その日、私は学校へ行くことができなかった。どうやって家に帰ったのかすらも覚えていない。私はただ、夜になってもちゃんと息をしている。桜晴の心臓が元気に動いている。それが、彼の迎えた結末を思い知らせてくる。私に現実を突きつける。所詮、運命は変えられない。最初から決まっていたことだ。変えられると思っていた自分が馬鹿だった。
「美雨、晩ごはん食べる?」
私が一日中部屋に閉じこもっていたことをお母さんも知っていて、遠慮がちにそう尋ねてきた。
「いらない」
食事などできる気分ではなかった。このまま何も食べなければ、私も桜晴のところへ行けるのかな。彼に会えるのかな——なんて、浅ましいことを思う。
「そう。お母さんさ、今日仕事休んだのよ」
「……え?」
突然、何を言い出すかと思いきや、お母さんは部屋の扉の向こうで話し出す。
「仕事休んで、東京に行って、帰ってきた」
「と、東京……?」
そんなの、聞いてない。
私が今朝神社から戻ってきた時にはもうお母さんは家にいなくて、てっきりいつも通り仕事に行って帰って来たのかと思っていた。
「ええ。鳴海桜晴くんの弔いにね。実はお母さん、去年も、一昨年も行ってたの。美雨には内緒にしてたんだけど」
まさか。お母さんが、毎年桜晴の命日付近に東京まで行っていたなんて、知らなかった。衝撃的な事実に、桜晴の心臓の鼓動が速くなっていく。
「内緒にしててごめんね。でも、これまで美雨に鳴海くんのことは言えてなかったし、美雨からすれば辛いだろうって思って。だから一人で行ってたんだけどね。やっぱり今日、一緒に行けばよかったかな、ってちょっと後悔したの」
「……」
お母さんは知ってるんだ。
私がどうして今日、学校に行くことができなかったのか。部屋に一人で引きこもって出られなくなっているのか。入れ替わりのことは知らなくても、私の気持ちは、お母さんにばれている。
「美雨、辛かったね……。移植が終わってから今まで、ずっと辛かったんでしょう? 誰かの命を奪ったかもしれないって思いながら生きてきたんでしょう。この間も話したけど、お母さんは美雨が生きてくれることが一番嬉しい。でも美雨が生きることに対して後ろ向きになるのは嫌なの」
お母さんの声は、沈んでいた私の胸に深く浸透していく。
辛かったね。
そうだ、私……辛かったんだ。
誰かは分からなくても、一人の命の犠牲の上に生きていることが、本当はずっと心に引っかかっていた。私が生きているのは、その人が死んでしまったからだって、思い詰めることもあった。それが今回の一件で、桜晴だと分かって。彼と関わるうちに、余計に苦しくて、苦しみから逃げようとした。桜晴の命を救って、自分の命を棄てる。そうすれば私はもう苦しまなくて済む。だけどそれも失敗してしまって、生きてる意味あるのかなって、そこまで考えてしまっていた。
「あのね、美雨。今日鳴海さんのお母さんと話をしたんだけど、お母さん、ぜひ美雨に会いたいって言っていたわ。大切な息子さんの命を引き継いだ美雨に会いたいって。もちろん、無理にとは言わないけど、もし美雨が良ければ、今度一緒に、また東京に行かない?」
「私が、東京に……?」
「ええ。どう? 美雨も鳴海くんに手を合わせてあげてほしいの。これはお母さんからのお願い」
「お母さん……」
切実な声色の母の願いが、蓋をしていたはずの心を少しずつ開いていく。
「うん、分かった。私も、東京に行く」
頭で考えるよりも先に、心で頷いていた。
向き合うのは、きっと想像以上に辛いことだろう。
けれど、桜晴は私に嘘をついてまで、私の命を尊重してくれた。突然余命宣告のようなことをされて怖かったはずなのに、抵抗することなく私に命をくれた。今も、桜晴の心臓は確かにここで生きている。
だったら私も、塞ぎ込んでいる場合じゃない。
鳴海桜晴くんに、会いに行くんだ。
そして、彼と最後のお別れをしよう。
「美雨、晩ごはん食べる?」
私が一日中部屋に閉じこもっていたことをお母さんも知っていて、遠慮がちにそう尋ねてきた。
「いらない」
食事などできる気分ではなかった。このまま何も食べなければ、私も桜晴のところへ行けるのかな。彼に会えるのかな——なんて、浅ましいことを思う。
「そう。お母さんさ、今日仕事休んだのよ」
「……え?」
突然、何を言い出すかと思いきや、お母さんは部屋の扉の向こうで話し出す。
「仕事休んで、東京に行って、帰ってきた」
「と、東京……?」
そんなの、聞いてない。
私が今朝神社から戻ってきた時にはもうお母さんは家にいなくて、てっきりいつも通り仕事に行って帰って来たのかと思っていた。
「ええ。鳴海桜晴くんの弔いにね。実はお母さん、去年も、一昨年も行ってたの。美雨には内緒にしてたんだけど」
まさか。お母さんが、毎年桜晴の命日付近に東京まで行っていたなんて、知らなかった。衝撃的な事実に、桜晴の心臓の鼓動が速くなっていく。
「内緒にしててごめんね。でも、これまで美雨に鳴海くんのことは言えてなかったし、美雨からすれば辛いだろうって思って。だから一人で行ってたんだけどね。やっぱり今日、一緒に行けばよかったかな、ってちょっと後悔したの」
「……」
お母さんは知ってるんだ。
私がどうして今日、学校に行くことができなかったのか。部屋に一人で引きこもって出られなくなっているのか。入れ替わりのことは知らなくても、私の気持ちは、お母さんにばれている。
「美雨、辛かったね……。移植が終わってから今まで、ずっと辛かったんでしょう? 誰かの命を奪ったかもしれないって思いながら生きてきたんでしょう。この間も話したけど、お母さんは美雨が生きてくれることが一番嬉しい。でも美雨が生きることに対して後ろ向きになるのは嫌なの」
お母さんの声は、沈んでいた私の胸に深く浸透していく。
辛かったね。
そうだ、私……辛かったんだ。
誰かは分からなくても、一人の命の犠牲の上に生きていることが、本当はずっと心に引っかかっていた。私が生きているのは、その人が死んでしまったからだって、思い詰めることもあった。それが今回の一件で、桜晴だと分かって。彼と関わるうちに、余計に苦しくて、苦しみから逃げようとした。桜晴の命を救って、自分の命を棄てる。そうすれば私はもう苦しまなくて済む。だけどそれも失敗してしまって、生きてる意味あるのかなって、そこまで考えてしまっていた。
「あのね、美雨。今日鳴海さんのお母さんと話をしたんだけど、お母さん、ぜひ美雨に会いたいって言っていたわ。大切な息子さんの命を引き継いだ美雨に会いたいって。もちろん、無理にとは言わないけど、もし美雨が良ければ、今度一緒に、また東京に行かない?」
「私が、東京に……?」
「ええ。どう? 美雨も鳴海くんに手を合わせてあげてほしいの。これはお母さんからのお願い」
「お母さん……」
切実な声色の母の願いが、蓋をしていたはずの心を少しずつ開いていく。
「うん、分かった。私も、東京に行く」
頭で考えるよりも先に、心で頷いていた。
向き合うのは、きっと想像以上に辛いことだろう。
けれど、桜晴は私に嘘をついてまで、私の命を尊重してくれた。突然余命宣告のようなことをされて怖かったはずなのに、抵抗することなく私に命をくれた。今も、桜晴の心臓は確かにここで生きている。
だったら私も、塞ぎ込んでいる場合じゃない。
鳴海桜晴くんに、会いに行くんだ。
そして、彼と最後のお別れをしよう。