「美雨〜起きたの? 朝ごはんあるから食べなさーい」
一階から美雨の母親が僕を呼ぶ声がする。僕は、「はーい」と返事をして一階へ降りて行った。
日曜日だというのに、有坂家には母親しかいないのは、彼女の父親が亡くなっているからだと知った。仏間があったのだ。遺影の中で朗らかに笑う美雨の父親は、顔は美雨とは似ていないけれど、その明るそうな性格が彼女に似ているのかもしれないと感じた。
「美雨、次の病院なんだけど、秋頃になるんだって。まだ全然先だけど、一応日程伝えとくわね」
焼き鮭と、白ごはんと、味噌汁が並んだ食卓で、母親がそんなことを言った。今日は和食なのか——と考える間もなく、僕の思考がぴたりと止まる。
「病院? 歯医者か何か?」
彼女が何の予定について話しているのか分からず、つい素直に聞き返してしまう。
「何言ってるの、違うわよ。いつもの検査。また平日になるから、学校には遅刻することになるわ」
「検査……」
突然、病院などと言われて、僕はとても混乱した。
人には人の事情がある。美雨が何かの病気を患っていて、定期的に検査を受けているのだとしても、別に驚くことはない。でもなぜか、「検査」という言葉に胸がざわざわと揺れた。
「どうしたの? 気分でも悪い? 遅刻するのが嫌だとか?」
「ち、違うよ。ずいぶん先の話、するんだなって、思って」
「ええ、まあ。一応ね。お母さんも忘れちゃうかもしれないし。大事な検査だから、忘れたら大変でしょ?」
「うん、そうだね」
話の本筋が分からないまま、曖昧に頷く。
間違いない。美雨は何か、病気を患っているんだ。でも一体何の病気なんだ? 身体的に、特に異常を感じることはない。となれば、精神的なものだろうか。それならば、彼女がこの入れ替わりに臨んでいるのも頷ける。
定期的な検査を必要としているということは、かなり深刻な病気なのだろう。
これまで美雨という女の子に抱いていた印象が、ガラリと色を変えた。
病気の話は、本人には聞きづらい。これ以上ないくらいプライベートに関わる話だ。過去の話に触れる可能性が高い。本人には聞けないから、僕はなんとか母親の話に合わせるしかなかった。
病院に行く時には、彼女の病気が何であるのか、分かるはずだ。
僕たちはそれから、順調に入れ変わりの毎日を楽しんだ。
木曜日の九時に自分の家で『きみが描いた恋模様』をやっているかどうか確認したけど、やっぱり番組表に載っていなかった。彼女に、「曜日と時間間違えてない?(笑)」と聞いたが、「ひどいな、私は物覚え、いい方なんです」と返された。それ以降、彼女の気分を害するかもと思い、結局何も聞けていない。瑛奈たちもドラマの話題をすることがなくなったので、僕の中ではどうでもよくなっていた。
六月、お互いに期末テストの勉強に追われ、ノートでのやりとりが「勉強お疲れ」とか、「私の姿でひどい点とらないでね!」とか、勉強の話題に変わった。
僕が勉強が苦手だと話すと、「じゃあ私が教えてあげる」という。どうやって、と聞いたら、「私のノートにポイントまとめておくから、それ見て勉強して」と言われた。
僕は彼女のまとめてくれたノートを見ながら勉強に励んだ。
美雨として受けた期末テストは、各教科軒並み二十点ほど上がっていて、僕自身度肝を抜かされた。それでも、成績優秀の彼女からすれば、前回より点数が下がっており、ノートでたくさん小言を頂戴した。だが、最終的には僕の努力を認めてくれて、「この調子で次も頑張って」と励ましてくれたから、彼女は良い人だ。
反対に、美雨の方は僕の身体で好成績を収めている。テスト後に担任に呼び出されて、カンニングを疑われたとぷりぷり怒っていた。そりゃ担任からしたら、あまりの成績の飛躍に、疑いをかけたくもなるだろう。最終的に、中間テストの時に、体調がすこぶる悪かったんです、と言い切って納得させたようだ。まあ、成績が上がった生徒に対し証拠もなくカンニングを疑い続けるのも良くないと思ってくれたらしい。
「クラスで一目置かれるようになった。どんなもんだい!」
彼女が胸を逸らして鼻高々に自慢する姿が目に浮かぶ。
僕はノートを読みながら、部屋で一人、お腹を抱えて笑った。
一階から美雨の母親が僕を呼ぶ声がする。僕は、「はーい」と返事をして一階へ降りて行った。
日曜日だというのに、有坂家には母親しかいないのは、彼女の父親が亡くなっているからだと知った。仏間があったのだ。遺影の中で朗らかに笑う美雨の父親は、顔は美雨とは似ていないけれど、その明るそうな性格が彼女に似ているのかもしれないと感じた。
「美雨、次の病院なんだけど、秋頃になるんだって。まだ全然先だけど、一応日程伝えとくわね」
焼き鮭と、白ごはんと、味噌汁が並んだ食卓で、母親がそんなことを言った。今日は和食なのか——と考える間もなく、僕の思考がぴたりと止まる。
「病院? 歯医者か何か?」
彼女が何の予定について話しているのか分からず、つい素直に聞き返してしまう。
「何言ってるの、違うわよ。いつもの検査。また平日になるから、学校には遅刻することになるわ」
「検査……」
突然、病院などと言われて、僕はとても混乱した。
人には人の事情がある。美雨が何かの病気を患っていて、定期的に検査を受けているのだとしても、別に驚くことはない。でもなぜか、「検査」という言葉に胸がざわざわと揺れた。
「どうしたの? 気分でも悪い? 遅刻するのが嫌だとか?」
「ち、違うよ。ずいぶん先の話、するんだなって、思って」
「ええ、まあ。一応ね。お母さんも忘れちゃうかもしれないし。大事な検査だから、忘れたら大変でしょ?」
「うん、そうだね」
話の本筋が分からないまま、曖昧に頷く。
間違いない。美雨は何か、病気を患っているんだ。でも一体何の病気なんだ? 身体的に、特に異常を感じることはない。となれば、精神的なものだろうか。それならば、彼女がこの入れ替わりに臨んでいるのも頷ける。
定期的な検査を必要としているということは、かなり深刻な病気なのだろう。
これまで美雨という女の子に抱いていた印象が、ガラリと色を変えた。
病気の話は、本人には聞きづらい。これ以上ないくらいプライベートに関わる話だ。過去の話に触れる可能性が高い。本人には聞けないから、僕はなんとか母親の話に合わせるしかなかった。
病院に行く時には、彼女の病気が何であるのか、分かるはずだ。
僕たちはそれから、順調に入れ変わりの毎日を楽しんだ。
木曜日の九時に自分の家で『きみが描いた恋模様』をやっているかどうか確認したけど、やっぱり番組表に載っていなかった。彼女に、「曜日と時間間違えてない?(笑)」と聞いたが、「ひどいな、私は物覚え、いい方なんです」と返された。それ以降、彼女の気分を害するかもと思い、結局何も聞けていない。瑛奈たちもドラマの話題をすることがなくなったので、僕の中ではどうでもよくなっていた。
六月、お互いに期末テストの勉強に追われ、ノートでのやりとりが「勉強お疲れ」とか、「私の姿でひどい点とらないでね!」とか、勉強の話題に変わった。
僕が勉強が苦手だと話すと、「じゃあ私が教えてあげる」という。どうやって、と聞いたら、「私のノートにポイントまとめておくから、それ見て勉強して」と言われた。
僕は彼女のまとめてくれたノートを見ながら勉強に励んだ。
美雨として受けた期末テストは、各教科軒並み二十点ほど上がっていて、僕自身度肝を抜かされた。それでも、成績優秀の彼女からすれば、前回より点数が下がっており、ノートでたくさん小言を頂戴した。だが、最終的には僕の努力を認めてくれて、「この調子で次も頑張って」と励ましてくれたから、彼女は良い人だ。
反対に、美雨の方は僕の身体で好成績を収めている。テスト後に担任に呼び出されて、カンニングを疑われたとぷりぷり怒っていた。そりゃ担任からしたら、あまりの成績の飛躍に、疑いをかけたくもなるだろう。最終的に、中間テストの時に、体調がすこぶる悪かったんです、と言い切って納得させたようだ。まあ、成績が上がった生徒に対し証拠もなくカンニングを疑い続けるのも良くないと思ってくれたらしい。
「クラスで一目置かれるようになった。どんなもんだい!」
彼女が胸を逸らして鼻高々に自慢する姿が目に浮かぶ。
僕はノートを読みながら、部屋で一人、お腹を抱えて笑った。