「はあ……はあっ」

 呼吸がままならなくなるほどの衝撃に、めまいと吐き気が止まらない。
 桜晴、どうして……。
 頭の中をぐるぐると渦巻く疑問。
 一階から「早く食べないと冷めちゃうわよ」と呆れた口調で催促してくるお母さんの声。
 止まらない鼓動。
 桜晴の、心臓の音。

「……っ」

 私は、震える身体に力を込めて、部屋着姿のままノートを手に一階へと駆け降りる。

「そんなに慌てなくてもいいのに」

 突如深刻な表情をして降りてきた娘を不審に思ったのか、お母さんは驚いた様子だった。

「お母さん、ちょっと私、散歩してくるっ。すぐ戻るから……!」

「え? 散歩? 朝ごはんは? 学校は?」

「大丈夫、学校までには戻るから!」 

 言いながら、すでに玄関を飛び出していた。コートも着ずに外に飛び出して、一瞬にして身体が凍りつく。でも構わずにバスに乗り込む。目的地の近くで降りて、全力で走った。

 凍つく身体をなんとか動かしてたどり着いたのは、私の世界の「命の交差点」——美瑛神社だ。初めて桜晴と入れ替わった場所。最初に入れ変わるには、「命の交差点」で入れ替わりを願うことが必要だと桜晴が言っていた。
 砂利を踏みしめて、境内の中に入る。本殿の前で手を合わせ、強く強く願った。


 どうか桜晴と、もう一度入れ替わらせてください——!。


 一度目に、誰かと人生を入れ替えたいと願った時とは、思いの強さは段違いだった。あの時は、ふと聞こえてきた声に唆されて、同じ
ように祈っただけだった。今思えば、あの時聞こえてきた声が桜晴のものだったんだ。

「神様……お願い」

 両手を擦り合わせて、何度も何度も、同じことを祈った。だけど、当然私の身体はそのままで、何も起こらない。それでも現実を受け入れたくなくて、声に出して願い続ける。


「桜晴と今日一日だけでいいからっ。最後にもう一度だけ、入れ替わらせてよ……!」

 誰もいない神社に響き渡る、悲痛な叫び。
 シンシンと冷える神社の本殿の前で、私は足元から崩れ落ちた。
部屋着のままだったので、地面に打ちつけた膝がジンと痛む。それでも、全身を襲う恐怖と痛みに比べたらなんてことはなかった。

「あ……う……」

 為す術もない、とはこのことだ。 
 私は桜晴に何もしてやれない。
 場所も、時間も、彼と私の世界は遠すぎて。今から飛行機に乗って東京に行ったところで、桜晴に会うことはできないという現実が、頭の中を絶望でひたひたにしていく。


「桜晴のばかっ!」

 桜晴は、わざと私に「入れ替わりは二十四日まで」と嘘をついたんだ。
 私が、桜晴の命を守りたいなんて言ったから。
 何か勘付いたのだろう。だから、私が行動を起こすのを拒否するためにわざと嘘をついて、私に油断させた。昨日の夜まで、私は何もしなかった。「二十四日に修学旅行に行かなければいい」なんて安易な考えで、のうのうと一週間を過ごした。 
 もっと、別の方法があったんじゃないだろうか。
 桜晴を救うのに、最適な方法が。私が最後まで、ちゃんと考えなかったから。だからもう取り返しのつかないことに——。

「わああああああああ」

 全身全霊をかけて、助けたかった。彼の命を救いたかった。私の胸の中にある心臓は、本当なら彼がずっと抱えて生きていくはずだった。それなのに、彼は命を失ってしまう。代わりに残されるのは私。
 やるせなさと不甲斐なさに、胸が押しつぶされそうだった。
 神社で泣き崩れる私を、神様はどんなふうに見ているんだろう。
 誰にも見られなくてよかった。寒い日の早朝でよかった。
 身体を抱きすくめながら、涙が枯れるまで、その場で泣きじゃくっていた。