「お母さん」

 夜八時十分、仕事から帰ってきた母は、いつも通りスーパーの買い物袋を台所に置いて、冷蔵庫に食材をしまっていた。後ろから声をかけた私に、母は「なあに?」と振り返る。

「ドナーのこと、教えて欲しい」

 食品を掴もうとしていた彼女の手の動きがぴたりと止まる。不意を突かれて戸惑っているのがよく分かった。それでも私は、母の目をじっと見つめたまま、離さない。

「どうして今更そんなこと聞くの? もう終わった話じゃない」

「気になったから。私にも知る権利、あるでしょ」

「それはそうだけど……」

 母は分かりやすく逡巡していた。移植が終わってから、今まで一度も話してこなかったことだ。今更、と言う母の気持ちも理解はできた。
 それにお母さんは……私が幼い頃に、お父さんという愛する人を亡くしている。病気につながる話をしたくない気持ちがあるのは当然のことだろう。
 でも……それでも私は。
 真実を知りたいと思う。知らなければ、この先桜晴との入れ替わりを続けられないかもしれない。私のはやとちりだったらそれでいい。勘違いだって分かってほっとするだろう。
 だけど、もしそうじゃなかったら。 
 このまま能天気に入れ替わりを続けてはいられない。修学旅行は来年四月に迫っている。それだけは変わらない現実だから。

「私ね、移植した時、私がドナーを殺してしまったんじゃないかって、自分を責めたの」

 母が、伏目がちだった視線をふっと上げて私の目を見つめ返した。

「私が、見知らぬ誰かの命を奪ってしまったんだって思うと、何日も眠れなかった」

「美雨……そんなこと」

「分かってる。こんなふうに思うのは間違いだって、自分でも分かってた。でも無理だったの。私が命をいただいたことは、変わらない
事実でしょ? 殺した、という表現は確かに違うかもしれない。でもあの時の私にはそうとしか考えられなかった。手術後で身体中が痛かったし、辛かった。……こんなに辛いならどうして生きる意味があるんだろうって、思ったぐらい。ごめん、こんな話聞きたくないよね。だけど、紛れもなく本当に私が思ったこと」

「そう、だったの……」

 母は、静かに「ふう」と息を吐く。娘の口から聞きたくなかった言葉を聞いて、幻滅しているのかもしれない。

「あっちで話しましょう」

 意外な言葉に、心臓がとくんと大きく鳴った。

「いいの?」

「ええ。美雨の言うとおりだわ。美雨には知る権利があるもの」

「お母さん……」

 やっぱり母は、私の母だった。
 私の気持ちを汲んで、真実を話そうとしてくれている。私は緊張しながら母と食卓についた。

「お母さんもね、いつか話さないといけないって思ってたの。そのタイミングがいつなのか、ちょっと慎重に考えすぎてた。だからさっき、突然美雨から聞かれた時にすぐに頷けなかったのよ。ごめんなさい」