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「……ここは」

 目が覚めると、ベッドの上に寝かされていた。

「そうか、私、倒れて……」

 江川くんたちと話している最中、頭がくらくらして彼らが保健室まで運んでくれたことを思い出した。

「昔の夢、か」

 眠っている間に見ていた夢は、私の身に実際に起こったことだ。中学二年生だった私が、心臓移植をした時のこと。
 灰谷先生の言葉が、胸の奥まで深く浸透する。
 私はこの時に誓ったんだ。
 誰かが分けてくれたこの命を、決して無駄にはしない。私の未来は、ドナーと共にある。一人じゃない。一緒に生きている。命の重みは二倍だ。だから、これまで不自由だった分、誰よりも真剣に自分の人生と向き合おう。
 勉強も、友達づくりも、ゼロからのスタートだ。運動は……今までしてこなかった分自信はないけれど、できるかぎり頑張りたい。
 私と一緒に生きているこの人が、幸せだと思ってくれるように——。
 胸に秘めた決意を、退院後に全力で体現しようと、残りの中学生活を精一杯楽しんだ。学校では瑛奈と和湖という友達ができて、私のことを気にかけてくれた。だが同時に気を遣いすぎることもなく、二人とは普通の友人関係を築くことができた。
 私にも、普通の学校生活を送ることができる。
 初めての喜びをひしひしと感じながら、健康体になった私は活き活きとした日常を送っていた。

 でもやっぱり、運動は思うようにできなくて。体育の時間でヘマをして、チームメイトが自分のことを悪く言っているのを聞いてしまって。それだけで、心が凍りついたようにつらくて。現実から逃げ出したいと思った矢先、私は桜晴と入れ替わった。
 この入れ替わりに、何か意味があるのではないかとずっと考えていた。

「有坂さん、起きたのね」

 保健室で仕事をしていた養護教諭の先生が、声をかけてくれた。

「はい。すみません」

「謝ることじゃないわ。日頃の疲れが溜まっていたようよ。大丈夫? 無理してない?」

「大丈夫です。ご迷惑おかけしました」

 入れ替わりという非日常の最中にいることを、誰かに話すことはできない。疲れているのではなく、修学旅行の話に衝撃を覚えて、これ以上何も考えたくないと、脳が考えることを否定してしまったせいだ。
 私の中で、先ほどからずっと一つの可能性が渦巻いている。
 そんな……馬鹿な。ありえない。そんなことあるはずがない。
 心は否定したくて仕方がないのに、頭ではどうしても、思い至ってしまう。
 桜晴が、私に心臓を提供したドナーではないかということ。
 可能性としては、何パーセントくらいだろうか。二〇二五年四月に東京から来た修学旅行生で、美瑛から富良野に向かうバスに乗っていた生徒の数は。西が丘高校だけじゃないかもしれない。西が丘高校だけだとしても、桜晴の学年は四百人もの生徒がいる。その中のたった一人が、桜晴であるという確率は低い。

「……っ」

 でも……もし桜晴じゃなかったら、一体誰なんだろう? 
 私が桜晴と入れ替わったことに、何か意味があるとすれば。それは、彼がドナーであるということ以外に、何もないのではないか……?

「嫌だよ……」

 こぼれ落ちた心の叫びが、先生まで聞こえてしまって、「どうしたの?」と心配される。私は「なんでもないです」と誤魔化しながら、目の淵から溢れ出る涙を、先生から隠すように拭った。
 桜晴がドナーなんて、そんなの信じたくない。
 私は桜晴のことが好きだ。こんな形で出会ってしまったけれど、どうしようもなく彼に惹かれている。初めて人を好きになった。幼い頃から友達すらまともにつくれなかった私が、初めて惹かれた男の子。そんな彼が、もしドナーだったら。私はこの先、どうして生きていけばいいの?
 一人で悶々と考えても、決して埒はあかない。
 お母さんに、真実を聞こう。
 お母さんは移植の時、私にドナーの相手の名前を教えてくれなかった。私を気遣ってそうしてくれたことはよく分かっている。でも私には知る権利があるはずだ。
 自分の左胸に手を当てる。トクン、トクンと規則正しく脈打つ振動を感じて、胸がぶわりと熱くなった。
 私の中で今もこうして必死に生きている心臓が、一体誰のものなのか。
 願わくば、桜晴ではありませんように。
 命の重みに差なんてないはずなのに、どうしても桜晴の心臓ではないことを願わずにはいられなかった。