家に帰って、僕はノートのページを開いた。 
 彼女が勇気を出して僕に真実を打ち明けてくれたように、僕だって彼女に自分の想いを伝えたかった。
 これで、伝わるだろうか。
 最後まで書き綴った自分の文章を何度も読み返す。小説を書いた後、推敲している時のような気分だ。ようやく納得のいく文章が出来上がったとき、時刻はもう七時五十分を迎えていた。

『美雨へ
 きみのメッセージをすべて、読みました。
 正直びっくりしすぎて、本当に自分の身に起こる現実なのかと、信じられない気持ちです。でも、美雨と入れ替わってからなんとなく、美雨とはそういう運命にあるんじゃないかって、どこかで予想してたんだ。どうしてだろうね。僕は美雨にこの先絶対に会うことはできない。心の中で予感していたことが現実になっただけだって思ったよ。
 自分の命が失われることは……正直怖い。
 いや、ちょっと嘘をついた。
 めちゃくちゃ怖い。今も、想像すると吐きそうになる。きみに言うことじゃないかもしれないけれど、それが僕の素直な気持ちです。
 でも、同時に思ったんだ。
 僕は、きみの未来を守れるなら、この命をきみに捧げても惜しくないって。
 ふ、捧げるなんて気障すぎるね。
 僕の命が、きみが生きる未来に必要なら、これ以上光栄なことはないって思えた。
 そう思わせてくれたのは、美雨が僕にくれたたくさんの言葉や、美雨が僕の世界で築いてくれた家族や友人たちへの愛のおかげです。
 だから美雨、どうか悲観しないでほしい。
 僕はまっすぐに、きみの心臓になるよ。

 入れ替わりは一週間後の四月二十四日——ちょうど修学旅行の初日までだね。
 だからそれまで、思い切り今を楽しもう。
 ああ、遅くなったけどさ、僕ってきみのことが好きみたい。
 お互い、直接会ったこともない人に惹かれるなんて、おかしいよね。
 でもきみの優しさに惹かれていた。今も、一週間後も、僕がいなくなった未来でも、僕はきみが好きだよ』

 最後の一文を書き終えたとき、胸に甘酸っぱいときめきと、ほろ苦い切なさが一気に広がった。この恋は叶わない。それでも美雨に伝えたかった。現実と美雨に対する想いのギャップが僕をこの場にがんじがらめにする。それでも、美雨と最後の一週間を、全力で楽しみたい。今思うことはもうそれだけだった。

 午後八時、僕の身体はするすると自分の身体へと戻っていく。
 自宅の部屋の机の上に、なぜか書きかけの小説が置きっぱなしになっていた。美雨が読んだのだろうか? だとすれば恥ずかしいけれど、誰かに読まれるために書いているのだから、決して嫌な気持ちにはならなかった。
 僕は小説のノートのページを開き、続きを書き綴る。あと一週間。僕が費やすことのできるすべての時間をかけて、小説を完成させたい。それだけが今僕自身に対してしてやれる、唯一の報いのような気がしていた。
 空白だったタイトルの部分に文字を入れる。

『僕の命をきみに捧げるまでの一週間』。

 僕が美雨と入れ替わりを果たし、美雨の心臓になるまでの話。悲劇のヒーローで自分に酔っていると思われるかもしれない。それでもいい。僕はこの物語を、最後まで書かなきゃいけないんだ。
 夕飯を食べることも忘れて、僕はひたすら小説を書き綴った。母親がそっと部屋の扉を開けて「ご飯は?」と聞いてきたけれど、僕が熱心に机に向かっているのを見たからか、「こっちに持ってくるわね」と言って、お盆で夕食を運んできてくれた。母親の気遣いをありがたいと思いつつ、味噌汁を啜りながら、一心不乱に書いた。

 やがて、世が明ける。いつのまにか机に突っ伏して眠ってしまっていた。
 僕は今日も、美雨の中へと入っていく。
 この一日が、最高の青春の一ページになりますように、と祈りながら。