美瑛東高校へは、バスが出ていた。僕は美雨の鞄を漁り、定期券を見つけた。バスには美雨と同じ制服の生徒がちらほら乗っていた。
「美瑛東高校前」というバス停を降りると、本当に目の前に校門が見えて驚く。迷うことなく学校までたどり着くことができてほっとした。
「あ、美雨! おはよう」
校門に一歩足を踏み入れたところで、「美雨」と後ろから呼びかけられる。僕は一瞬、自分のことだと反応ができず、振り返るのが遅れてしまう。
目線の先にいたのは、外はねショートカットが特徴的な女の子。胸のところについている校章の色が、美雨のものと同じだった。同級生だろう。僕は平静を装い、「おはよう」と手を上げる。
いつも、入れ替わりの時にはこの瞬間が一番緊張する。家族であれば初対面でも「お母さん」「お父さん」と呼んでいれば間違いない。だが、友達は違う。最初は名前も相手の素性も分からないため、当たり障りのない返事をしつつ、手探りでその友達の人となりについて、見極めるしかない。
名前の知らない彼女も挨拶を交わしただけの僕に、特段不思議に思ったところはなさそうだった。
「ねえ、今日さ、一限目の英語の前に、ノート見せてくれない?」
「ノート?」
「そう。昨日の宿題、できてないんだよね」
「あ——」
彼女はばつが悪そうな表情で僕に向かって両手を擦り合わせる。だが、僕だってそんな話は当然初めて聞くわけで。宿題など、もちろ
んやっていない。
でも、もしかしたら午後八時に彼女が自分の身体に戻った後にやってくれているかもしれないという一縷の望みにかけて、僕はこっくりと頷いた。
「ありがとう! 早いとこ教室に行って写させて。今度アイス奢る!」
「う、うん」
出会って間もないけれど、彼女には他人をついその気にさせるような勢いがあった。対する美雨が本当はどんな性格なのか、僕はまだ分からない。今のところ友達から不審に思われてはいないので、普段から彼女には引っ張られているのだろう。
一年一組の教室に着くと、僕は再び戸惑った。
自分の席が分からない。
これも、いつも入れ関わり先で経験していることだ。
友人の彼女がタタタッと机の合間をすり抜けて、窓際の後ろから二番目の席に座る。入り口で突っ立っている私を見て、「どうしたのー?」と大きな声で聞いた。
教室にはまばらに人がいて、みな僕たちの言動は気にしていない様子だ。僕は思い切って、彼女に聞き返す。
「私の席、どこだっけ?」
あまりにもおかしな質問に、さすがの友人も「え」と僕の顔を凝視して固まる。
「えっと……ごめん、最近忘れっぽくて」
毎日使っている教室の机と椅子の位置が分からなくなることを「忘れっぽい」で済ませるのはどうかと思うが、これしか手段がないのだ。
友人は少ししてから、「あはは」と笑い声を上げた。
「もー美雨何言ってんの? こっち、私の後ろでしょ。さすがにやばいってー」
「あ、そうだった、ね。ありがとう」
慌てて彼女の後ろの席に座る。つまり、窓際の一番後ろの席だ。こりゃ授業中もたくさん居眠りができそうだ——じゃなくて、普通に良い席だった。
「で、英語のノート見せてもらえる?」
「うん」
僕は、彼女に言われるがままに鞄の中を漁る。果たして英語のノートに宿題は……何も書かれていなかった。
「……」
そっか。そうだよなー。初めて入れ替わり体験をして、その後に家で宿題やってる暇、ないよね。
僕はがっくりと項垂れる。だが、僕以上にショックを受けていたのは彼女の方だった。
「って、やってないんかーい!」
飄々としたツッコミを入れてきたものの、「うう」と涙目になって「美雨に騙されたあ」と嘆いている。ちょっと待て。そもそも、あんたも宿題やってないんだろうと言い返したくなる気持ちはぐっと抑えた。
「真面目な美雨が宿題をやってないなんて……しかも、さっきはちゃんとやってきた感じで返事してくれたのに……」
「ご、ごめん……。私やっぱり物忘れが——」
僕が見苦しい言い訳をしようとした時だった。
「二人とも、どうしたの?」
可愛らしいソプラノの声が頭上から降ってきて、互いの英語のノートと睨めっこしていた僕たちは、声の主の方を見た。
「和湖ぉ〜! 助けて〜! てか、おはよう〜」
「おはよう瑛奈、美雨。何かあったの?」
和湖、と呼ばれたその女の子はふわりとゆるくウェーブがかった髪の毛を前髪ごと横に流している、ゆるふわ系女子だった。透き通るほど肌が白い。身長は低めで、ぱっと見お人形さんのようだ。
僕はそこで初めて、目の前で嘆く友人の名前が「瑛奈」であることを知った。
「それが、私も美雨も昨日の英語の宿題やってなくて……二人でどうしようか悩んでたところなのっ」
瑛奈が和湖に詳細を話す。「あらあら」とお母さんのような口調で相槌を打つ和湖を、僕はじっと眺めていた。
「それなら、私のノート見る?」
「いいの!?」
「うん。昨日はちゃんと宿題やったんだ」
「昨日は」と言うということは、普段はあまりやらないのだろうか。似た者同士の三人で、僕は笑ってしまった。
「美雨、何がおかしいの?」
すかさず瑛奈にツッコまれる。
「いや……朝から賑やかだなって」
「なにそのばばあ発言! 美雨、あんた今日変だよ!」
「瑛奈、ばああは言い過ぎだよう」
瑛奈と和湖がコントのようなやりとりをする。和湖は終始ゆったりとした話し方をしていて、マイペースな子なのかと悟る。見た目の
雰囲気からして、らしいと言えばらしかった。
「とにかく和湖、早くノート見せて!」
「はいは〜い」
ニコニコとした表情で、和湖が僕と瑛奈の前で英語のノートを開いてくれた。丸っこくて女子っぽい字が並んだそのノートには、きっちりと宿題が済まされていた。
入れ替わり後初登校の日、僕は朝から英語の宿題をせっせと書き写すことに専念した。
「美瑛東高校前」というバス停を降りると、本当に目の前に校門が見えて驚く。迷うことなく学校までたどり着くことができてほっとした。
「あ、美雨! おはよう」
校門に一歩足を踏み入れたところで、「美雨」と後ろから呼びかけられる。僕は一瞬、自分のことだと反応ができず、振り返るのが遅れてしまう。
目線の先にいたのは、外はねショートカットが特徴的な女の子。胸のところについている校章の色が、美雨のものと同じだった。同級生だろう。僕は平静を装い、「おはよう」と手を上げる。
いつも、入れ替わりの時にはこの瞬間が一番緊張する。家族であれば初対面でも「お母さん」「お父さん」と呼んでいれば間違いない。だが、友達は違う。最初は名前も相手の素性も分からないため、当たり障りのない返事をしつつ、手探りでその友達の人となりについて、見極めるしかない。
名前の知らない彼女も挨拶を交わしただけの僕に、特段不思議に思ったところはなさそうだった。
「ねえ、今日さ、一限目の英語の前に、ノート見せてくれない?」
「ノート?」
「そう。昨日の宿題、できてないんだよね」
「あ——」
彼女はばつが悪そうな表情で僕に向かって両手を擦り合わせる。だが、僕だってそんな話は当然初めて聞くわけで。宿題など、もちろ
んやっていない。
でも、もしかしたら午後八時に彼女が自分の身体に戻った後にやってくれているかもしれないという一縷の望みにかけて、僕はこっくりと頷いた。
「ありがとう! 早いとこ教室に行って写させて。今度アイス奢る!」
「う、うん」
出会って間もないけれど、彼女には他人をついその気にさせるような勢いがあった。対する美雨が本当はどんな性格なのか、僕はまだ分からない。今のところ友達から不審に思われてはいないので、普段から彼女には引っ張られているのだろう。
一年一組の教室に着くと、僕は再び戸惑った。
自分の席が分からない。
これも、いつも入れ関わり先で経験していることだ。
友人の彼女がタタタッと机の合間をすり抜けて、窓際の後ろから二番目の席に座る。入り口で突っ立っている私を見て、「どうしたのー?」と大きな声で聞いた。
教室にはまばらに人がいて、みな僕たちの言動は気にしていない様子だ。僕は思い切って、彼女に聞き返す。
「私の席、どこだっけ?」
あまりにもおかしな質問に、さすがの友人も「え」と僕の顔を凝視して固まる。
「えっと……ごめん、最近忘れっぽくて」
毎日使っている教室の机と椅子の位置が分からなくなることを「忘れっぽい」で済ませるのはどうかと思うが、これしか手段がないのだ。
友人は少ししてから、「あはは」と笑い声を上げた。
「もー美雨何言ってんの? こっち、私の後ろでしょ。さすがにやばいってー」
「あ、そうだった、ね。ありがとう」
慌てて彼女の後ろの席に座る。つまり、窓際の一番後ろの席だ。こりゃ授業中もたくさん居眠りができそうだ——じゃなくて、普通に良い席だった。
「で、英語のノート見せてもらえる?」
「うん」
僕は、彼女に言われるがままに鞄の中を漁る。果たして英語のノートに宿題は……何も書かれていなかった。
「……」
そっか。そうだよなー。初めて入れ替わり体験をして、その後に家で宿題やってる暇、ないよね。
僕はがっくりと項垂れる。だが、僕以上にショックを受けていたのは彼女の方だった。
「って、やってないんかーい!」
飄々としたツッコミを入れてきたものの、「うう」と涙目になって「美雨に騙されたあ」と嘆いている。ちょっと待て。そもそも、あんたも宿題やってないんだろうと言い返したくなる気持ちはぐっと抑えた。
「真面目な美雨が宿題をやってないなんて……しかも、さっきはちゃんとやってきた感じで返事してくれたのに……」
「ご、ごめん……。私やっぱり物忘れが——」
僕が見苦しい言い訳をしようとした時だった。
「二人とも、どうしたの?」
可愛らしいソプラノの声が頭上から降ってきて、互いの英語のノートと睨めっこしていた僕たちは、声の主の方を見た。
「和湖ぉ〜! 助けて〜! てか、おはよう〜」
「おはよう瑛奈、美雨。何かあったの?」
和湖、と呼ばれたその女の子はふわりとゆるくウェーブがかった髪の毛を前髪ごと横に流している、ゆるふわ系女子だった。透き通るほど肌が白い。身長は低めで、ぱっと見お人形さんのようだ。
僕はそこで初めて、目の前で嘆く友人の名前が「瑛奈」であることを知った。
「それが、私も美雨も昨日の英語の宿題やってなくて……二人でどうしようか悩んでたところなのっ」
瑛奈が和湖に詳細を話す。「あらあら」とお母さんのような口調で相槌を打つ和湖を、僕はじっと眺めていた。
「それなら、私のノート見る?」
「いいの!?」
「うん。昨日はちゃんと宿題やったんだ」
「昨日は」と言うということは、普段はあまりやらないのだろうか。似た者同士の三人で、僕は笑ってしまった。
「美雨、何がおかしいの?」
すかさず瑛奈にツッコまれる。
「いや……朝から賑やかだなって」
「なにそのばばあ発言! 美雨、あんた今日変だよ!」
「瑛奈、ばああは言い過ぎだよう」
瑛奈と和湖がコントのようなやりとりをする。和湖は終始ゆったりとした話し方をしていて、マイペースな子なのかと悟る。見た目の
雰囲気からして、らしいと言えばらしかった。
「とにかく和湖、早くノート見せて!」
「はいは〜い」
ニコニコとした表情で、和湖が僕と瑛奈の前で英語のノートを開いてくれた。丸っこくて女子っぽい字が並んだそのノートには、きっちりと宿題が済まされていた。
入れ替わり後初登校の日、僕は朝から英語の宿題をせっせと書き写すことに専念した。