「蒸しパン……手作りですか?」
「ええ。桜晴が好きだったから、お供えついでにね」
「そうなんですね。私も、大好きです」
大好き、という私の台詞に驚いていたのは私のお母さんだった。「蒸しパン、そんなに好きだったのね」と声を上げている。お母さんも昔、たまに蒸しパンを作ってくれていたのだけれど、それほど私が蒸しパンを好んでいるとは知らなかったようだ。
お店のお饅頭も、桜晴の手作りの蒸しパンもほんのりと甘く、ぽっかりと空いていた心の隙間を埋めてくれた。蒸しパンに関しては一度食べたことのある味だったので、余計心に沁みた。
「美雨ちゃん、あなたの胸の中に桜晴の心臓があるのね。もし嫌でなければ、触ってもいいかしら?」
お茶を飲み終わったあと、再びみんなで仏間の前に座って蒸しパンを供えた際に、不意に桜晴のお母さんがそう訊いてきた。
「はい。大丈夫です」
「ありがとう」
桜晴のお母さんの手が私の左胸に触れる。女性同士だから恥ずかしさはなかったけれど、触れられた瞬間、心臓がドキンと鳴った。
「今、桜晴……くんが、びっくりしたみたいです」
「え、そうなの? まあ」
母親の手の温もりを感じて、桜晴が喜んでいる。そんなふうに思えて、つい語ってしまった。
「桜晴……ここで、生きているのね。ずっと、美雨ちゃんのそばにいたのね……」
桜晴のお母さんの手に力が入り、胸を押される圧迫感を覚える。でも、嫌な感じはしない。愛する息子に対する強い想いを受け止めて、私も、桜晴の心臓も、ぎゅうううっと切ない気分に浸っている。そんな気がした。
「美雨ちゃん、桜晴の部屋に一緒に来てくれないかしら。渡したいものがあるの」
「渡したいもの?」
「ええ。こっちに来て」
桜晴のお母さんに連れられて、二階にある彼の部屋に向かう。物が少ないけれど、本棚にはびっしりと小説が並んでいる。私が最後に見た彼の部屋となんら変わりはなくて、桜晴がいなくなってからも部屋はそのままにしてあることがよく分かった。
「これね、美雨ちゃんが持っておいて欲しくて」
桜晴のお母さんは机の上の棚からすっと三冊のノートを取り出す。
『備忘録』——。
見覚えのある字で、表紙に書かれた題が目に飛び込んでくる。
これ、桜晴の小説……。
ノートの表紙は綺麗なままで、桜晴が最後に書いた小説なんだと察する。でも、私の記憶の中では桜晴はまだ一冊分も小説を書いていなかったのに、三冊も——。
「あの子、亡くなる前に必死に夜中に小説を書いていたみたい。自分がもうすぐいなくなるって分かってたみたいに。小説家になるのが夢だったらしいの。といっても、私もあの子が亡くなる直前にそのことを知ったんだけどね。それで、これが最後に桜晴が書いていた小説。私は普段本読まないし、なんだか恥ずかしくてずっと読めなかったの。だから美雨ちゃん、私の代わりに持っておいてくれない?
読まなくてもいいから、あなたに渡したくて」
「私が……? いいんですか。そんなに大切なものを、赤の他人の私がもらってしまって……」
「赤の他人じゃないわ。あなたの胸の中で、桜晴の心臓は元気に生きている。あなたはもう、私の娘も同然よ」
「お母さん……」
口をついて出た母を呼ぶ声が、私の意思なのか、桜晴の意思なのか分からない。きっとどちらの気持ちも含まれている。私にとっても桜晴のお母さんは、本当の母親と同じだ。
「ありがとうございます。大切に、預からせていただきます。きっと最後まで読んで、また感想を伝えに来ます」
私が三冊のノートを受け取ると、桜晴のお母さんはふっと目を細めて、頬を綻ばせた。
「そう、ありがとう。でも、無理しないでね」
最後まで私のことを気遣ってくれた桜晴のお母さん。
桜晴、あなたはこんなにも愛に溢れたお母さんの元で生きていたんだね。きっとこの場にいない桜晴のお父さんも、秋真も、あなたのことをずっと想っているよ。
「ええ。桜晴が好きだったから、お供えついでにね」
「そうなんですね。私も、大好きです」
大好き、という私の台詞に驚いていたのは私のお母さんだった。「蒸しパン、そんなに好きだったのね」と声を上げている。お母さんも昔、たまに蒸しパンを作ってくれていたのだけれど、それほど私が蒸しパンを好んでいるとは知らなかったようだ。
お店のお饅頭も、桜晴の手作りの蒸しパンもほんのりと甘く、ぽっかりと空いていた心の隙間を埋めてくれた。蒸しパンに関しては一度食べたことのある味だったので、余計心に沁みた。
「美雨ちゃん、あなたの胸の中に桜晴の心臓があるのね。もし嫌でなければ、触ってもいいかしら?」
お茶を飲み終わったあと、再びみんなで仏間の前に座って蒸しパンを供えた際に、不意に桜晴のお母さんがそう訊いてきた。
「はい。大丈夫です」
「ありがとう」
桜晴のお母さんの手が私の左胸に触れる。女性同士だから恥ずかしさはなかったけれど、触れられた瞬間、心臓がドキンと鳴った。
「今、桜晴……くんが、びっくりしたみたいです」
「え、そうなの? まあ」
母親の手の温もりを感じて、桜晴が喜んでいる。そんなふうに思えて、つい語ってしまった。
「桜晴……ここで、生きているのね。ずっと、美雨ちゃんのそばにいたのね……」
桜晴のお母さんの手に力が入り、胸を押される圧迫感を覚える。でも、嫌な感じはしない。愛する息子に対する強い想いを受け止めて、私も、桜晴の心臓も、ぎゅうううっと切ない気分に浸っている。そんな気がした。
「美雨ちゃん、桜晴の部屋に一緒に来てくれないかしら。渡したいものがあるの」
「渡したいもの?」
「ええ。こっちに来て」
桜晴のお母さんに連れられて、二階にある彼の部屋に向かう。物が少ないけれど、本棚にはびっしりと小説が並んでいる。私が最後に見た彼の部屋となんら変わりはなくて、桜晴がいなくなってからも部屋はそのままにしてあることがよく分かった。
「これね、美雨ちゃんが持っておいて欲しくて」
桜晴のお母さんは机の上の棚からすっと三冊のノートを取り出す。
『備忘録』——。
見覚えのある字で、表紙に書かれた題が目に飛び込んでくる。
これ、桜晴の小説……。
ノートの表紙は綺麗なままで、桜晴が最後に書いた小説なんだと察する。でも、私の記憶の中では桜晴はまだ一冊分も小説を書いていなかったのに、三冊も——。
「あの子、亡くなる前に必死に夜中に小説を書いていたみたい。自分がもうすぐいなくなるって分かってたみたいに。小説家になるのが夢だったらしいの。といっても、私もあの子が亡くなる直前にそのことを知ったんだけどね。それで、これが最後に桜晴が書いていた小説。私は普段本読まないし、なんだか恥ずかしくてずっと読めなかったの。だから美雨ちゃん、私の代わりに持っておいてくれない?
読まなくてもいいから、あなたに渡したくて」
「私が……? いいんですか。そんなに大切なものを、赤の他人の私がもらってしまって……」
「赤の他人じゃないわ。あなたの胸の中で、桜晴の心臓は元気に生きている。あなたはもう、私の娘も同然よ」
「お母さん……」
口をついて出た母を呼ぶ声が、私の意思なのか、桜晴の意思なのか分からない。きっとどちらの気持ちも含まれている。私にとっても桜晴のお母さんは、本当の母親と同じだ。
「ありがとうございます。大切に、預からせていただきます。きっと最後まで読んで、また感想を伝えに来ます」
私が三冊のノートを受け取ると、桜晴のお母さんはふっと目を細めて、頬を綻ばせた。
「そう、ありがとう。でも、無理しないでね」
最後まで私のことを気遣ってくれた桜晴のお母さん。
桜晴、あなたはこんなにも愛に溢れたお母さんの元で生きていたんだね。きっとこの場にいない桜晴のお父さんも、秋真も、あなたのことをずっと想っているよ。