてきた先ほどの声——いや、言葉が、私にはどうしても気になって仕方がなかった。
私も、誰かと自分の人生を入れ替えてみたい——なんて。
一度だけでいい。スポーツができる自分に。小さなことで考えすぎないでいい自分に。
なってみたい。
いつのまにか目を閉じて、強く願っていた。
「あれ!?」
すると、どういうわけか、身体がぐにゃりと強制的に曲げられてしまうような奇妙な感覚に襲われた。
「きゃあっ」
驚きのあまり、口から悲鳴が漏れる。でも周囲に人はいないため、私の異変に気づいて駆けつけてくれる人もなく。
やがて、ふわりと身体が浮いたような心地がしたかと思うと、視界が真っ白に染まっていた。
・部屋の主はおそらく高校一年生の男子。小説を読むのが趣味(暫定)。
・誰かに連れ去られたわけではない。
「こんなところね」
今分かっていることといえば、これぐらいだ。
私はもう一度、自分が直前にしていた行動を思い返してみる。
「そうだ……私は、美瑛神社に行ったんだ」
ぼやけていた記憶に、少しだけ輪郭ができた。
確か、今日学校から帰って来たその足で、神社に向かった。理由は、体育の授業のバレーボールでヘマをして、チームに迷惑をかけてしまったことだ。
もともと運動が得意ではない上、昔から体育の授業は見学をすることが多かった。バレーボール自体、初めてやった。他のみんなは上手くレシーブやサーブをしているのに、自分だけが、上手くボールを飛ばすことができなかった。
「どんまい美雨! 次は上手くできるよ」
「気にしないで、どんどんいこう!」
「入らなくても私たちがフォローするから大丈夫だよ」
チームメイトのみんなは最初、そうやって優しく声をかけてくれた。運動ができない私は、なんとかみんなの厚意に応えようと必死にボールを打った。でも、やっぱり一度の試合の中で突如上手くなるなんていう奇跡は起きなくて。結局私たちのチームは六−三十六でボロ負けした。
すべてが自分のせいではないことくらい、さすがに理解していた。私ほどではないにしろ、バレーが苦手な子が他にもいて、得意なメンバーが私とその子の分を必死にフォローしてくれていた。結果的に全体として、上手くいかなかっただけだ。
体育の授業が終わり、お手洗いで用を済ませていると、個室の向こうから「負けちゃったね」と話す声が聞こえた。あれは、同じチームだった三枝さんの声だ。「だねえ」と同調しているのは、綾部さん。
「正直ちょっと、フォローで大変だったよね」
「うん。まあ、あの人たちが悪いわけじゃないし……」
「そうだね。だからやり場のない悔しさがあるよね」
「もうちょっと白熱した試合がしたかったのはそうかも」
「だよねー」
それだけ言うのを聞き終えると、二人の気配は遠ざかっていった。
私はそっと個室から出て、手を洗い、鏡の中の自分を見つめる。
二人とも、何気なく今日のバレーの試合の感想を口にしただけだ。
三枝さんも綾部さんもスポーツ万能で、彼女たちからしたら、今日の試合はつまらなかったんだろう。
「私も、二人みたいに運動ができたらな……」
意味のないことだと分かっているのに、鏡の前で呟く自分の瞼の裏が湿り気を帯びてきた。だめだ。こんなところで泣くな。普段の教室では、私は胸を張って堂々と授業を受けている。仲良しの友達だっている。体育の授業ひとつでウジウジするなんて、らしくないよ。
自分にそう言い聞かせてトイレから出て、教室へと戻った。
その後の授業の記憶はほとんどない。
習い始めたばかりの古典文法の知識が、一つも頭に入らなかった。小テストは十点中三点しか取れなくて、放課後に先生に職員室へ呼び出される始末。「何かあったのか」「体調でも悪いのか」とむしろ心配されて、私は首を横に振った。
「すみません。ちょっとぼうっとしていただけです」
言い訳にもならない言い訳を伝えて、私は職員室を後にした。
トイレの個室から聞いた、三枝さんと綾部さんの声が頭から離れない。
ううん、きっと彼女たちだけじゃない。
同じチームだった他の子も、相手チームだって、私みたいな運動音痴と一緒に試合をさせられて、つまらないと思っただろう。
些細なことであるはずなのに、小さな棘が胸にぷすぷすと刺さっているようだった。不器用な私は、ピンセットで上手く摘んで取ることすらできない。
気もそぞろな状態で荷物を持って学校を後にした私は、その足で学校近くの美瑛神社へと向かっていた。
美瑛神社は恋愛成就のパワースポットとして名高く、観光客が多く訪れる。地元民の私が知っていることはそれぐらいで、実際あまり足を運んだことはない。地元の神社なんて大抵そんなものだろう。
どうして今、美瑛神社に行こうと思ったのか——自分でも上手く説明をすることができない。心がそう指示したから、って言うと、メルヘンチックな乙女みたいで嫌だ。でも実際、それ以外に言いようがなかった。
赤い鳥居をくぐり、本殿の前まで歩みを進める。お賽銭を入れたところで、ふと私は何を願いたいんだろうと、自問する。
スポーツ万能になれますように?
運動音痴でもクラスのみんなから疎ましがられませんように?
心の中で唱えてみると、すごくちっぽけなお願いに思えてならなかった。スポーツ万能になれば、確かに今日みたいな惨めな思いをすることはなかったんだろうけれど、だからと言って神頼みで解決することでもない気がする。
「う〜ん……」
本殿の前まで来て願い事に迷うなんて、バカみたい。
やっぱりもう、やめてしまおうか……と踵を返して引き返そうと思った時だ。
——誰かと僕の人生を入れ替えてください。
「——え?」
どこからか、風に乗って知らない男の人の声がした。まるで私が何を祈るか迷っているのを見透かしているかのようなタイミングだった。本殿の方へとじっと目を向けてみるも、もちろん誰もいない。
「気のせい……?」
後ろを振り返ってみても、平日の夕方の時間帯に神社を訪れる人はおらず、私は一人、本殿に向き合ったまま立ち尽くしていた。
「誰かと人生を入れ替えてください、か」
どうしてその声が聞こえたのか、正直分からない。
スポーツができる人を羨ましいと思っていた私の潜在意識が、無意識のうちに語りかけていたのかも。
でも、聞こえてきた先ほどの声——いや、言葉が、私にはどうしても気になって仕方がなかった。
私も、誰かと自分の人生を入れ替えてみたい——なんて。
一度だけでいい。スポーツができる自分に。小さなことで考えすぎないでいい自分に。
なってみたい。
いつのまにか目を閉じて、強く願っていた。
「あれ!?」
すると、どういうわけか、身体がぐにゃりと強制的に曲げられてしまうような奇妙な感覚に襲われた。
「きゃあっ」
驚きのあまり、口から悲鳴が漏れる。でも周囲に人はいないため、私の異変に気づいて駆けつけてくれる人もなく。
やがて、ふわりと身体が浮いたような心地がしたかと思うと、視界が真っ白に染まっていた。