「朝から試合して、いろいろあって疲れてんのに、父さんのあのテンションについていけないよ」

 普段は秋真だって桜晴からすれば元気な性格なのに、そんな彼でもこうして疲れちゃうのか。やっぱりあの場を早めに去って正解だった。

「まあ……そりゃそうだよね。試合、お疲れ様。あとスカウトもおめでとう。良かったね」

「ん、ありがとう」

 意外にも薄い反応が返ってきて私は焦った。秋真はスカウトされたことが嬉しくないのだろうか。そんな私の疑問に答えるように、「いやさ」と彼は続けた。

「嬉しいのはすっげー嬉しい。俺だって、ガキの頃から父さんや監督の厳しい指導に耐えてここまで来たんだからさ。……でも」

「でも?」

「父さんや母さんにとって、俺は野球をすることでしか親孝行できない人間なのかなって思うと、悲しくなるときがある」

「……」

 秋真は眉根を下げて、寂しそうに小さく笑った。いつも暇さえあればゲームばかりしていて、そのくせ学校での成績は良くて、野球でも期待されている彼からは想像がつかない。私は、秋真という人間のことを、一ミリも理解していなかったんじゃないだろうか?

「俺さ、兄ちゃんが時々羨ましくなるんだ。期待されないって、確かに辛いこともある。でも、それだけ自由だろ? 兄ちゃんはこれから何にでもなれるじゃん。何になったって、言い方は悪いけど期待されていない分、応援してもらえるんじゃない? 学校の先生でも、宇宙飛行士でも、会社員でも。……俺はたぶん、野球選手になることしか両親を——特に、父さんを喜ばせられない」

 秋真の主張が私の胸に——いや、桜晴の胸にグサリと突き刺さる。
 期待されていない分、何をしても歓迎される。期待を裏切ることはないから。
 桜晴は、秋真が両親に期待されて、自分は何もないことにきっと悩んでいるはずなのに。それすら秋真には羨ましく映っている。
 皮肉だなあ……。
 だけど、秋真の悩みは、私にも少し分かる気がした。

「秋真は……学校の先生とか、宇宙飛行士とかになりたいの?」

「そうだな、そんな夢を見たこともあった。ドラマやアニメ見てると、そういう職業に憧れるんだよな」

「へえ。じゃあ、なればいいじゃん」

「え?」

 秋真が目を丸くして私を見た。
 考えもしなかったことを言われて意表をつかれたようだ。

「だって、なりたいものがあるんでしょ? 野球よりも好きなこと。野球が得意だからって、プロになる必要ないじゃん。自分が好きなことに邁進してる方が、格好良いと思う。親の期待なんて関係ないよ。秋真の人生だろ」

 最後は、自分に、桜晴に、言い聞かせるような気持ちで言い放っていた。
 自分の人生じゃないか。
 何になりたいのか、自分で決めて、何が悪い? 
 いくら別の自分になろうとしたって、結局は人生を決めるのは、自分なんだから。

「ははっ……ははは!」

 秋真の笑い声が、静かな部屋に豪快に響き渡る。その笑い方はさっき食卓で見た父親のものとそっくりで。私は目尻をすっと細めた。

「兄ちゃん、そんなこと言うんだな。なんかびっくりした。でも、今日の兄ちゃん、格好良いと思う」

「……ありがとう」

 私は桜晴じゃないのに、でしゃばって余計なことを言ってしまったな——とちょっぴり反省する。でも、普段兄弟なんて、素直に気持ちをぶつけることはできないんじゃないだろうか。私が桜晴だったからこそ、秋真の本当の気持ちを引き出せたのかもしれないと思うと、自分が誇らしかった。
 今日のことは、桜晴に素直に報告しよう。
 最初は桜晴の気持ちをかき乱してしまうかもと思って、何も書かずにいようかとも考えた。でも、隠していたっていつかはバレる。秋真が甲子園常連校にスカウトされたことを、桜晴だって祝福したいはずだ。たとえ、その中に嫉妬や後ろ暗い感情が混ざっていたとしても。弟のことだから、優しい桜晴ならきっと応援したいと思うだろう。
 桜晴はそういう人だ。

「俺、ちょっといろいろ考えてみる。これからどうしたいか。考えて、自分の答えを出す。ありがとう、兄ちゃん」

「どういたしまして」

 部屋を去っていく秋真の背中はどこか清々しい。彼はまだ中学生なんだし、将来のことを考える時間はたくさんある。なんて、高校生の自分が言うのも変かもしれないけれど。
 秋真が部屋からいなくなると、そろそろ入れ替わりの終了時間が近づいていた。
 自分の部屋に戻ったら、今日考えたことをノートに書いておこう。忘れないうちに、桜晴に伝えたかった。