***
僕は幼い頃から、自己表現が苦手な子供だった。
「はじめまして……鳴海、桜晴です」
幼稚園、小学校、どの教室に行っても、最初に行われる自己紹介の時間が苦痛でたまらなかった。自分の発する言葉に常に自信がない。だから自然と声が小さくなるので、自己紹介をしても「なんて?」と聞き返されることがほとんどだ。授業中に当てられると、自分の回答が間違っているのではないかという不安に駆られ、「あ、う……」と口ごもってしまう。そんな自分を見て、クラスメイトは隣の人と目を合わせてくすくす笑っていた。
そんなことを何度も繰り返すうちに、僕はどんどん自分の殻に閉じこもるようになった。
殻にこもっていれば、誰かの嘲笑を聞くこともない。人との関わりを避け、無駄に心を掻き乱される原因を排除した。
だが、そうして訪れたのは心を分かち合える友達が一人もいない、空虚な人生だった。
勉強やスポーツの一つでもできれば、違った意味で一目置かれていたかもしれない。はたまた、変わった趣味や特技でもあれば。少なくとも、今よりは自分らしく、生きていられたと思う。でも、それすら僕には難しいことだった。
僕は勉強ができない。スポーツも、誰とでも仲良くすることも、何もできない。
自分に対する諦めと、周囲から浴びせられ続けてきた好奇な視線から、ストレスで吃音を発症したのは今から三年前のことだ。
吃音によってより生きづらさは増し、もちろん中学でも友達はできなかった。
だがそんな僕にも、ある時好きな女の子ができた。
中学二年生の頃同じクラスだった女の子だ。
その子は隣の席で、僕が授業中に発言でヘマしたり、クラスメイトたちの前でうまく立ち回ることができなかったりすると、必ず助け舟を出してくれた。
「みんな、鳴海くんの言うことちゃんと聞こう。鳴海くんにだって言いたいこと、あるよ」
彼女は正義感が強い女の子だった。学級委員長をしていて、どちらかと言うと大人しく控えめなタイプだ。顔は美人だと思うのだが、メガネをかけて前髪をすべて下ろしているせいか、彼女の魅力に気づいている人は少なかった。
「鳴海くん、気にしなくていいよ。みんな、心が狭いんだよ。今度鳴海くんの好きなこと、教えてくれる?」
彼女は僕を気遣って、休み時間に僕に積極的に話しかけてくれた。僕は相変わらず吃りながら答える日々だったけれど、彼女の優しさに触れた心が、いつしか彼女を好きだと叫んだ。
彼女と仲良くなりたい。
彼女にこの気持ちをいつか伝えたい。
その一心で、僕は勇気を出して彼女に自分から話しかけた。彼女は休み時間に、図書室にいることが多かったので、僕は彼女と一緒に本を読んだ。
本を読むことで彼女との会話の幅も広がり、僕は吃りながらも、彼女と共通の話題で盛り上がることができた。正直嬉しかった。初めてだったのだ。特定の誰かと、好きなものの話で盛り上がれたのも、心を近づけることができたのも。
ある日僕は、彼女に気持ちを伝えようと思い立った。
きっかけは中学二年生の文化祭。文化祭や運動会では例年カップルが生まれる確率が高く、うかうかしていると彼女を他の誰かに取られてしまうのではないかと焦ったのだ。
放課後、誰もいない教室に彼女と二人きりで残っていた。
「……あの、ミカさん。実は僕、前から伝えたかったことがあって——」
僕の真剣な表情や雰囲気から、彼女は何かを察してくれたようで、鞄に荷物を詰めていた手を止めた。それから僕の方へ「何かな」と顔を向ける。僕は人生で一番荒ぶる心臓を抑えることもできず、大きく息を吸った。
「ずっと前から、ミカさんのこと……す、すすすすすきでした!」
思ったよりも大きな声が出たのが恥ずかしかったのと、「好き」の二文字を伝えるところ吃ってしまい、すぐに身体が凍りつく。
「……」
彼女は目を丸くしたあと、気まずそうに僕から視線を逸らした。二人の間に絶妙な沈黙が流れる。自分の心音が彼女に聞こえはしないかとハラハラしていた。でもそれ以上に、大事な場面で失敗してしまったことへの羞恥心が全身を駆け巡っていた。
「……ごめん」
しばらくして、蚊の鳴くような声で呟いた彼女は、鞄をぎゅっと抱き抱えるようにして教室から出て行った。教室の扉が開いた時、数人のクラスメイトが互いに目を合わせて僕の方をチラチラと見ているのを知って、すべてを悟る。
僕は教室を飛び出した。扉の向こうにいたクラスメイトたちとは一切視線を合わせることなく駆け抜ける。学校を出て帰宅する途中、緑川の生命橋に寄り道した。
「最悪だっ……! 最悪すぎる! 明日から学校に行けない。僕のままじゃ、無理だっ! 神様お願いします。どうか僕を、別の誰かと入れ替えてください!」
最後のお願いは、ただなんとなく、自分じゃない誰かになりたいと思って叫んだ言葉だった。一生分の恥をかいた“僕”のままじゃ、とてもじゃないが学校になんて行けない。彼女と顔を合わせるのも辛いし、他のクラスメイトから噂をされるのも耐えられなかった。
願いを口にした途端、身体を襲う不思議な感覚に、僕は度肝を抜かされた。そのまま、気づいた時には視界がホワイトアウトして、意識がぷつりと途絶えた。
僕は幼い頃から、自己表現が苦手な子供だった。
「はじめまして……鳴海、桜晴です」
幼稚園、小学校、どの教室に行っても、最初に行われる自己紹介の時間が苦痛でたまらなかった。自分の発する言葉に常に自信がない。だから自然と声が小さくなるので、自己紹介をしても「なんて?」と聞き返されることがほとんどだ。授業中に当てられると、自分の回答が間違っているのではないかという不安に駆られ、「あ、う……」と口ごもってしまう。そんな自分を見て、クラスメイトは隣の人と目を合わせてくすくす笑っていた。
そんなことを何度も繰り返すうちに、僕はどんどん自分の殻に閉じこもるようになった。
殻にこもっていれば、誰かの嘲笑を聞くこともない。人との関わりを避け、無駄に心を掻き乱される原因を排除した。
だが、そうして訪れたのは心を分かち合える友達が一人もいない、空虚な人生だった。
勉強やスポーツの一つでもできれば、違った意味で一目置かれていたかもしれない。はたまた、変わった趣味や特技でもあれば。少なくとも、今よりは自分らしく、生きていられたと思う。でも、それすら僕には難しいことだった。
僕は勉強ができない。スポーツも、誰とでも仲良くすることも、何もできない。
自分に対する諦めと、周囲から浴びせられ続けてきた好奇な視線から、ストレスで吃音を発症したのは今から三年前のことだ。
吃音によってより生きづらさは増し、もちろん中学でも友達はできなかった。
だがそんな僕にも、ある時好きな女の子ができた。
中学二年生の頃同じクラスだった女の子だ。
その子は隣の席で、僕が授業中に発言でヘマしたり、クラスメイトたちの前でうまく立ち回ることができなかったりすると、必ず助け舟を出してくれた。
「みんな、鳴海くんの言うことちゃんと聞こう。鳴海くんにだって言いたいこと、あるよ」
彼女は正義感が強い女の子だった。学級委員長をしていて、どちらかと言うと大人しく控えめなタイプだ。顔は美人だと思うのだが、メガネをかけて前髪をすべて下ろしているせいか、彼女の魅力に気づいている人は少なかった。
「鳴海くん、気にしなくていいよ。みんな、心が狭いんだよ。今度鳴海くんの好きなこと、教えてくれる?」
彼女は僕を気遣って、休み時間に僕に積極的に話しかけてくれた。僕は相変わらず吃りながら答える日々だったけれど、彼女の優しさに触れた心が、いつしか彼女を好きだと叫んだ。
彼女と仲良くなりたい。
彼女にこの気持ちをいつか伝えたい。
その一心で、僕は勇気を出して彼女に自分から話しかけた。彼女は休み時間に、図書室にいることが多かったので、僕は彼女と一緒に本を読んだ。
本を読むことで彼女との会話の幅も広がり、僕は吃りながらも、彼女と共通の話題で盛り上がることができた。正直嬉しかった。初めてだったのだ。特定の誰かと、好きなものの話で盛り上がれたのも、心を近づけることができたのも。
ある日僕は、彼女に気持ちを伝えようと思い立った。
きっかけは中学二年生の文化祭。文化祭や運動会では例年カップルが生まれる確率が高く、うかうかしていると彼女を他の誰かに取られてしまうのではないかと焦ったのだ。
放課後、誰もいない教室に彼女と二人きりで残っていた。
「……あの、ミカさん。実は僕、前から伝えたかったことがあって——」
僕の真剣な表情や雰囲気から、彼女は何かを察してくれたようで、鞄に荷物を詰めていた手を止めた。それから僕の方へ「何かな」と顔を向ける。僕は人生で一番荒ぶる心臓を抑えることもできず、大きく息を吸った。
「ずっと前から、ミカさんのこと……す、すすすすすきでした!」
思ったよりも大きな声が出たのが恥ずかしかったのと、「好き」の二文字を伝えるところ吃ってしまい、すぐに身体が凍りつく。
「……」
彼女は目を丸くしたあと、気まずそうに僕から視線を逸らした。二人の間に絶妙な沈黙が流れる。自分の心音が彼女に聞こえはしないかとハラハラしていた。でもそれ以上に、大事な場面で失敗してしまったことへの羞恥心が全身を駆け巡っていた。
「……ごめん」
しばらくして、蚊の鳴くような声で呟いた彼女は、鞄をぎゅっと抱き抱えるようにして教室から出て行った。教室の扉が開いた時、数人のクラスメイトが互いに目を合わせて僕の方をチラチラと見ているのを知って、すべてを悟る。
僕は教室を飛び出した。扉の向こうにいたクラスメイトたちとは一切視線を合わせることなく駆け抜ける。学校を出て帰宅する途中、緑川の生命橋に寄り道した。
「最悪だっ……! 最悪すぎる! 明日から学校に行けない。僕のままじゃ、無理だっ! 神様お願いします。どうか僕を、別の誰かと入れ替えてください!」
最後のお願いは、ただなんとなく、自分じゃない誰かになりたいと思って叫んだ言葉だった。一生分の恥をかいた“僕”のままじゃ、とてもじゃないが学校になんて行けない。彼女と顔を合わせるのも辛いし、他のクラスメイトから噂をされるのも耐えられなかった。
願いを口にした途端、身体を襲う不思議な感覚に、僕は度肝を抜かされた。そのまま、気づいた時には視界がホワイトアウトして、意識がぷつりと途絶えた。