家に帰ると、玄関に靴がポンと投げ捨てられるようにして脱ぎ散らかされていた。僕はため息をつきながら靴を二つきれいに揃えて、自分も靴を脱ぐ。

「ただいま」

「兄ちゃん、おかえり」

 自分の部屋の隣の部屋を覗くと、ゲームをしていた二つ下の弟の秋真(しゅうま)が僕の方を振り向いた。秋生まれだから、秋真。ちなみに僕は春生まれで、桜晴(おうせい)という名前だ。響きは気に入っているのだが、「桜」という漢字がちょっと女の子ぽいイメージがあるのと、何より僕に桜晴なんておしゃれな名前が似合わないのとで、総じてあまり納得感がない。
 対する秋真の方は、僕とは違って名前負けしない格好良さがある。
 細かいことは気にしない性格で、勉強はほどほどにしか頑張らない。それなのに、成績は僕が中学生の頃よりもずっと良くて。江川くんみたいなやつだ。幼い頃から父に教え込まれた野球で、部活ではキャプテンまで務めている。将来は甲子園常連校にスポーツ推薦してもらうのだと、本人も父親も意気込んでいる。
 母親も、なんだかんだで要領がいい秋真のことを気に入っている。秋真には吃音もない。ぽわわんと能天気に生きているところもあるのに、やる時はやる男。僕よりもずっと、両親に気に入られるのも当然だ。
 それに、秋真は。

「兄ちゃん、どうかしたの? すっごいどんよりした顔してるけど」

「いや……なんでもない。僕のことは気にしないで」

「ふーん、そう? なんかあるなら俺の方から母さんに言っておくよ?」

「ない。なにもない、から。頼むから母さんには言わないでほしい……」

 察しが良く、要領が悪い兄のことさえ、こんなふうに気遣える弟だ。そりゃ、僕と秋真を比べれば秋真の方がずっと子供として優秀な
のだ。

「おっけーおっけー何も言わない。あ、やべ! 操作ミスった!」

 両手の中にすっぽりと収まる携帯ゲーム機の画面を見ながら、身体をくねくねと捻り、危機を回避しようとする我が弟。秋真は僕が見る限り家にいる時にはずっとゲームをしているのに、どうして良い成績を保てるのか。きっと、彼に僕の分の頭の良さを吸い取られてしまったのだ。
 ……なんて、くだらないことを考えている場合ではない。
 僕は自分の部屋に鞄を置くと、中から成績表の紙をすっと取り出す。それと、スマホだけを所持して部屋から出た。

「あれ、兄ちゃんどっか行くの?」

 物音に気づいた秋真が隣の部屋から顔を覗かせる。

「う、うん。ちょっと散歩に」

「散歩? 兄ちゃんってそういうの好きだよな。土手で黄昏るとか、プールで仰向けになってただ流されるだけとか」

「その言い方、なんか馬鹿にしてるよな?」

「してない、してない。そういう趣味なんだなって思っただけ。いってらっしゃーい」

 最後はゲームの方に気持ちが持って行かれてしまい、心のこもっていない「いってらっしゃい」を頂戴した。僕はため息をつきながら玄関へと向かう。先ほど揃えた秋真のコンバースが、思っていたよりずっとお洒落に見える。僕は自分の、何の変哲もない白い運動靴を履いて、身一つで外の世界へと飛び出した。